濱宮(はまのみや)|和歌山|元伊勢であり、尚且つ紀国一之宮日前宮の元鎮座地。浜の宮
濱宮(はまのみや)(浜宮神社)は、和歌山市毛見に鎮座する神社である。
この場所は、紀之国一宮「日前神宮・国懸神宮」の元の鎮座地であり、かつ、宮中を出た天照大御が伊勢の地に鎮まるまで各地を巡行した際の仮宮の一つ「奈久佐浜宮」(なぐさのはまのみや)であったという。
このように、規模は小さいながら、実はとてつもなく由緒ある神社なのだ。
濱宮(はまのみや)について
濱宮の概要
- 所在地 〒641-0014 和歌山県和歌山市毛見1303
- 電話番号 073-444-0925
- 主祭神 天照皇大神、天懸大神、国懸大神
- 創建年 崇神天皇51年(伝)
- 社格 村社
- 公式HP
濱宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- JRきのくに線「紀三井寺駅」から、バス「浜の宮」下車3分
駐車場
- あり(無料)
濱宮の祭神
第一殿に、主祭神として天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)を祀り、第二殿に、天懸大神 (あまかかすおおかみ)と国懸大神 (くにかかすおおかみ)の2柱を祀る。
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
天照大御神のことを指す。天照皇大神とは、神道内での尊称としておこう。
崇神天皇6年、天照大御神は宮中から出されることとなった。崇神天皇の皇女「豊鍬入比売命」が御杖代となり、その落ち着き先を探す旅に出た。
笠縫邑(大和)→吉佐宮(丹波)→伊豆加志本宮(大和)と遷座し、そしてその次が、ここ奈久佐浜宮(名草浜宮)。天照大御神は、3年間ここで奉られるのである。https://googleads.g.doubleclick.net/pagead/ads?us_privacy=1—&client=ca-pub-8368244099051458&output=html&h=280&adk=3367652163&adf=675904906&pi=t.aa~a.2092113340~i.25~rp.4&w=710&fwrn=4&fwrnh=100&lmt=1630290177&num_ads=1&rafmt=1&armr=3&sem=mc&pwprc=1088574743&psa=1&ad_type=text_image&format=710×280&url=https%3A%2F%2Fspiritualjapan.net%2F17888%2F%3Fpreview_id%3D17888%26preview_nonce%3Dc234ab2d20%26preview%3Dtrue%26_thumbnail_id%3D17865&flash=0&fwr=0&pra=3&rh=178&rw=710&rpe=1&resp_fmts=3&wgl=1&fa=27&uach=WyJXaW5kb3dzIiwiMTAuMCIsIng4NiIsIiIsIjkyLjAuNDUxNS4xNTkiLFtdLG51bGwsbnVsbCxudWxsXQ..&tt_state=W3siaXNzdWVyT3JpZ2luIjoiaHR0cHM6Ly9hdHRlc3RhdGlvbi5hbmRyb2lkLmNvbSIsInN0YXRlIjo3fV0.&dt=1630290173716&bpp=3&bdt=1040&idt=3&shv=r20210824&mjsv=m202108240101&ptt=9&saldr=aa&abxe=1&cookie=ID%3D9658c9dfec615d1f-22052aa327cb0021%3AT%3D1630284258%3ART%3D1630284258%3AS%3DALNI_MZHg2pQT4P_73g3DF3HtBV14AodjA&prev_fmts=1200×280%2C0x0%2C336x280%2C336x280%2C336x280&nras=6&correlator=322494494830&frm=20&pv=1&ga_vid=635400309.1630284263&ga_sid=1630290173&ga_hid=591907114&ga_fc=0&u_tz=540&u_his=1&u_java=0&u_h=1024&u_w=1280&u_ah=984&u_aw=1280&u_cd=24&u_nplug=3&u_nmime=4&adx=89&ady=3941&biw=1263&bih=913&scr_x=0&scr_y=300&eid=42530671%2C44747621%2C182982000%2C182982200%2C31062369%2C31062422%2C21067496%2C31062297&oid=3&pvsid=735233391142057&pem=313&ref=https%3A%2F%2Fspiritualjapan.net%2Fwp-admin%2Fpost.php%3Fpost%3D17888%26action%3Dedit&eae=0&fc=384&brdim=0%2C0%2C0%2C0%2C1280%2C0%2C1280%2C984%2C1280%2C913&vis=1&rsz=%7C%7Cs%7C&abl=NS&cms=2&fu=128&bc=31&ifi=5&uci=a!5&btvi=4&fsb=1&xpc=LLgtUiOBUP&p=https%3A//spiritualjapan.net&dtd=3680
その後も各地を転々とし、垂仁天皇の御代に入ると倭比売命に引き継がれ、最終的に伊勢の五十鈴川の畔に鎮まることとなる。
天懸大神(あまかかすおおかみ)
日前神宮の祭神で、日像鏡(ひがたのかがみ)をご神体とする「日前大神」(ひのくまのおおかみ)のことを指す。
もともとは、国懸大神とで、天と国の対だったのかもしれない。
国懸大神(くにかかすおおかみ)
国懸神宮の祭神で、日矛鏡(ひぼこのかがみ)をご神体とする「国懸大神」である。
それぞれのご神体は日前宮に遷されたが、それまでは、ここにあったということだ。
濱宮の創建
「紀伊続風土記」には、次のような伝承を記している。
神武天皇の東征のとき、神鏡と日矛の神宝を奉じた「天道根命」が、これらの神宝を鎮め奉る場所を探して、紀伊国の加太の浦に着いた。そこから木本に移動し、さらに毛見郷の南に広がる琴の浦に浮かぶ岩島の上に遷座した。 |
これが、濱宮の創祀であり、日前宮の創祀でもあるわけだ。
さらに、「紀伊続風土記」は続ける。
天照大御神の御杖代となった豊鍬入比売命は、毛見の地に到着し濱宮を造営。ここに天照大御神を鎮め参らせた。と同時に、琴の浦の岩上から神鏡と日矛も遷し奉り、並べ祀った。 |
現在の琴の浦は大半が埋め立てられてしまったが、かつては串本の橋杙岩を彷彿とさせる大岩が並ぶ大きな入り江だったらしい。
そして、
3年後、天照大御神は「吉備名方浜宮」へと遷座した。その時は天懸大神・国懸大神はそのまま現在地に鎮座していたが、垂仁天皇16年に秋月の地、すなわち現在の日前國懸神宮の地へと遷座した。 |
と伝えている。
天懸大神・国懸大神の遷座ルート
- 加太の浦・・・加太春日神社に比定
- 木本・・・木本八幡宮に比定
- 琴の浦・・・現在の日本製鉄の埋立地を含む入り江
- 日前宮・・・現在の日前宮
アシ神様の謂れ
この濱宮は、地元では「アシ神様」と称され崇敬されたという。
和歌山市と海南市の一部は、かつて「名草」と呼ばれていた。この名草には、ここを含めて3つのアシ神様がおられる。あとの2つは足守神社と千種神社だ。
足守神社は置いておくとして、、、
神武東征のとき、それに抵抗した名草の女首長「名草戸畔」が誅殺された。地元の人々は親愛の意味を込めて、その遺体を首・同体・足に切り分けて、それぞれ埋葬して祀った。
千種神社は、その足を祀った場所らしい。
▼千種神社
女神の遺体の各部から穀物が成る神話(ハイヌウェレ型神話)のように「名草戸畔」は穀物神となったのだろう。また、足を祀っているため足腰の健康を願う社ともなったと聞く。
この千種神社の謂れと何か関係があるのだろうか。。。
それとも、名草彦命・名草姫命を祀る、境内社の「中言神社」によるものだろうか。
あるいは、ただ単に、和歌川(紀ノ川)の河口に生い茂る「葦」から、生命力の象徴として「アシ神様」と呼ばれるようになったのだろうか。。。
近くに紀三井寺陸上競技場がある。濱宮を「アシ神様」と知ってか知らずか、選手や親御さんが参拝していくという。
いずれにしても、元伊勢であり、かつ、伊勢に準ずる社格を持つ日前宮の元であるからして、まさに最強の御神力を持つと考えてよかろう。
無責任な言い方になるが、何でも叶えてくれるとしようではないか。
濱宮 参拝記録
濱宮は、和歌山市と海南市の境目の和歌山市側にある。
和歌山市内から国道42号線(国体道路)を南下していくと、毛見トンネルがあり、このトンネルをくぐると海南市に入ってしまう。だからトンネルの手前の信号「浜ノ宮」を右折しよう。
右折すると、その道沿いに鳥居が見える。ここを通りすぎて神社の裏に回ると駐車場がある。
ちなみに、さらに100mほど行くと浜の宮ビーチの駐車場もある。
濱宮の社頭
9月中旬の参拝となったが、今年は例年になく暑い。
暑さのせいか、お宮の裏山からは元気なセミの鳴き声が聞こえてくる。大阪ではなかなか聞けないミンミンゼミの鳴き声も聞こえてくるではないか。そこにツクツクホウシも。
鳥居前に立つと、冷気が流れ出てくるのがわかる。
画像に見える手摺付きのスロープを上がったところは、得も言われぬ雰囲気がある。この雰囲気は、人によって好き嫌いが分かれるのではないだろうか。
そこには、、、
謎の丸石
このような、丸石が祀られていた。
そうやら、ここが、得も言われぬ雰囲気の源であるように思える。
聞くところによると「力石」らしいのだが、ただそれだけではないはずだ。。。
ご神木 梛の木(なぎのき)
梛の木は、銀杏と同じように雄株と雌株がある。そして幅広の葉を持ちながらも針葉樹らしい。その葉の葉脈は平行に走っているため引きちぎろうとしてもなかなかちぎれない。このようなことから、男女の縁結び、夫婦円満のご利益があるという。
また、梛の木は丸い薄紫の実をつけるのだが、それを植えると簡単に芽が出てよく育つらしい。このようなことから、梛を植えると家が栄えるとも言われている。
さらに、梛(なぎ)は凪(なぎ)に通じることから平穏無事な生活を送れるとか、薙ぎ(なぎ)に通じることから、災厄や罪穢れを薙ぎ祓ってくれるなど、極めて縁起の良い木なのである。
さて、社殿域は一段高い場所にL字型に配置されている。
第一殿
正面の一番右に第一殿があり、天照皇大神が鎮座する。
和歌山の神社特有か、神社拝詞が張りつけられている。
第二殿
天懸大神と国懸大神が祀られてる第二殿。
豊鍬入姫神社
天照大御神を運んできた豊鍬入姫命を祀る祠である。簡素な造りで、可哀想に思うのは私だけであろうか。
左の覆屋の中には、豊鍬入姫命が腰掛けたという「腰掛石」がある。
境内社群
画像の奥から、社名と祭神を列記しておく。
- 高皇社・・・高皇産霊神、天照皇大神、日前大神、国懸大神、市杵島姫神、猿田彦命
- 中言社・・・名草彦命、名草姫命
- 天満宮・・・菅原道真公
- 恵比須社・・・大国主大神、事代主大神
- 金刀比羅社・・・毛見金比羅宮
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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