相撲神社|奈良|相撲の発祥の地

2020年8月25日

相撲神社は、奈良県桜井市穴師にある神社。

ここは、日本最古級の神社「穴師坐兵主神社」の神域内であるからして、穴師坐兵主神社の境内摂社という位置づけとなる。

垂仁天皇の御代に、ここで日本初の天覧相撲が行われたことから、日本の国技「相撲」の発祥の地と言われている。

全国の相撲競技者のみならず、スポーツに係る人々、勝ちたい人々の崇敬を集める神社であるからして、穴師坐兵主神社への参拝時には、合わせて訪問頂きたいと思う。

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相撲神社について

相撲神社 概要

  • 所在地  奈良県桜井市大字穴師
  • 電話番号  0744-42-9111
  • 主祭神  野見宿禰
  • 社格   なし
  • 公式HP   なし

相撲神社のアクセス

MAP

最寄り駅

  • JRまほろば線「巻向駅」 徒歩20分~25分

駐車場

  • 道幅は狭いが問題なくアプローチできる
  • 駐車場あり

相撲神社の祭神

相撲神社の祭神は、野見宿禰(のみのすくね)

日本書記によると、

垂仁天皇の御代に、「自分より強い男と命を掛けた勝負がしてみたいものだ」と豪語する、とんでもなく強い男「當麻蹴速」(たいまのけはや)がおりました。

天皇は、群卿に命じて全国から強い男を探させました。そこで見つかったのが出雲の野見宿禰です。ヤマトに連れて来られた野見宿禰は、早速、天皇の御前で相撲対決をすることになりました。

蹴り合いが始まりましたが、野見宿禰の中段蹴りが炸裂し當麻蹴速の肋骨が折れました。そして、もんどりうった當麻蹴速の腰を踏み折り、殺してしまいました。

これが日本初の天覧相撲といわれる由縁であり、この取り組みが行われた場所が当地であるということらしいが、蹴り殺すとは、今の相撲とは全く異なる格闘技と言えよう。

そもそも「當麻蹴速」という名前からして、華麗なる蹴り技を機関銃のような秒速で繰り出す様を彷彿とさせる名前である。

これらから、私はテコンドーをイメージした。

穴師坐兵主神社にも同じ匂いを感じたが、こちらにも渡来系の匂いがするではないか。

さて、野見宿禰は相撲(テコンドー)が強かっただけではない。

当時、高貴な人が無くなったとき、その従者たちが墳墓の周りに行きながら埋められるという「殉死」の慣習があった、そのような慣習やめることにした天皇は、群卿に画期的な対策を求めた。

そこで、人や馬の代わりに「埴輪」を埋めることを提案したのが、野見宿禰。

それ以降、野見宿禰の一族は天皇の埋葬関連を取り仕切る役割を任されることとなり、土師臣と姓を改え、古墳時代の多くの古墳を造営することになる。

この土師氏の末裔に菅原道真公が登場するのだが、それは別の話としよう。

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相撲神社 参拝記録

穴師坐兵主神社から坂道を下ること300mほど。穴師坐兵主神社の鳥居の横に、相撲神社の鳥居も立っている。

駐車スペースも、あるから安心だ。

穴師坐兵主神社までの道程は、こちらの記事をご参照頂きたいと思う。

相撲神社の鳥居

鳥居の奥は草がボウボウ。

コロナ禍で、大相撲も盛り上がりに掛けるし、体を接触させるスポーツだからアマチュア相撲も自粛ムード。参拝者がほとんどいらっしゃらないのだろうと思われる。

ライオンズクラブが寄贈した土俵入り力士像も、虚しさを覚えるのみである。

相撲神社の社殿

ここまで、神域全体の寂れ感は否めないものがあったが、意外に社殿や狛犬は新しい。

だからだろうか。外から遠望する雰囲気とは異なり、生き生きとした生命力を感ずる社殿である。

二拝二拍手一拝。コロナウイルス退散を祈りつつも、我が娘の競技力向上を祈願した。

聖なる土俵

境内に、ブルーシートに覆われた場所があった。どうやらそこが土俵のようだ。

参拝時は、それが土俵だとは気が付かず画像を取り損ねてしまった。。。

しかし、ブルーシートとはいただけない。すべての雰囲気を台無しにしてしまうではないか。。。

簡単ではあるが、相撲神社のレポートを終わらせていただく。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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