豊国神社|京都|京都で出世を祈願するならアクセス良好で駐車場完備の豊国神社で決まり!

2020年12月16日

豊国神社は、京都市東山区の茶屋町に鎮座する神社。東山三十六峰の一つに数えられる阿弥陀ヶ峰の麓に位置する。

当社の唐門は国宝に指定されている。また、北に隣接する方広寺ほうこうじには、日本三大梵鐘に数えられ豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘があり、境内の東(本殿裏)には東山大仏殿跡がある。また、秀吉の朝鮮出兵の歴史を今に伝える耳塚が参道脇に。

さらに、南に隣接して国立京都博物館があり、その南には、国宝づくしの三十三間堂が。

八坂神社エリアや清水寺エリアに比べるとマイナーではあるが、歴史的にも芸術的にも見どころ一杯のエリアであるからして、ここで一日を費やしても、けっして惜しくはなかろうと感ずる。

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豊国神社について

豊国神社の概要

  • 所在地    京都府京都市東山区茶屋町530
  • 電話番号   075-561-3802
  • 主祭神    豊臣秀吉
  • 社格     別格官幣社・別表社
  • 公式HP    なし

豊国神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 京阪電鉄 七条駅 徒歩8分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスに問題なし
  • 駐車場あり(無料)

鳥居の左側にスロープがあり、そこから境内へ。参拝者は無料。車を停めたまま、境内から出て近隣のスポットに行かれる場合は社務所に声を掛けること。その場合は駐車料金は有料となる。

豊国神社の祭神

祭神は、豊国大明神。すなわち、豊臣秀吉公である。

豊臣秀吉が亡くなったのが慶長3年(1598年)。翌年の慶長4年(1599年)に、朝廷から豊国乃大明神とよくにのだいみょうじんという神号が授けられ、秀吉は神となった。

自分を新八幡として祀るよう遺言したと伝わるが、その願いは叶わなかったということになる。それもそうだろう。八幡とは応神天皇。となれば天照大神と並ぶ皇祖神であるからして、それに等しい神号を与えるわけにはイカンだろう。

その代わりなのかどうかはわからないが、しょう一位の神階が授与された。最高位の神階が最初から与えられたのである。

徳川家康にも、東照大権現という神号を与えられ、正一位の神階が与えられたことを付け加えておく。

豊国神社の創建

慶長3年(1598年)、秀吉公の遺言により、自らが建立した東山大仏を見下ろす阿弥陀ヶ峰の山頂に埋葬された。そして、その阿弥陀ヶ峰の中腹に壮大な廟所が建立された。これが創祇となろう。

建立に際しては、秀吉公の死去が伏せられていたため、大仏の鎮守社という名目で建設が開始されたらしい。

完成した社は、秀吉の死が公表されて新八幡社と号したが、前述の通り新八幡の神号が下りなかったため、豊国神社と改名されたという。

豊臣家が滅亡したあとは、徳川家康によって豊国大明神の神号は廃止され、豊国神社も閉鎖。江戸時代を通して再建されることはなかった。

しかし、明治天皇が秀吉を「皇威を海外に宣べ、数百年たってもなお寒心させる、国家に大勲功ある今古に超越するもの」と褒め讃え、豊国神社が再興されることとなり、かつて大仏殿があった現在地に社殿が造営され再祀となった。

と同時に、大阪にも別院として豊國神社ほうこくじんじゃが創建された。

豊國神社|大阪|出世の神様といえば豊臣秀吉!

豊国神社のご利益

京都十六社の一つである。

秀吉公の出世にあやかって、立身出世・仕事運向上のご利益を求めるのは当然のことであろう。

神号下賜宣命では「豊国大明神」とは兵威を異域に振るう”武の神”と説明されたと聞く。であるならば、勝負運の向上を求めたいところである。

 

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豊国神社 参拝記録

七条通りから奈良街道に入って北上すること280m。広い道路が右に伸びる交差点に出くわす。その違和感のある広い道路が豊国神社の参道だ。

参道の正面に大鳥居が見える。

大鳥居

この鳥居の右側から境内に入り、社務所前に駐車することができる。

鳥居をくぐると、このような風景。正面に唐門が見える。境内は広い。そして余計なものがない。

手水盤には五七の桐の神紋が刻まれている。五七の桐は皇室の副紋で、天皇家に貢献した臣下に授与された。例えば、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。

秀吉は他の武将と違って、名のある家の出自ではない。そのため、五七の桐紋を切望したであろう。

今、日本政府の紋章となっている。

水口は瓢箪。瓢箪は秀吉の旗印。コロナ禍で、こんな無粋なことになってしまっている、、、

唐門

金の細工が美しい唐門は国宝である。

元々は伏見城の門だったものと伝わる。その当時は、極彩色の彫刻と謹白で飾られた絢爛豪華なのだったそうだ。伏見桃山文化というヤツだ。

伏見城が廃城されたあと、二条城に移され、次に南禅寺の金地院へ、そして明治の再建後の当社に移された。あるべき場所に帰ってきたということになろうか。

木造建築物は燃えやすいというデメリットはあるが、木造だからこそ、解体して修繕して組み直すことができる。だから長持ちする。日本建築の素晴らしい所だと私は思う。

拝所から

前述の唐門が拝所となっている。ここから先には進めない。正面にあるのは拝殿だろうか。その奥が本殿?

二拝二拍手一拝。コロナウイルス退散を願う。そして個人的な祈願もさせていただいた。

ちなみに、正月の三が日だけは、唐門から中に入ることができるとのこと。

貞照神社

唐門の拝所からだと、こんな感じにしか見えないのだが、、、本殿の南隣に、貞照神社が鎮座している。

祭神は、北政所従一位准后豊臣吉子。すなわち、秀吉公の正室の「おね様」。

従一位もスゴイことだが、准后という称号はトンでもない称号である。これは、太皇太后、皇太后、皇后に准じた扱いを受ける称号だからだ。明治政府の政策的な判断があったとは言えスゴイ。

ちなみに、創建は大正14年だそうだ。

瓢箪絵馬

瓢箪の馬印に、瓢箪絵馬が掛けられている。全国統一間違いなしだ。

稲荷社

どこの神社にもある稲荷社。神社だけではない。工場の片隅に、会社の屋上に、かつて私が幼少のみぎりには、長屋が集まる集落の広場には必ず稲荷社の小さな祠が祀られていたのを記憶している。このように様々なところで稲荷社が祀られているのを目撃する。

これは、個人でも勧請できるシステムを導入すると同時に、正規ルートだと正一位という最高神階を掲げることができるシステムを構築したからだと聞くが、定かではない。

こちらは、正一位 榎本大明神えのもとだいみょうじんとして宇迦之御魂神うかのみたまのかみを祀っている。このように、神名を自由に付けることができるのも魅力の一つと言えよう。

ちなみに、この建屋の中に入ると集中力を得ることができると感じた。何で?と問われても答えることは出来ない。感じただけのことだ。

方広寺の梵鐘

豊国神社の北隣、稲荷社の柵を隔てた隣にある方広寺の梵鐘がこれ。

日本三大梵鐘のひとつとされる日本最大級の梵鐘だが、それ以上に方広寺鐘銘事件の方が有名ではなかろうか。

徳川幕府が開幕された後の慶長19年(1614年)、豊臣家によって再建された方広寺の梵鐘に、家康を冒涜する言葉が刻まれていると難癖をつけられ、結果、豊臣家の滅亡を招くという、方広寺鐘銘事件だ。

家康を冒涜する言葉とは「国「君臣豊楽」「家康を分断せしめ、豊臣を君主とすと読み、徳川への冒涜であるという、徳川方の主張だ。

一般的には、徳川将軍家からの言いがかり、難癖、無理難題、などと描かれることが多いが、氏、姓、名は、今よりもずっと大切にされていた時代であり、かつ、政局的にも不安定極まりないこの時期に、このような一節はあまりにも無神経というかガードが甘いというか、豊臣方家臣の落ち度は否めないと私は思うが、、、

 

立身出世をお望みならば、京都の豊国神社に参拝されることをお勧めする。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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