禍津日神|八十禍津日神・大禍津日神・八十枉津日神

禍津日神は、日本神話に登場する神道の神で、神道において最も嫌われる「穢れ」から生まれた神。よって災厄の神とされる。

禍津日神の神名

古事記では

  • 八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
  • 大禍津日神(おおまがつひのかみ)

日本書記 第五段第六の一書では

  • 八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
  • 枉津日神(まがつひのかみ)

日本書紀 同段第十の一書では

  • 大綾津日神(おおあやつひのかみ)

禍津日神の神格

まが=厄災、つ=の、ひ=神霊、ということで、「厄災の神」となる。

よって、

  • 厄災の神
  • 凶事を引き起こす神

禍津日神の正体

鎌倉時代の両部神道書「中臣祓訓解」(大祓詞の解説書)や、

平安末期から鎌倉時代初期に編纂された神道五部書の「倭姫命世記」「天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」「伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記」に、

『伊勢神宮内宮第一別宮の「荒祭宮祭神」の別名を「瀬織津姫」「八十禍津日神」とする』

という旨が記されている。

江戸時代の本居宣長も、禍津日神を祓戸神の一柱である「瀬織津比売神」と同神としている。

 

禍津日神のご利益

厄災を引き起こす神という解釈だけであれば、ご利益は無い。「触らぬ神に祟りなし」だ。

一方で、祓戸大神であるところの「瀬織津姫神」と同神であるとすれば、当然ながら「厄災除け」のご利益があらねばならない。

実際、厄災除けの神として祀る神社は多い。

民俗学者の折口信夫は、日本書紀に記されている裁判の手法の一種「盟神探湯」(くかたち)が、甘橿の「言八十禍津日(ことやそまがつひ)の崎」で行われることを指摘し、

「本来は邪神ではなく、呪詞が誤誦されたときにその伝誦の不正を示す神であった」

としている。

盟神探湯(くかたち)

古代の裁判で行われる証拠方法の一種。

被疑者や申立者のいずれかに、煮えたぎる泥の中にある小石を取り出させ、手がただれるか否かによって、それぞれの主張の真否を判断するという。

八十禍津日神が、罪のあるものの手をただれさせると考えたようだ。

平たく言うと、「良心や道徳を取り戻す」というご利益を頂けるという解釈になろう。

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禍津日神が登場する神話

古事記

伊邪那岐命は、亡き妻伊邪那美命を連れ戻すために、死者の国である「黄泉の国」に行く。

黄泉の国から生還した伊邪那岐命は、体にまとわりついている穢れを洗い落とすために、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で「禊」を行うことにした。

身に着けていた衣服や持ち物を脱ぎ捨ると、12柱の神々が成った。

そして、いよいよ海へと入る。

伊邪那岐命は「海面は流れが早い。海底は流れが遅い」と言い、中ほどまで潜って禊をしました。

すると、「八十禍津日神」(やそまがつひのかみ)が成りました。 そして次に「大禍津日神」(おおまがつひのかみ)が成りました。

この2柱の神は、黄泉の国へ行ったときに身に付いたから成った神です。

そのを直そうとして成った神の名は「神直毘神」(かみなおびのかみ)。

次に「大直毘神」(おおなおびのかみ)、そして「伊豆能売神」(いずのめのかみ)が成りました。

このように、穢れの神、そして、それを直すための神が生まれたのである。

この後、綿津見三神と住吉三神、そして三貴神が成るのである。

日本書紀 第五段 一書(6)

伊弉諾尊は、身に付いた汚れを祓うために、筑紫の日向の小戸橘の檍原で禊を行うことにしました。

汚れを祓うにあたり、言上げして言いました。

「上の瀬は流れが速すぎる。下の瀬は流れが遅すぎる。」

そして中の瀬で洗いました。

そこで生まれた神の名を「八十枉津日神」としました。

次に、その枉(まが)を直すために生まれた神の名を「神直日神」、次に生まれた神の名を「大直日神」としました。

このあと、少童三神(綿津見三神と同じ)と住吉三神が生まれる。

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禍津日神を祀る神社(当ブログ内)

警固神社(福岡県福岡市中央区天神)

神直毘神・大直毘神・八十禍津日神の三柱を警固大神として祀る神社。