建御雷之男神・武甕槌男神|たけみかづちのおのかみ

2018年5月9日

建御雷之男神は、日本の神話に登場する神である。軍神・武神として祀られることの多い神であるが、本当は???

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建御雷之男神のについて

建御雷之男神の神名

  • 建御雷之男神(たけみかづちのお)>>>古事記
  • 建布都神(たけふつ)>>古事記による亦の名
  • 豊布都神(とよふつ)>>>古事記による亦の名
  • 建御雷神(たけみかづち)>>>古事記
  • 武甕槌(たけみかづち)>>>日本書紀
  • 武甕雷男神(たけみかづちのお)>>>日本書紀

神名の意味

古事記の充て字は「建御雷之男神」

  • 建(たけ)=強い、荒々しい
  • 御(み)=尊敬語
  • 雷(かづち)=雷(かみなり)
  • 之(の)=の
  • 男(お)=男神

雷のように強い男神となり、いかにも軍神・武神にふさわしい。

しかし、日本書紀の神名の充て字が「武甕槌男神」であることで、

  • 武(たけ)=強い、荒々しい
  • 甕(みか)=甕(かめ)
  • 槌(つち)=「つ」と「ち」に分解され、「~の」と「霊」
  • 男(お)=男神

甕(土器)の神霊となる。

これは祖父であるところの甕速日神と同じ神格を持つことになる。

こうなってくると、刀剣の神(軍神・武神)の側面に加えて、製鉄の神、農耕の神、農機具の神という側面も顔をのぞかせることになるのである。

建御雷之男神の神格

そいうわけで、神格はというと、

  • 軍神
  • 武神
  • 刀剣の神
  • 製鉄の神
  • 農耕の神
  • 土器の神

となろう。

建御雷之男神の系譜

日本書紀の第九段(葦原中國平定)によると、

  • 曾祖父(曾祖母?>>>稜威雄走神(天之尾羽張神・十握剣)
  • 祖父>>>甕速日神
  • 父>>>熯速日神(熯速日神)
  • 本人>>>武甕槌神
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建御雷之男神が登場する神話

建御雷之男神・武甕槌神は、須佐之男命や大国主命と並んでよく登場する、いわば記紀の主役のうちの一柱である。

誕生にまつわる神話

古事記によると、、、

次に、刀の根元から飛び散った血が、湯津石村(岩群)に付いたところから現れた神々の名は、

甕速日(みかはやひ)の神、次に樋速日(ひのはやひ)の神、そして建御雷之男(たけみかつちのお)の神と神という三柱の神です。

建御雷之男(たけみかつちのお)の神は、亦の名を建布都(たけふつ)の神、または豊布都(とよふつ)の神といいます。

このように、古事記では三柱が並列だが、日本書記では武甕槌神を下位に置いていたようだ。

日本書紀では、、、

剣のツバから垂れ落ちた血から神が成りました。

その神は、甕速日神(みかはやひのかみ)といいます。次に、熯速日神(ひのかやひのかみ)が成りました。

甕速日神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)の祖先となります。

日本書紀 第九段には、、、

天石窟(あめのいわや)に住む神「稜威雄走神」(いつおはしり)の子の甕速日神(みかはやひ)、そして甕速日神(みかはやひ)の子の熯速日神(ひのはやひ)、熯速日神(ひのやはひ)の子の武甕槌神(たけみかづち)が居ました。

とある。

稜威雄走神(いつおはしり)とは、古事記でいうところの「天之尾羽張神」(あめのおはばり)すなわち、加具土命を斬った「十握剣」のことを指す。

葦原中国平定(国譲り神話)

この葦原中国平定が、武甕槌神最も活躍する神話であろう。

派遣する神を選定する場面

まずは、大国主命を説得するために、あるいは地上世界を平定するために、誰を葦原中国に送り込むか選定する場面である。

古事記より

大国主の説得は、二度にわたって失敗に終わりました。これでは天津神の威信にかかわります。

高御産巣日神らが話合って、最後の手段として考えたのは伊都之尾羽張」(いつのおはばり)の派遣でした。もしくはその子の「建御雷之男神」(たけみかづちおのかみ)です。

「伊都之尾羽張」は、天安河の上流の天岩戸に住み、天安河の水を塞き止めて逆流させ、道をふさいでいるので、寄りつくことができません。なので、天迦久神を派遣して「伊都之尾羽張」を説得することにしました。

すると「伊都之尾羽張」は、子供の「建御雷之男神」のほうが適任だと答えます。

よって、「建御雷之男神」に「天鳥船神」を添えて、派遣することにしました。

建御雷之男神(メイン)と天鳥船神が、派遣されることとなったのである。

日本書紀より

日本書紀によると、武甕槌神の扱いが古事記とは少しく異なる。

前述と重複する部分もあるが、、、

大国主の説得は、二度にわたって失敗に終わってしまいました。これでは天津神の威信にかかわります。

そこで、高皇産霊尊は諸神を集めて、誰を葦原中國に送り込むか話合いをしました。

諸神が言うには、「磐裂根裂神の子供の磐筒男と磐筒女が生んだ子供の經津主神(ふつぬしのかみ)が良いでしょう」とのことです。

一方、、、

天石窟(あめのいわや)に住む神「稜威雄走神」(いつおはしり)の子に甕速日神(みかはやひ)、そして甕速日神(みかはやひ)の子に熯速日神(ひのはやひ)、さらに熯速日神(ひのやはひ)の子に武甕槌神(たけみかづち)という神がいます。

この武甕槌神が、進み出て言うことには、
「諸神よ。なぜ経津主神だけが丈夫(ますらお)なのか! 吾は丈夫(ますらお)ではないと言うのか!」 

その言葉が素晴らしく勇ましいかったので、経津主神に武甕槌神を添えて、葦原中国に派遣することとしました。

日本書紀では、経津主神(メイン)に武甕槌神を添える形で派遣されるのである。

大国主命を対峙する場面

ここが国譲りのクライマックスであろう。

古事記より

天鳥船神と建御雷神は、出雲国の伊那佐(イザサ)の浜に降り立つ。

そして十拳剣を抜き、 逆にして海に立てて、その剣の刃の上にあぐらをかいて、 大国主神に問う。
「吾は天照大御神・高木神の命により、使いに来た。 お前が支配している葦原中国は、本来、天照大神の御子が統治するべき国と考える。前はどう考えるか?」

大国主神は答えて曰く、
私は返答できぬ。私の子である八重言代主神が答えるだろう。しかし、 八重言代主神は鳥を狩ったり、魚釣りに、御大の前に出掛けていて、ここにはおらん。」

建御雷之男神は天鳥船を遣わせて、八重言代主神に国譲りを迫った。

事代主神が、答えて曰く、
「承知した。」

事代主神はすぐに船を踏んで転覆させ、天の逆手を打って、船を青柴垣に変えて、そこに篭もった。

ほんのこつ、勝手な言い分っちゃね~。

(ちなみに、この一節は日本書紀には登場しない内容である)

建御雷之男神が大国主神に問う。
「他に意見を言う子供がいるか?」

すると大国主神は、
建御名方神がいる。 これ以外には意見を言う子供は、もういないだろう。」

そこに建御名方神が千引の石を持ってやってきた 、、、
「誰が私の国に来て、忍び忍び、ひそひそと話をするのか! それならば力比べをしよう! 」

建御名方神が建御雷之男神の手を取ると、すぐに建御雷之男神の手がツララになり、 剣刃となった。

建御名方神はビックリして引き下がる。

今度は建御雷之男神が建御名方神の手を取る。取るやいなや、その手を握りつぶして放り投げた。

建御名方神は逃げる。科野国の州羽の海に追い詰められて、殺されそうになったとき 、

「この諏訪の土地からは出て行かない、父の命令に背かない、事代主神の言葉に背かない」ことを約束して、命だけはは助けられた。

科野国の州羽の海とは、信濃国の諏訪湖である。そして、その湖畔に鎮座する「諏訪神社」に祀られる神こそが、「建御名方神」なのである。

建御名方神を従わせた建御雷之男神が、出雲に帰ってきて、大国主神に問う。
「事代主神も建御名方神も、天津神の御子の命令に従うと言った。 お前はどう考えている?」

大国主神は答える。
「であれば、それに背くことなしない。この葦原中国は天津神に献上しよう。」

「そして、私の住居として、天津神の御子が継ぐ神殿のように、底津石根に太い柱を立て、空に高々とそびえる神殿を建てるならば、わたしは遠い幽界に下がろう。」

「私には大勢の子(神々)がいるが、八重事代主神が神々の前に立てば、誰も背くことはない。」

ここに、地上世界の支配権は、国津神から天津神に明け渡されたのである。

日本書紀は、古事記おける「建御雷之男神」を「二柱の神」に読み替え、そして、建御名方神のくだりを削除すれば、およそ同じ内容である。

そして、不順(まつろ)わぬ神(反抗する神)として登場するのは、建御名方命ではなく、「星神香香背男」(ほしのかがせお)である。別名「天津甕星」であるが、その話はまた今度。

しかし、この二柱(経津主神・武甕槌神)の神の強さったら、もう、まさに上杉謙信以上の軍神である。

それもそのはず、建御雷之男神も経津主神も藤原氏の氏神とされているのだから、、、古事記の編纂に深く関わっていた藤原不比等は、中臣氏を乗っ取った「鎌足」の息子なのだから。。

神武東征

初代天皇となる「神武」が、日向から大和へ入る行軍の途中、神武軍の危機を救う場面で登場する。

さて、和歌山で名草軍を蹴散らし、熊野へと船を進めるが、途中で海が荒れ、行く手を阻まれる。「海の神の血を引くわれらに、海は何という仕打ちをするのか!」と悲しみ憤りながら、二人の兄が海に身を投げる。

そうこうしながらも、なんとか熊野に上陸。熊野の山中に分け入る。ここでも困難が待ち構えている。まずは、いきなり大熊が出てきて隠れた、すると神武はじめ全ての兵士が気を失ってしまったのだ。

倒れて寝込んでいた神武のもとに、熊野の高倉下(たかくらじ)が「一振りの剣」を持って現れた。

すると神武は目を覚まし、その剣を受け取ると、熊野の荒ぶる神は悉く切り倒されていった。

「なんだ、この剣は!」「この刀を、いったいどのようにして手に入れたのか?」

神武が高倉下に質問したところ、高倉下が答えるに、、、

実は、夢を見たんです。

天照大神と高木神(=高御産巣日神)が、建御雷神を呼び寄せて 、

『葦原中国はとても騒がしく、我々の子供達が困っています。葦原中国は貴方が平定した国なのだから貴方が助けに天降ってくれませんか?』

と言いました。

すると建御雷神が、こう答えます。

『いえ、わたしが降りなくても、 葦原中国を平定した神剣があれば、大丈夫ですよ。 この剣を下ろしましょう。』

そして建御雷神は、私に向かって言いました。

『倉の屋根に穴をあけて、そこからこの剣を落としておくから、お前は翌朝、それを持って天津神の皇子に渡すのだぞ!』

朝目を覚ますと、夢の通り剣が倉の中にありましたので、お持ちした次第です。」

この刀の名前は佐士布都神(さじふつのかみ)。 別名を甕布都神(みかふつのかみ)。

さらなる別名を布都御魂(ふつのみたま)と称し、石上神宮に鎮まっている。

建御雷之男神を祀る神社 当ブログ内

春日大社(奈良県奈良市)

全国の春日神社の総本宮。藤原氏の氏神として、平城京の守護神として、強大な勢力を誇った。世界遺産に登録されている、日本が世界に誇る神社の一つである。

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枚岡神社(大阪府東大阪市)

春日大社の四柱の祭神のうち「天児屋命」と「比売神」は、この枚岡神社から勧請された。よって元春日と称される平岡連(後の中臣氏)ゆかりの神社である。

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楯原神社(大阪府平野区)

大国主命と武甕槌命を祀る珍しい神社。さらに、真偽の程は定かではないが、かの「十種神宝」がここの現存するという、いろんな意味で興味深い神社である。

祝園神社(京都府相楽郡精華町)

武埴安彦の怨霊を封じ込めるための神社とされるが、もともとは農耕の神として祀られていたとも。

石上神宮(奈良県天理市)

建御雷神が神武に授けた「布都御魂」が祀られる、極めて霊験あらたかな神社。ここは間違いなく、何か通常とな異なるパワーを帯びていると感じることのできる神社だ。

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神様紹介

Posted by リョウ