日枝神社|赤坂|東京十社|縁結びと子宝のご利益を頂こう!それは仕事にも言えること。いいご縁と結実を頂きたい人必見!
日枝神社は、東京都千代田区永田町2丁目に鎮座する。といっても道路を隔てて向かい側は赤坂。やはり「赤坂の山王日枝神社」の方がおさまりがよい。
神田明神とともに江戸の鎮守とされる。鬼門の神田明神に裏鬼門の日枝神社である。
さて、日枝神社と言えば江戸三大祭の一つであり、さらには日本三大祭でもある「山王祭」で有名だ。
- 日本三大祭・・・祇園祭(京都八坂神社)、天神祭(大阪天満宮)、山王祭(日枝神社)
- 江戸三大祭・・・山王祭(赤坂日枝神社)、神田祭(神田明神)、深川八幡祭(富岡八幡宮)
神田祭が江戸市内の総鎮守であるのに対して、日枝神社は江戸城の鎮守である。
江戸城の守護として、神輿が城内に入ることを許され、将軍による上覧拝礼が行われたことから「天下祭」と言われた。
山王祭の御行行列の長さは、300mとも400mとも。朝から夕方まで約12時間かけて江戸城の周囲の西半分を練り歩く。最盛期には60基を越える山車が繰り出されたらしい。
日枝神社について
日枝神社 概要
- 所在地 〒100-0014 東京都千代田区永田町2丁目10−5
- 電話番号 03-3581-2471
- 主祭神 大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦命
- 創建年 不詳
- 社格 官幣大社・別表神社
- 公式HP https://www.hiejinja.net/
日枝神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 地下鉄「赤坂」「溜池山王」「国会議事堂前」徒歩5分程度
駐車場
- あり(有料)
日枝神社の創建
創建年代は不詳であるが、南北朝時代には既に存在していたという説もある。
一般的には
1478年、太田道灌による江戸城築城にあたり、川越日枝神社から勧請したのが始まり
とされている。
徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し江戸城の鎮守とされ、それ以降、徳川将軍家の産土神として崇められた。
1604年には、家光によって場外の麹町隼町に遷座したことから、江戸市民も参拝できるようになった。
さらには、明暦の大火で焼失したため、家綱によって現在地に再建された。これ以降、江戸城の裏鬼門を守る役割を果たすのである。
明治に入り、新たな社格制度が導入されたとき官幣社の選に漏れ、東京府管轄となり「府社」とされた。その後、紆余曲折あり、官幣中社そして官幣大社に昇格したのだが、徳川の産土神であったことが不利に働いたのだろうか。。。
日枝神社の祭神
主祭神は「大山咋神」である。相殿に「国常立神」「伊弉冉神」「足仲彦命」が祀られている。
大山咋神(おおやまくいの神)
大いなる山の主の神という意味の神名である。地主神として各地に祀られるのだが、比叡山に坐する大山咋神を祀る日吉大社、嵐山の松尾山に降臨した大山咋神を祀る松尾大社が特に有名である。
山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護するご神徳を持つ。
国常立神(くにのとこたちの神)
日本書紀では、最初に現れた神とされ、「純男」の神であると記している。純男とは陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性という意味である。
古事記では、神代7代の最初に現れた神とされ、性別は無いとしている。
いずれにしても、根源神の性格を持つようだ。
伊弉冉神(いざなみの神)
国生み・神産みでおなじみの女神である。縁結び、子宝のご利益が期待できる。
詳しくは、こちらの記事をご参照頂きたい。
➡ 伊弉諾神・伊弉冉神 ① 大八島誕生・家宅六神・火神被殺
➡ 伊弉諾神・伊弉冉神 ② 黄泉の国・禊祓・三貴子誕生・幽宮
足仲彦命(たらしなかつひこの命)
14代仲哀天皇である。日本武尊の子にして、応神天皇の父とされている。妃が神功皇后。
大山咋神あるいは徳川家と、どのようなつながりがあるというのだろうか。
日枝神社の神紋
日枝神社の神紋は、二葉葵である。
二葉葵と言えば、上賀茂神社・下鴨神社・松尾大社である。賀茂氏の氏神である。松尾大社には大山咋神が祀られている。松尾大社は秦氏の氏神だ。
徳川の三葉葵も秦氏に由来するときく。
日枝神社のご利益
前述したとおり、山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護するご神徳を持つわけだが、近年では、厄除け・安産・縁結び・商売繁盛・社運隆昌の神として信仰を集めている。
プライベートもビジネスも、ご縁が大切である。そのご縁から生まれるのが、プライベートであれば子供であり、ビジネスであれば業容拡大であり利益なのである。
日枝神社 参拝記録
東京出張である。今日は赤坂で商談だ。少し時間に余裕がある。瞬時に計画を立てる私。
結果、溜池山王駅で下車し、日枝神社を参拝したあと赤坂で商談。そして商談後は六本木方面に歩いて赤坂氷川神社を参拝することにした。
外堀通りに面した真っ白な大鳥居が目印だ。
純白の山王鳥居
独特な鳥居の形状である。山王鳥居、破風鳥居などと呼ばれる、日枝神社・日吉神社に建てられている。
神域へと入る階段は幅広で、手すりが付けられており優しい。さらにエスカレーターが設置されている。ヒザ痛の私としては大変助かるのである。
エスカレーターに乗り上がっていくと、少しずつ都会の喧騒が遠のいていくのがわかる。昇り詰めたときには、すっかり神域感が漂う別世界となっている。
手水舎の紋は、三つ巴である。
日枝神社 楼門
左右に隋神像を安置した楼門である。
日枝神社 拝殿
美しい拝殿である。この日は、自民党員のご祈祷が行われていた。さすがは永田町である。
そして幾組かのお宮詣りと一組の挙式があった。美しい新婦であった。新郎はというと。。。ここでは申し上げないでおくのが良かろう。
日枝神社 拝殿内
猿の狛犬
猿の狛犬というのもおかしいが、こちらには狛犬の代わりに猿が設置されている。猿は日吉大社の神様の使いとされている。子ザルを抱いている。子宝にご利益ありと考える。
境内摂社 3座
本殿エリアの北側、この鳥居の先に摂社が2社並んでいる。
山王稲荷神社
山王稲荷神社とあるが、キツネさんは設置されていない。
八坂神社と猿田彦神社
八坂神社(須佐之男命)と猿田彦命が祀られている。厄除けの神と道開きの神である。
独立開業や新規事業の開拓など、大きな仕事が控えている人は、本殿の大山咋神と、この猿田彦神に参拝することをお勧めする。
私は、この摂社の雰囲気が好きだ。前面から冷気が流れ込んでくる。それは清々しいものであった。
これらは、何気なく摂社の裏山を見た時に発見した。小さな祠が3基並んでいる。かろうじてキツネが見えるがゆえに稲荷社と判断した。
ちょうど摂社の山王稲荷神社の真裏に位置する。日枝神社の敷地外と思われるが、すこし怖い。
見つけなければよかったと、少し後悔するのである。
最後に
日枝神社は、綺麗に整備された都会の風を感じる神社であった。
江戸城の鎮守に参拝させていただき、さあ、これからその地元で商談である。
いい結果が私を待っているだろう。そんな予感がする春の日であった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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