安倍晴明神社|大阪|陰陽師「安倍晴明」生誕の地で厄払いを!

2021年4月15日

安倍清明神社は、大阪市阿倍野区阿倍野元町にある、平安時代に活躍した陰陽師「安倍晴明」を祀る神社である。阿倍野は天王寺の南に広がるエリアで、飛鳥時代の一時期には古代豪族の阿倍氏の本拠があった場所。よってその後も阿倍氏ゆかりの地となっていて、安倍晴明はここ阿倍野で生まれたと伝わっている。

パワースポットとして有名な京都の晴明神社は安倍晴明の邸宅があった場所。彼の華々しい活躍の余韻を今に残す素晴らしい神社だと感じたが、生誕の地にある大阪の安倍清明神社は華やかさではなく、しっとりとした中に侘しさや虚しさを感ずる神社であった。

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安部晴明神社について

安倍晴明神社の概要

安倍晴明神社 のアクセス

最寄り駅

  • 阪堺電気軌道上町線「東天下茶屋駅」徒歩2分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスは容易。
  • 駐車場なし(近くの阿倍王子神社の駐車場が開いていればラッキー)

安倍晴明神社の概要

安倍清明神社の創建

創建年代は、寛弘4年(1007年)。安倍晴明が亡くなった2年後のことである。

社伝「安倍晴明宮御社伝書」には、

「安倍晴明が亡くなったことを惜しんだ上皇が、その生誕の地に晴明の子孫に命じて祀らせた」

と記されている。

それ以降、晴明の子孫であるところの保田家が代々社家として奉斎し守り続け、江戸時代には代々の大阪城代が就任時に参拝に訪れるほどの有力な神社となった。

がしかし、幕末の混乱期になり保田家の没落とともに神社も急速に衰退。一時期は石碑と小祠を残すのみとなっていたらしい。

復活したのは大正10年(1921年)のこと。阿倍王子神社の末社として認可され、保田家から社地を譲り受けて社殿を造営した。

安倍晴明神社の祭神

いうまでもなく、安倍晴明公が祀られている。

浄瑠璃や歌舞伎の中で描かれる晴明生誕伝説では、父は安倍保名、母は葛の葉だが、「安倍氏系図」なるものには、安倍益材と記されている。いずれにしても、安倍晴明は古代豪族阿倍氏の末裔のようだ。

生誕の地は、ここ摂津国阿倍野という説が有力だが、奈良県桜井市安倍(安倍文殊院がある)であるという説も。

成人すると、陰陽師「賀茂忠行」に弟子入りして天文道を修得。

占いや陰陽道の儀式の効力高く、村上天皇、花山天皇、一条天皇、藤原道真など、天皇や権力者からの信頼を得て、師匠筋である賀茂家に並ぶ陰陽師の大家としての地位を晴明一代で築き上げたすごい人。

安倍晴明神社のご利益

陰陽師である安倍晴明を祀る神社であるからして、魔除け、厄除けのご利益があるとする。

また、道真公に並ぶとも劣らない大秀才だったので、学問の神としても信仰を集める。

太平洋戦争の末期、このあたりにも米軍の空襲があった。当社地にも焼夷弾が落ちたが不発に終わり、「災難除けの神」として徳が大いにあがったと聞く。

五芒星のお札の効力?

私事で恐縮ではあるが、、、

私が勤める事務所は夜になると頻繁に不思議な事が起こっていた。廊下を歩く音、ドアが閉まる音、キーボードをたたく音が、誰もいない方向から聞こえてくるのである。それだけではない。精神や身体の病で出勤できなくなる人も。。。

霊能者に見てもらったところ、盛塩をして、五芒星のお札を貼ると良いとのこと。さっそく安部晴明神社のお札を頂きに上がり、事務所に貼り付けた。

間もなく、そのようなことは起こらなくなった。

お札をお祀りして12年が経つ。事業も発展している。ありがたいことと感謝している。

偶然かもしれないし、そうでないかもしれない。しかし少なくとも私は、安部清明神社のお札のお蔭だと信じている。

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安倍晴明神社 参拝記録天王寺

天王寺駅前から南へ伸びる大通り「あべの筋」を南下すると、「松虫」という交差点がある。

その交差点付近のコインパーキングに駐車すれば、どこに駐車しても徒歩5分以内で神社に辿り着く出だろう。

公共交通機関なら天王寺駅前から阪堺電車上町線、通称「チン電」に乗ることをお勧めする。

たった3駅ほどの乗車だが、路面を走るこの雰囲気は、我々世代にはノスタルジックでよろし。

若い方々は逆に新鮮な気分を味わえるだろう。

最寄り駅は「東天下茶屋」。

天下茶屋の由来は、、、

秀吉が立ち寄った茶屋の茶が大層うまかったので大絶賛したことから、太閤殿下の殿下茶屋とか天下人の天下茶屋と呼ばれるようになったのが始まりだとか。

さて、駅と神社の位置関係は下図の通り。

阿倍王子神社の位置も記しておいた。というのも、安倍晴明神社は阿倍王子神社の末社であり、二社に参拝することを基本とするからである。また、安倍晴明神社は無人のことがあり、御朱印やお札などは阿倍王子神社で授けてもらわなければならないこともあるからだ。

鳥居

旧熊野街道に面して立つ鳥居。間口が狭く奥に長ぼそい境内であることが判る。鳥居の左脇に「安倍晴明生誕伝承地」の石碑が立つ。

泰名稲荷神社

泰名稲荷神社

鳥居をくぐるとすぐ右手に稲荷社がある。泰名稲荷神社だ。

祭神は、泰名稲荷大神と名付けられた宇迦之御魂神と推察する。稲荷社の多くは伏見稲荷大社からの勧請なのだが、頂いたご分霊に自由に神名をつけていいことになっている。

よってこちらでは、歌舞伎や浄瑠璃に登場する晴明の父「安倍保名あべのやすな」の名にちなんで泰名やすな稲荷大神と名付けられたということであろう。

拝殿・本殿

二拝二拍手一拝。身に降りかかっている厄災、これから降りかかるかもしれない厄災の一切を祓っていただこう。

最近気分がすぐれないというような人、もしかしたら生霊や悪霊のたぐいが付いているやもしれぬ。魔除けの神様に祓っていただこうではないか。

産湯井跡、生誕の地の碑、鎮石(孕み石)

左から、安倍晴明公産湯井の跡安倍晴明生誕の地の碑鎮石(孕み石)

これらは、摂津名所図会大成に掲載されている「安倍晴明小祠」の境内にも見える。

摂津名所図会大成は、幕末の安政2年から書き始められたものであるからして、この様子はそのころの安倍晴明神社ということである。

大きな木の手前に「安倍晴明生誕の地」と刻まれた石碑が見える。おそらくは現存のものだろう。

大木の右手に「産湯井」が見える。現在の産湯井の跡は、当時の場所から移動しているようにも思えるが定かではない。

本社に左手前に描かれている。結界が張られた石が「鎮石」だろう。

古代、船のいかりとして使ったもので、安産を祈願して帯を「しめる」(鎮める)と掛け、孕み石とも呼ばれている。かつては、厄除や学問だけでなく、子宝・安産祈願でも賑わったという。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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