蟻通神社|和歌山|

2020年3月3日

蟻通神社は和歌山県田辺市湊にある神社。商店街の中にあり、地元の人々からは「ごりょうさん」と呼ばれて親しまれている地域密着型の神社である。

蟻通神社という神社は、大阪の泉佐野、和歌山のかつらぎ町にもある。社名の由来も同じような内容だが、主祭神は3社とも異なるから面白い。

まずは、田辺の蟻通神社をご紹介しよう。

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蟻通神社について

蟻通神社 概要

  • 所在地  和歌山県田辺市湊19−6
  • 電話番号  0739-24-5072
  • 主祭神  天児屋根命
  • 創建年    766年(伝)
  • 社格   村社
  • 公式HP   https://www.facebook.com/aritoshitanabe/

蟻通神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JRきのくに線「紀伊田辺」徒歩5分

駐車場

  • あり(無料) 狭いよ。

蟻通神社の創建

社伝によると、766年(天平神護元年)の勧請で、御霊牛頭天王社と称されたと伝わる。勧請というからには、勧請元があるはずだ。それがどこかはわからない。

  • 室町時代(1350年代頃)に編纂された「神道集」に「紀伊国田辺の蟻通明神」が見える。
  • 1839年に完成した「紀州続風土記」に、「蟻通明神社 湊村の地主神といふ」と紹介されている。
  • 明治元年。神仏習合的な「明神」を取っ払って「蟻通神社」に改名した。

であるからして、江戸時代の一時期に御霊牛頭天王社と呼ばれていたのであろう。

蟻通しの由来

次のような伝承が、境内に掲げてあった。

むかしのことです。

ここ紀州田辺に外国の使者がやってきました。
その使者は『今から出す問題を解いてみよ もし解けなければ日本国を属国にしてしまう』といいました。そして、持ってきた法螺貝を出して、その貝に一本の糸を通すことを命じました。

日本の神がみは、この難問にたいへん頭を痛めました。その時、ひとりの若い神様が前に進み出て『私が法螺貝にその糸をその糸を通してみせましょう」といって貝の口からどんどん蜜を流し込みました。
蜜は、貝の中の複雑な穴を通り抜けて貝尻の穴へと流れ出しました。そして、この若い神様は蟻を一匹捕らえて糸で結び貝の穴から追い込みました。蟻は甘い蜜を追って、複雑な貝の穴を苦もなく通り抜けました。蟻の体には糸が結ばれていますから法螺貝には完全に糸が通ったのです。

これを見た外国の使者は『日の本の国はやはり神国である』と恐れその知恵に感服して逃げ帰りました。

日本の神がみは、たいそう喜んで『我国にこれほどの賢い神があるのを知らなかった』といって、その若い神様の知恵をほめました。そして、蟻によって貝に糸を通したことにより蟻通しの神と申し上げるようになりました。

今では知恵の神とあがめられています。

橋本觀吉さん(文)

蟻通神社の祭神

主祭神は天児屋根命。

中臣氏(藤原氏)の祖神として、全国の春日神社系に祀られる神。

記紀では、天岩戸神話で天岩戸の前で朗々と祝詞を奏上した神として登場する。後世、神事を司った中臣氏の祖神に相応しい。

がしかし、前述の逸話に登場する智恵の神が天児屋根命かというと、、、

配神に、

  • 西宮大神・・・えびす神(商売繁盛)
  • 市杵島姫命・・・かつての弁財天(財福、芸能の神)
  • 品陀和気命・・・応神天皇(武運長久の神)
  • 息長帯姫命・・・神功皇后(安産の神)
  • 火具土命・・・火の神だが、火伏せの神として祀られる
  • 須佐之男命・・・疫病除けの神。牛頭天王と習合。
  • 住吉大神・・・全国の住吉神社の祭神(航海安全の神)
  • 地主神・・・この神が蟻通神社本来の祭神か?(であれば、知恵の神)
  • 菅原道真・・・全国の天満宮の祭神。(学問の神)

これらの祭神は、本殿にも祀られつつ、境内社にも祀られている。
(というようなシステムと思われる)

蟻通神社のご利益

蟻通神社のご神徳は、当然ながら第一に「智恵の神」である。

そして、御霊さん時代のご利益である「疫病除け(健康)」であろう。

さらには、現在の主祭神から「出世」のご利益も頂こうではないか。

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蟻通神社 参拝記録

紀伊田辺駅から延びる商店街「駅前通り」を進み、五差路の交差点「湊」をキュッと右へ入る。これが両側に商店が立ち並ぶ「湊本通」である。

この道を200mほど進むと左手に鳥居が見える。蟻通神社だ。

駐車場

この鳥居の手前に2台ほど駐車可能なスペースがある。

後続車が無ければバックで駐車したほうがいいだろう。出る時が楽だからだ。

そこまで解説する必要は無いか。。。

手水舎

手水舎の右にある井戸の、石板の蓋に刻まれたほら貝と蟻さん。

霊樟(ご神木)

鳥居をくぐった所に聳える大楠は、「霊樟(れいしょう)」と呼ばれる楠。なんと樹齢は2000年を超えるとも。

江戸時代、安政元年に大きな地震があり、田辺は火災に見舞われた。その火の手が湊地区にまで及んだとき、この楠の幹や枝から白水が吹き出して延焼を食い止めたという伝承がある。

楠木神社と天満宮

霊樟の裏側には、楠木神社と天満宮が祀られていた。

拝殿

鳥居に背を向けて、海の方を向いて鎮座する本殿・拝殿。

二拝二拍手一拝。本日の商談の成功を祈る。

境内社合祀殿

拝殿のすぐ横に小さな鳥居があり、その奥に小さな祠が見える。ここに近隣から合祀された神社が祀られている。

前述の配神は、これらの神社の祭神であろう。

  • 八幡神社・・・品陀和気命、息長帯姫命
  • 八坂神社・・・須佐之男命
  • 愛宕神社・・・火具土命
  • 住吉神社・・・住吉大神

西宮大神宮

こちらが、西宮大神宮。西宮大神が祀られている。西宮大神とはエビス様とダイコク様のことを指す。

古代の民間信仰においては、海からの漂着神をエビスと呼んだらしい。クジラもエビス。

そういう意味で、田辺にエビスが祀られるは至極自然な事のように思われる。

木槌で木板を叩いて祈願すると、大神様に願いが届くのだそう。

そういえば、同じ田辺にある「闘鶏神社」境内社である「十日戎神社」も同じようなモノが置かれてあった。

大阪の今宮エビスでは、本殿裏に大きなドラがあって、それを叩いてから祈願するという風習がある。それは「えべっさんは耳が聞こえにくいかららしい」と、母から聞いたことがある。

この木板を叩く風習も同じ理屈だろうか。

謎のお稲荷さん

境内の隅に、キツネが向い合せに並ぶ祠がある。キツネなので稲荷社であると思うのだが、神社の案内に「稲荷」という文字はない。

逆に案内には弁財天社とあるが、弁財天社らしき祠は見当たらず。

この謎はいかに???

こちらが弁財天社であると結論付けるしかない。

おそらく、江戸時代までは宇賀弁財天を祀る神社だったのだろう。宇賀弁財天は、頭に宇賀神を乗っけた弁財天。宇賀を宇迦と解釈する向きもあり、宇迦之御魂神すなわち稲荷神となる。よってキツネが飾られる。

しかし弁財天にはかわりないので市杵嶋姫命に神名を変更した。

と、この推理は結構イケてると思っていたのだが、

当神社のフェイスブックにアップされた弁財天社の「例祭」画像を見ると、、、なんと、この祠ではなく、本殿横の合祀殿に供物を奉献されているではないか、、、

謎は解けぬままだ。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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