弥栄神社|大阪|コリアンタウンに鎮座する縁結びのパワースポット
弥栄神社は大阪市生野区桃谷にある神社で、鶴橋・桃谷の守護神。「やえじんじゃ」と読む?。
御幸通商店街(コリアンタウン)や鶴橋本通商店街などからほど近い場所にありながらも、不思議とこのあたりだけは閑静で落ち着いた場所となっている。
境内は極めてコンパクトだが窮屈感はない。宮司さんの人間性を垣間見ることができるいくつかの工夫が施されていて、心が和む神社である。
弥栄神社について
弥栄神社の概要
- 所在地 大阪府大阪市生野区桃谷2丁目16−22
- 電話番号 06-6741-0900
- 主祭神 須佐之男命、仁徳天皇
- 社格 村社
- 公式HP なし
弥栄神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR環状線「桃谷駅」徒歩8分
- JR・近鉄「鶴橋駅」徒歩10分
車でのアクセス・駐車場
- 道幅狭し・路駐不可
- 駐車場なし
大通りのコインパーキングに駐車するべし!
弥栄神社の祭神
弥栄神社の祭神は素戔嗚尊と仁徳天皇の二柱。
素戔嗚尊
日本神話に登場する、荒ぶる神にして国津神のドン。しかし本来は、伊弉諾尊が禊祓をした時に鼻から生まれた天津神。同時に左目から天照大御神が、右目から月読尊が生まれている。
伊弉諾尊から海の統治を命じられたにも関わらずそれを拒否し、高天原で乱暴狼藉を繰り返したため天界から追放され、出雲国に宮を造って国津神となった。後裔者は大国主命。
中世において仏教の牛頭天王と習合。祇園信仰の神となる。当社も祇園信仰の社である。
仁徳天皇
16代天皇。民衆の家々から炊事の煙が立ち昇っていないことから民衆の困窮を知り6年間の免税を行ったという「かまどの煙」の逸話で有名。
「私の仕事は国を富ませること。民衆が富むことは私が富むことに等しい」という言葉は天皇治世の基本的指針となっている。そんなことから後の天皇から「聖帝」と称賛された天皇である。
他にも、大阪に都(難波高津宮)を置いた天皇であること、淀川・大和川の治水、河内湖の排水事業など、大阪の発展に尽力した天皇であることなどから、大阪、特に上町台地には仁徳天皇を祀る神社が多い。
弥栄神社の歴史
創建伝承
社伝によると、
創建は文禄年間(1592~1596年)に出雲国意宇郡の熊野坐社から勧請した
と伝わる。 熊野坐社とは熊野大社のこと。
この時期に素戔嗚尊を祀る神社を創建したということは、疫病が流行したのかもしれない。
ということで調べてみると、文禄2年に疫病が流行したようだ。
西洞院時慶の日記「時慶紀」に
文禄二年十二月二十五日 天下疫病流行、残暑一人モ無、上一人. ヨリ下方民皆病、不思儀ノ事共也
とある。
「時慶紀」は日記なので主に京都で起こった出来事が記されているが「天下」とあるので広範囲で疫病が流行したのではなかろうかと考える次第である。
仁徳天皇の合祀
明治43年(1910年)に岡村にあった仁徳天皇を祀る御館神社を合祀。
御館神社は「いばらの神」とも称され、仁徳天皇の御弓場跡地に創建された神社だったそうだ。
今そこは、弥栄神社の御旅所となっている。
弥栄神社のご利益
創建伝承の通り、素戔嗚尊のご神徳により「疫病除け」がご利益となる。
当地域は商売人が多いエリアであるからして、コロナウイルス退散を願う人々は多いはずだ。
がしかし、境内を見ると神社は「縁結び」推し。
それは、境内社に祀られる大国主命のご神徳にプラスして、同じく境内社に祀られる櫛名田比売命(素戔嗚尊の奥様)のご神徳によるものと推察する。
弥栄神社 参拝記録
前述の通り、神社あるいは神社周辺には駐車場は無い。近隣のパーキングも土日となれば満車の可能性が大だ。というのも、韓流ブームによりコリアンタウンが大盛況だからである。
可能であれば、電車でのアプローチを推奨する。
鶴橋駅ガード下のカオスな商店街を散策しつつ、鶴橋本通商店街を南へ抜け、そのまま南へと住宅地に入れば神社はすぐそこだ。
東鳥居
これが神社の東の鳥居。鳥居前の道は、かつての桑津街道である。
手水舎
なかなかに工夫を凝らした手水舎である。
コロナ禍において手水盤に水を張らない神社は多い。そもそも、衛生的にどうなの?と思う手水も多かったのも事実。
こちら、手水盤に生け花を施している。生け花であるが故に定期的に入れ替えないといけない。工夫の上に手間もかかる施策ではある。
そして、それだけではない。
竹筒から一筋の水が流れ落ちていて、その落ちる先にあるものは、、、鹿威し。
「カコーン」と控えめな可愛らしい音が響く。
これに心を動かされない人がいるだろうか。素晴らしい取り組みである。
コロナ禍が過ぎ去っても、この取り組みは継続して頂きたいものだ。
狛犬
珍しい態勢でこちらを睨みつけている狛犬を発見した。今にも飛び掛かって来そうな勢いを感じる。
これは出雲構え獅子と呼ばれるタイプの狛犬で、勧請元の熊野大社もこのタイプだ。こだわりが伝わる。
拝殿
内参道を抜けたところ、境内の中央に南向きにの拝殿。
庇の部分が新しそうだ。メンテナンスが行き届いているようで嬉しい。
拝殿前の狛犬
拝殿前の狛犬は構え獅子ではなかったが、マスクをしていた。
宮司さんの立案か、氏子さんの立案かはわからないが、このような独自性がそこかしこに見える面白い神社だ。
大注連縄
熊野大社の大注連縄には敵わない。とはいえ、結構な重量感を醸し出しているし、何より美しい。
拝殿内部
錦の御旗と金幣が鮮やか。
当社は拝殿と本殿が分割されたタイプなので金幣の向こう側は窓となっていて、窓越しに本殿を拝する格好だ。
二拝二拍手一拝。。。
本殿
中門の奥に本殿が聳える。透き塀が高く、本殿の全容は見ることができない。
一説によると、本殿は勧請元である島根県の熊野大社本殿を採寸して縮小したらしい。すなわちミニチュア。よって大社造りとなる。ここにもこだわりを感じる。
大社造りの特徴の一つであるところの、本殿への階段に取り付けられた霜除け屋根の位置が右に寄っているかどうかを確認したいところではあるが、、、うーん、微妙な感じではある。
境内社の御紹介
境内社は、本殿右側の赤い鳥居の参道にまとめられている。
福徳大明神
この内参道に入ってすぐの右手に祀られているのが福徳大明神。ご祭神は大巳貴命(大国主命)。
その「福徳大明神」という神名から推察するに、創祇当初は大黒天と習合した大国主命を福の神として祀ったものと推察するが、縁結びの神としての側面も無視してはならないと感ずる、、、
櫛名田昆売神社
櫛名田昆売大神を祀る櫛名田昆売社。ご利益は「えんむすび」。当社の主祭神である素戔嗚尊とは夫婦の間柄であることから縁結びの神として祀られているのだろう。
そもそも 櫛名田昆売は櫛名田や奇稲田の神名から農耕の神であったと考えられている。
白玉大明神
赤い鳥居の内参道を進んだ一番奥に鎮座するのが白玉大明神。狐の狛犬でもわかる通り稲荷社である。
祭神は宇迦之御魂神で食物を司る神。現代では商売繁盛の神として祀られることが多い。
古事記によると宇迦之御魂神は須佐之男命の子神。しかし櫛名田比売命との子ではなく、次の奥さんである神大市比売との子とされている。
至近距離に、夫と別の女とが作った子が祀られているという状況である。櫛名田昆売大神はどんな気持ちでいらっしゃるのだろうか、、、
縁結びグッズ
当社は縁結びを前面に押し出す戦略を取っている。
若い世代に神社参りを身近に感じて頂き、さらに習慣化してもらおうとするならば、まずは縁結びから。そして、結婚、子宝、安産、七五三、地鎮祭、棟上式へとつなげるという戦略だと推察した。
地道ではあるが正攻法な戦略と考える。
縁結び絵馬
ずらりと掛けられたハート型の絵馬。木製と紙製のものがある。
デザインも何パターンかあるようだが、詳しくはわからない。申し訳ない。
むすびみくじ
えんむすびみくじは、初穂料200円。
少し高いと思われるかもしれないが、おみくじを開くと中に御守りが入っている。これは嬉しい。
だからなのか、えんむすびみくじが絵馬の何倍も括りつけられていた。
愛の南京錠
ガチャガチャの中に、ご祈祷済の小さな愛の南京錠が入っている。
初穂料500年を投入してガチャガチャ。南京錠に二人の名前を書いて奉納するとよいとのことだ。
その他
境内には、他にも見どころや気になる物があった。
簡単にご紹介しておこう。
おみくじ売り場の様子
当社のおみくじは、コロナの影響もあってバーコード決裁で購入可能となっている。
このようなブログを運営している関係で、一般的な人よりも神社参拝の機会は多い私であるが、このような光景は見たことがない。
殺風景に見えなくもないが、神社も参拝者も現金を取り扱わなくてもよく、人とのコミュニケーションが苦手な人にとっても助かるシステムではないだろうか。
このようなスタイルは、ある意味で進化なのかもしれない。
ただ、パーコードの大きさを揃えるとか、一枚の木製ボードに綺麗に貼り付けるとか、見栄えの工夫が必要かとは思う。
ピザ窯
こちら、へっついさんプロジェクト実行委員会と称する団体が設置した?ピザ窯。
地域住民が神社の境内に集い、一緒に準備し、一緒にピザを焼き、一緒にピザを食べ、一緒に片づける。これを通して地域のコミュニケーションを深めたいというのが狙いのようだ。
あたたかいプロジェクトだと感じた。
と同時に、幼い頃の記憶ではかつての神社はそのような場だったはずで、それを取り戻す取り組みでもあると感じた。
木の洞
南の鳥居近くにあるご神木の根元に洞があり、中に小さな神鏡が置かれていて何やら祀られているようだ。
木の洞が女陰のようにも見えるため、子宝の神が祀られるか。
古代人は、体内に新たな命を宿し、この世に産み落とす女性に対して一種の神性を感じ、畏敬の念を覚えていたはずだ。土偶が女体であることからも想像できよう。
このご神木には、そのような気配が感じられる。
最後に
生野区桃谷の弥栄神社は、古くは疫病退散を祈願する神社、そして今は縁結びの神として、でも古今変わらず桃谷の人々の信仰を集め、また親交を深める、いい神社であった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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