桑津天神社|大阪|少彦名神を祀る天神社ここにあり!

桑津天神社は、大阪市東住吉区桑津にある神社。

古墳時代の大王「仁徳天皇」とその后の「髪長姫」に由来する、歴史ある由緒正しき古社でありながらも、桑津の里の産土神として地域に溶け込み地域住民に愛される神社として今を生きる神社である。

それは、鳥居から拝殿までの参道が桑津公園(児童公園)として利用されている様子からも伺える。

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桑津天神社について

桑津天神社の概要

  • 所在地    大阪府大阪市東住吉区桑津3丁目4−17
  • 電話番号   06-6719-3959
  • 主祭神    少彦名命
  • 社格     村社
  • 公式HP     なし

桑津天神社  アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄南大阪線「河堀口駅」徒歩8分
  • JR阪和線「美章園駅」徒歩9分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスは容易
  • 駐車場なし

桑津天神社の祭神

現在の祭神は、主祭神に少彦名神すくなひこなのかみを祀り、

近隣神社の合祀によって、菅原道真、須佐之男命、奇稲田比売命くしなだひめのみこと野見宿禰のみのすくね天児屋根命あめのこやねのみこと布刀玉命ふとたまのみこと天宇受売命あめのうずめのみこと猿田毘古神さるたひこのかみ経津主命ふつぬしのみこと健甕槌命たけみかづちのみことの合計11柱の神々を祀る。

少彦名神

記紀によると少彦名神は、

天地開闢(始まり)のときに現れた最も尊い三柱の神(造化三神)の内の、タカミムスヒ神もしくはカミムスヒ神の子神。よって天津神=天神

大己貴命(大国主命の若い頃)と兄弟の契りを交わして、 大己貴命と共に諸国を巡って国造りをした。

各地で農耕を広め、酒造を広め、医薬を広め、温泉を掘るなどという先進技術を伝えたのち、常世国に行ってしまったという逸話から、大陸からやってきた渡来神ともいわれている。

また、海の彼方からガガイモの船に乗ってやって来たという逸話からエビス神(漂着神)と習合したりもする。

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神田明神にあるモニュメント。波に乗る小さな金色の神が少彦名命。

合祀された神々

以下、簡単にご紹介しておく。

菅原道真公 >>> 平安時代の政治家で、全国の天満宮に祀られる。神名は天満大自在天神。こちらも天神と称されるため紛らわしい。日本三大怨霊の一だが、今は学問の神として信仰を集めている。

須佐之男命 >>> 伊邪那岐命の子。姉が天照大神、兄が月読神。粗暴・悪行の罪により天界から追放され、出雲で国津神のドンとなる。仏教の牛頭天王と習合したため疫病除け厄除けのご神徳を持つ。

奇稲田比売命 >>> 八岐大蛇の生贄になるところを須佐之男命に助けられ、須佐之男命の妻となる。須佐之男命とのセットで縁結びの神として祀られることが多い。

野見宿禰 >>> 出雲出身の怪力の持ち主。天覧相撲で大和国一の力士を蹴り殺して勝利したため垂仁天皇から取り立てられた。埴輪を発明したことで土師氏の氏を賜り、以降、皇室の葬儀式・古墳の造営など一切を任された。菅原氏の祖。

天児屋根命 >>> 天岩戸神話など神代の神話に度々登場する。祝詞奏上などの祭祀に係る神。中臣氏の祖。中臣氏の祖であるからして藤原氏の祖。子孫繁栄の神とも言えようか。

布刀玉命 >>> 天太玉命とも。天児屋根命と同じく天岩戸神話・天孫降臨神話に登場する祭祀を司る神。忌部氏の祖。

天宇受売命 >>> 同じく、天岩戸神話・天孫降臨神話に登場する女神で猿田彦の妻となったとされる。記紀に描かれる様子から、巫女の祖・芸能の神とされる。ストリップの元祖などとも、、、

猿田毘古神 >>> 天孫降臨神話に登場する伊勢の国津神。天から降りてきた瓊瓊杵尊を道案内したことにより、導きの神・道開きの神とされる。

経津主命 >>> 葦原中国平定神話(出雲国譲り)で、武甕槌神とともに大国主に国譲りを迫った軍神。中臣氏の氏神とされる。

健甕槌命 >>> 同じく 葦原中国平定神話(出雲国譲り)で 、国譲りに反対した建御名方命(大国主の息子)を蹴散らし諏訪に追い込んだ軍神。こちらも中臣氏の氏神とされている。

桑津天神社の創建

創建伝承は以下の通り。

この桑津の里は、仁徳天皇の妃である髪長姫が居住した場所。

髪長姫が病気になったため、仁徳天皇が医薬の神である少彦名命に病気平癒を祈願した。すると瞬く間に病気は快癒。よって、当地に少彦名神を祀るようになったとか。

これが史実だとすると、4世紀末ごろの創祇ということとなろうか。

しかしながら、当社地は髪長姫の宮跡ではない。

ここから南南東へ400mほどのところにある桑津会館あたりに金蓮寺という寺院があって、そこが宮跡とのこと。

明治の廃仏毀釈運動の中で廃寺となった際に、境内にあった応神天皇と髪長姫を祀る社が当社地に遷された。(境内社の八幡宮がそれ)

仁徳天皇の妃なのに、なんで応神天皇と祀られるのか。。。それは後述することにしよう。

桑津天神社のご利益

このような由緒のある桑津天神社であるからして、ご利益は少彦名命のご神徳であるところの病気平癒・健康増進である。

合祀されている神々のご神徳より、学業向上、厄除け、縁結び、出世開運、スポーツ向上、勝運向上などのご利益も頂けよう。

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桑津天神社 参拝記録

当社には駐車場はなさそうであるからして、神社の西100mにあるコインパーキングを利用しよう。

鳥居

社殿から南へ100mに鳥居がある。ここが正面玄関となる。見えている広場が桑津公園。当日も幼稚園ぐらいの子と母親が遊んでいる。

50数年前、私も神社の境内が遊び場だったことを思い出した。

八王子社

鳥居をくぐった左手にあるのが八王子社。祭神は須佐之男命・歳徳神とのこと。

歳徳神としとくじんとは陰陽道の神で、その年の福徳を司る神。牛頭天王ごずてんのうの妻であるところ頗梨采女はりさいじょであるとの説がある。

牛頭天王ごずてんのうと須佐之男命は習合して同一と見なされるため、 頗梨采女はりさいじょは須佐之男命の妻の奇稲田姫命とも言える。

よって、当社の祭神は須佐之男命と奇稲田姫命とも言えるし、牛頭天王と頗梨采女はりさいじょだとも言えるということになる。

そして、牛頭天王ごずてんのう頗梨采女はりさいじょの子が八王子であるからして、この八王子社は八王子の両親が祀られていることになる。

八王子社といいながら八王子が祀られていない?奇妙ではある、、、

注連柱

一般的にはここから入るのだろう。鳥居から入って参拝する人はいない。

ご神木

注連柱の後ろに、2本のご神木が聳える。2本の木の間に立つと、なかなかに気持ちがよい。

拝殿

シンプルな拝殿ながらもバリヤフリーが施された、人に優しいケアフルな拝殿である。

拝殿内部

拝殿外部はちょびっとくたびれた感があるが、内部は美しい。リフォームされたのかも。完全なるシンメトリーが抜群の安心感を醸し出している。

垂れ幕には鳳凰紋。鳳凰紋とは珍しいと思う。がしかし、その由来は不明だそうだ。

二拝二拍手一拝。

本殿

覆屋が大きくて、本殿の屋根しか見えない。大切にされている様子だ。

これは本殿裏の画像だが、ここにも賽銭箱と鈴が設えてあった。裏口参拝である。

境内社の紹介

境内社は、本殿の左右に一社ずつ。

八幡宮

まずは八幡宮。本殿の右に鎮座する。祭神は応神天皇と髪長姫の二柱

前述の桑津宮跡から遷されたというのがこの八幡宮である。

橘と櫻の石板

神殿前の左右に「橘」と刻まれた石板と「桜」と刻まれた石板が置かれている。

普通はそれぞれ生木を植えるものだが、、、これはこれで趣がある。

何百年か経ったら「神が宿るパワーストーン」なんて言われて当社の目玉スポットになるやもしれぬ。長期的な戦略なのかもしれない。

神殿

ここに応神天皇と髪長姫が鎮まる。

応神天皇と、仁徳天皇の妃である髪長姫の関係はというと、、、

日向に絶世の美女がいると聞いた応神天皇は、早速その姫を呼び寄せて桑津の里に住まわせた。
その姫を見て一目ぼれしたのが大鷦鷯命おおささぎのみこと(後の仁徳天皇)。こっそりと深い関係になってしまった。
父の応神天皇はそれを知って、姫を息子に譲った。

ということだが、未練タラタラであったことは想像に難くない。

後世の人が、神となった二人を合わせ祀ることで応神天皇の思いを遂げさせてあげようとしたのではなかろうか、と想像する次第である。

稲荷社

本殿の左手に鎮座するのが、赤い鳥居の列でお馴染みの稲荷社である。

伏見稲荷大社からの勧請であろう。菊姫大神と名付けた宇迦之御魂神が祀られているようだ。

稲荷社の真裏に小さな祠があった。

社名・祭神ともに不明。近隣から遷してきたものか。

遥拝所

神社の東端に遥拝所がある。伊勢の遥拝所かと思いきや天満宮と刻まれた石碑が、、、

桑津天神社は少彦名命を祀る正真正銘の天神社であると思っていたので、ここに天満宮の天神が特別扱いされて登場するとは、、、少なからずがっかりした。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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