祝園神社|式内大社|木津川沿いにある怨霊封じの神社。

2018年4月7日

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祝園神社は京都府相楽郡精華町にある神社。式内社の大社である。

精華町は京都の南の端。奈良との県境だ。西側の山林は開拓され、最先端技術を持つ企業が多く進出する学研都市となっているが、この神社の周辺は、すぐ東側には木津川の大河が流れる、昔ながらの田園地帯である。

こんな長閑な田園地帯に怨霊封じの神社とは、俄かには信じがたいのであるが。。。

「相楽」(そうらく・さがなか)や「祝園」(ほうその)や「柞ノ森」(ははそのもり)という地名にも、歴史に埋もれた物語が潜んでいるのである。

祝園神社 概要

  • 所在地   京都府相楽郡精華町祝園柞ノ森 18
  • 電話番号  0774-94-3770
  • 最寄り駅  JR「祝園」・近鉄京都線「新祝園」から徒歩20分
  • 駐車場   なし(鳥居前に1台駐車可能)
  • 主祭神       建御雷命、経津主命、天児屋根命の三神を祀る。
  • 創建年       不詳
  • 社格          式内大社、郷社
  • 公式HP      精華町HP

祝園神社 MAP

京都府相楽郡精華町祝園柞ノ森 18

祝園神社の祭神

春日の大神と称される、建御雷命、経津主命、天児屋根命を三柱を祀る。

建御雷命(たけみかづちのみこと)

火の神「迦具土命」を斬り殺した霊剣「天之尾羽張」から生まれた「剣の神」あるいは「武神」

神話「出雲の国譲り」に登場する。武力を背景に、国譲りを遂行した強い強い神である。

藤原氏の氏神として、鹿島神宮や春日大社に祀られている。

経津主命(ふつぬしのみこと)

建御雷命とともに天降って国譲りの交渉を行う。あるいは経津主命のみが天降ったとも。

「フツ」が刀で物を断ち切ったときの音とし、刀剣を神格化した神とする説、フツフツと湧き上がる闘魂を表しているとする説など諸説あるが、いずれも強さを表現した「軍神」としている。

こちらも藤原氏の氏神として、香取神宮や春日大社に祀られている。

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

神話「岩戸隠れ」において、岩戸の前で祝詞を奏上する役割で登場する。よって「祝詞の神」とされる。

また、神話「天孫降臨」において、瓊瓊杵尊とともに天降った5柱の随伴者、いわゆる「五伴緒」のうちの一柱としても登場する。

天児屋根命は中臣連の祖。すなわち藤原氏の祖神ということになり、「出世の神」としても信仰を集める。

祝園神社の創建・歴史

創建年代は不明。

社伝によると、、、

第10代崇神天皇の御代のこと。第8代考元天皇の皇子「武埴安彦」(たけはにやすひこ)が朝廷に反逆を企て、この地において討伐されたが、その亡魂が「柞ノ森」に留まり、人民を悩ませた。

第45代聖武天皇神亀年間に、この亡魂を撲滅しようとしたが人力では太刀打ちできなかった。

第48代称徳天皇の御代、神力によって撲滅せよとの勅命によって、大中臣池田六良広剛と宮城七良朝藤が祝部(ほふりべ)となり、神護景雲4年1月21日に春日の大神を勧請。創始された。

斎戒沐浴祈願を行い、ついに亡魂をしたという。

つまりは、武埴安彦の怨霊を封じ込めるための神社ということだ。

「新抄格勅符抄」によると、、、

大同元年(804年)の牒に、「祝園神 四戸 山城国」とある

がゆえに、平安初期には存在したと考えられる。

風土記によると、、、

羽振苑社」(はふりそののやしろ)、祭神は大歳神・伊怒比女神(大歳神の妻)・曾富理神(その子)

と記載されているらしい。

この風土記が奈良時代初期の官撰の地誌、いわゆる「古風土記」であるなら、祝園神社の創建は、さらに古く奈良時代初期あるいはそれ以前から存在していたことになる。

そうなると「大歳神・伊怒比女神・曾富理神」は、現祭神よりも古くから祀られていたということにもなろう。

風土記編纂の官命が出されたのが713年。神護景雲4年は西暦770年。

もともとあった「羽振苑の社」。そこへ770年に「春日の大神」を勧請して祭神を変更したと考えるのが自然だろう。

地名の由来

祝園(ほうその)

前述の創建社伝でも述べたが、、、

武埴安彦と妻の吾田媛(あたひめ)が謀反の兵を挙げた。

吾田媛軍は大坂で吉備津彦軍に敗れ、武埴安彦軍は山代川(現木津川)を挟んで対峙した大彦命・彦国葺(ひこくにぶく)率いる官軍と戦い敗れた。

そして武埴安彦はこの地で斬首された。(祝園神社の少し南方の「いずもり」

戦後、このあたり一帯には、この戦いで亡くなった多くの死者の遺体が放り転がされていたらしい。

この放り転がすことを、古語で「はふる」という。また、「はふる」には「散らす」という意味もある。

斬り散らされた状態で放り転がされていたのだろう。惨たらしい情景だっただろうことは想像に難くない。

「遺体がはふられた園」で「はふりその」。転じて「祝園・ほうその」となった。

柞ノ森(ははそのもり)

柞ノ森(ははその森)は祝園神社の鎮座地である。

「ははそのもり」もかつては「羽振苑」(はふりその)と呼ばれていた。

こちらも「はふる」場所だが、同じ「はふる」でも「羽振」となると少しく意味合いが違う。

「羽振」は「祝部(はふりべ)」の「はふり」と解するべきか。すなわち罪や穢れを祓うという意味合いになる。

柞ノ森は、鎮魂の森と言えよう。

相楽(さがなか)

祝園とは関係ない話だが、ついでに。

垂仁天皇の御代、四姉妹が大君に召し上げられた。妹二人は醜いと返された。

そのうちの一人は恥ずかしさに耐え切れず、この地の木の枝で首を吊ろうとした。

そこで、この地を「さがり木」と呼ぶようになり、転じて「さがなか」となったという。

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祝園神社 参拝記録

祝園の駅を右に見ながら車を北へ走らせる。少し走ったところ左手にローソンがある。

その交差点を右に(東に)に曲がる。線路を越えてさらに進む。

しばらく進み、左に道なりに曲がる。そして北上。突き当りが今回の目的地、祝園神社である。最後の直線の途中に「いずもり」があるが、空き地の状態であった。

祝園神社の社頭

鳥居の手前まで車で入っていけそうなので、入らせて頂いた。

祝園神社の鳥居

鳥居の柱の下の部分が石造。わざとそうしてあるのか?

祝園神社の神門

ここで違和感を覚える。おそらく皆さんが感じるであろう違和感。

本殿の真正面に、すべての者を遮るように立つ一基の石灯篭。

入るな!あるいは、出るな!とでも言わんばかりに仁王立ちする姿に、この神社の本質を見るような気がした。

この画像は、かなり露出を上げて撮ったもの。実際はもっと薄暗い。

薄暗い境内に立つ一基の石灯篭と二本の神木。なんとも言えない怪しい雰囲気を醸し出している。

祝園神社の拝殿

拝殿は割拝殿。中央の通路を通って本殿前まで進むことができるのだが、

ここも薄暗い。陰気。不気味。長くは居られなかった。先が思いやられる。

祝園神社の本殿

春日の大神を祀る神社らしい、金色の「釣り灯篭」がぶら下がっている。

二拝二拍手一拝。

なんと。意外にも、ここまでくると怖さが無くなる

左から爽やかな風が吹いてきた。

 

さて、本殿を囲むように境内社が鎮座する。社名は書かれてあるが、祭神等の情報はない。

皇大神宮

祭神は、天照大神であろう。他にあるわけがかかろう。

熊野神社

祭神は、伊邪那岐命と思われる。妻の伊邪那美命との間に多くの神々を生んだ、我らの祖先だ。

熱田神社

祭神は、日本武尊と思いたい。熱田大神と称する天照大神ではなかろう。

祈雨神社・有功神社

有功神社の祭神はというと、一般的に「有功の神」(いさおしのかみ)と言えば「五十猛命」。須佐之男命の子神で、日本の国土に木を植えて回った功績によって名付けられた神名だ。

祈雨神社の祭神は、候補が沢山ありすぎて困る。この神社の雰囲気からすると、刀から滴り落ちた血から成った「闇淤加美神」か、「闇御津羽神」か

出雲神社

祭神は、「大国主命」あるいは亦の名「大己貴命」(おおなむじ)だろう。

昨今は「縁結びの神」あるいは、大黒天と習合して「開運招福の神として信仰を集めるが、本来の姿は幽界の冥王だ。

稲荷神社

祭神は、「倉稲魂命」(うかのみたま)。もしくは「宇迦之御魂神」(うかのみたま)

ご利益は、五穀豊穣、商売繁盛。

天満宮

祭神は、菅原道真公。神名は「天満大自在天神」

稀代の大秀才にして大怨霊。日本三大怨霊の一人だ。篤く祀ることで悪霊も守護神となる。

道真公も守護神となり、今では学問の神として知らないものはいない。

西宮神社

祭神は、恵比寿神だろう。西宮えびすであれば、「蛭子の神」と思われる。

ご利益は、商売繁盛だ。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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