倭文神社(しどりじんじゃ)|鳥取|伯耆国一之宮は安産の神。

2019年6月4日

倭文神社は鳥取県東伯郡湯梨浜町に鎮座する神社。

東伯郡といえば、東伯農協。そう二十世紀梨

延喜式神名帳に名を連ねる式内社にして、伯耆国一之宮。近代においては官幣小社に列する、由緒正しく霊験あらたかな神社として知られた神社である。

現在は、「安産の神として県内外から篤い信仰を集めている。

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倭文神社について

倭文神社 概要

  • 所在地   鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754番地
  • 電話番号  0858-32-1985
  • 主祭神  建葉槌命・下照比売命・天稚彦命・事代主命・建御名方命・味耜高彦根命
  • 創建年      不詳
  • 社格   式内小社・一之宮・官幣小社・別表神社
  • 公式HP    http://www.sidorijinja.com/

倭文神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • JR山陰本線「松崎駅」徒歩1時間強 駅からタクシーあり

駐車場

  • あり(無料)

鳥取県倉吉市から少し東へ行くと「東郷池」がある。この池の西岸には有名な「はわい温泉」がある。

ちょうどその対岸に聳える小高い山「御冠山」の中腹に倭文神社は鎮座する。

下照姫命の降臨

社伝によると、、、大国主命の娘であるところの「下照比売命」が出雲からウミガメに乗って海を渡ってやってこられ、その従者とともに御冠山に住居を構えた。下照比売命は生涯をかけて、民に安産を指導し、また医療の普及や農業の発展にも尽力されたと伝わる。

その住居跡であろう場所に神社が創建されたのが、いつの頃なのかは不明である。とはいえ、式内社であること、808年の文献に見えることから、平安前期にはすでに存在していたことは確実である。

創建当時のこの地方の主産業が「倭文(しづおり)」の織物だったため、倭文部の祖神であるところの「建葉槌命(たてはづち)」を祀り、当地に縁の深い「下照比売命」を合わせ祀った。。。

とのことだが、この地方には「下照比売命」に関する伝承が多く、また大正時代は下照比売命一柱を祀る神社であったらしい。

そうなると、「建葉槌命(たてはづち)」はどうなった?との疑問が湧く。

社殿の創建

私見であるが、、、

神代において従者たちの子孫たちが「下照比売命」を齋祀ったことは想像に難くない。しかしそれは磐座信仰、依り代に近いものであり、まだまだ「社」の体をなしてはいなかったと思われる。

そして飛鳥から奈良時代にかけて氏族の祖を「氏神」として奉斎するという「支配手法」が確立すると、ここを支配する「倭文部」の祖神である「建葉槌命」を祀る「倭文神社」が創建された。

式内社調査報告にも、その倭文部がこの土地を去り機織業が衰退するにつれて、氏神「建葉槌命」の存在意義は無くなり忘れ去られていったとある。

この地「宮内地区」の人々、すなわち神代の出雲以来の従者の末裔たちの手によって「下照比売命」のみが祭神として残ったということと思われる。

大正4年。下照姫命の墳墓と思われていた塚を掘ったところ、それは経塚であった。そこに収められていたものから、倭文神社が一之宮であったこと、祭神が建葉槌命であったことなどが明らかとなった。

よって、再び建葉槌命を主祭神に立てたという流れであろう。

倭文神社の祭神

現在の主祭神は「建葉槌命」

配神として「下照比売命」に加えて、その夫の「天稚彦命」、兄妹の関係となる「事代主命」「建御名方命」「味耜高彦根命」、大国主命の相棒「少彦名命」が祀られている。

主祭神「建葉槌命」と配神たちとは、色合いが全く異なる。

配神は大国主命の子供たち、もしくは関係者。いや下照姫命の家族たちと言ってもいいのかもしれない。

延喜式の時代に戻した(思い出した)ということなのだから、仕方ないことだろう。

倭文神社のご利益

倭文神社のご利益は、いや倭文神社における下照姫命のご利益は、といったほうがいいだろう。

「安産」をおいて他にないのである。

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倭文神社の参拝記録

東郷池の畔から山道を上がる。もちろん、車である。カーナビを頼りに行けば迷うことは無かろう。

集落を抜け、森に入ろうかというところに、石造の祠が見える。

安産岩

山道の途中にある「安産岩」。

むかしむかし、難産に苦しむご婦人が安産祈願の願をかけた。その満願の日のこと。祈りを終えると目の前に下照姫命が姿をあらわされた。「なんとありがたきことよ」と思いつつ、参道を帰るその途中。この安産岩の前で簡単に出産できた。

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むかしむかし、難産に苦しむご婦人が安産祈願の願をかけた。その満願の日のこと。祈りを終えると目の前に下照姫命が姿をあらわされた。「なんとありがたきことよ」と思いつつ、参道を帰るその途中。この安産岩の前で簡単に出産できた。

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という言い伝えがある、安産岩である。この岩を削って飲むといいらしい。

ちなみにこの岩は、安山岩?

この地方には、大山や蒜山のから噴出したマグマが固まってできた安山岩が分布しているというが、、、

参道の安山岩。産道の安産岩。か。なんか面白い。

夫婦岩

その斜向かいには、「夫婦岩」がある。

普通、夫婦岩というと、大きい岩と小さめの岩が仲良く並んでいるのだが、ここの夫婦岩は、、、

なかなかに理解しにくい夫婦岩だった。大きいのが小さいのに乗っかっている。

いや、ある意味わかりやすいか、、、

この夫婦岩で契り、安産岩に祈願し、それから本殿へ進みお祓いを受ける。これが正式な安産祈願のしきたりのようだ。

そこからしばらく進むと、社頭に出る。

階段横のコンクリート敷きを通って、社務所まで車で進むこともできるが、それはよろしくない。

この左手にちょっとしたスペースがあるので、そこに駐車するがよかろう。

一ノ宮であることを知りながらの参拝。しかし「思ってたんと違う」という感じ。

寂れた様子だ。一瞬、歩を進めるのを躊躇した。

がしかし、ここまできて引き返すのは失礼極まりないとも思う。これは、悩むところだ。

しばらくここに立っていた。すると、寂れた感じが、枯れた感じに。印象が少し変わってきた。

これは大丈夫。

随神門

近寄ってみると、、、すばらしい随神門である。よくわからないが、本殿と同じぐらいの歴史を持つのだろうか。であれば200年以上前の建造物となる。

一礼して、門をくぐる。

謎の巨石

門をくぐって手水舎の手前、伯耆国一ノ宮経塚遺跡へ上る入り口横に、大きな大きな岩石が横たわる。

これも安山岩だろうか。先ほどの安産岩といい、夫婦岩といい、このあたりにはこのような巨石がゴロゴロ存在するのだろう。思わず斜面方向を警戒する私であった。

伯耆国一ノ宮経塚遺跡へは行かなかった。申し訳ない。

手水舎

この水盤も、おそらく同じ種類の岩石であろう。大きな岩を半分に切って、くり貫いてつくられた水盤。

くり貫かれた底から水が供給されるしくみ。よって水面のゴミが常に流れ出でて、水質は綺麗な状態が保たれている。

柄杓も、すべて新品。カビなどもなく綺麗だった。

拝殿

大きな拝殿。こちらも重厚で枯れた雰囲気。歴史の深さを物語る。

二拝二拍手一拝。柏手がよく響く拝殿だ。気持ちがいい。

はじめて鳥取で仕事をさせてもらうので、そのご挨拶と感謝の意を申し上げるにとどめた。

本殿

山門、拝殿、本殿。すべて同じような時代感だ。木材が、風雨にさらされて摩耗していき、艶が無くなり、スカスカに乾いた感じ。

平安時代、伯耆国の一之宮であった当時のまま(そんなはずはないのだが)を見ているような錯覚に陥るから面白い。

本殿の周囲を一周しよう。

本殿の右に、趣のある枝ぶりの古木がある。(画像は無い。)なかなかに、いい気を放っている。

本殿の真裏に、倒れた木の株があった。(画像は無い)注連縄が張られているのですぐわかるだろう。これは「乳神様」と呼ばれたご神木。母乳が出なくて困ったお母さんたちが祈願したというご神木だ。

このように、本殿の周囲には古木が生い茂り、苔むした地面と相まって、太古の空気の中に身を奥いているうような気分になって、心地よいのである。

ぐるっと1周。再び拝殿にてご挨拶を申し上げ、退出しよう。

まとめ

大国主命が出雲国を天つ神に譲り渡したため、その娘の下照姫命も出雲から脱出してこちらに来たと言い伝えられてる。

東郷池の湖畔近くに「出雲山」という高台がある。現在は展望台となっているほどの見晴らしの場所である。

ここで、下照姫命が生まれ故郷の出雲の国の方向を見やり、思いを馳せたと聞く。

現在、配神として祀られている下照姫命ではあるが、この土地の人々の心の中には常に下照姫命が存在し、限りなく主祭神に近い存在として倭文神社に参拝しているのだろうと感ずる。

他にも東郷池周辺には下照姫命にまつわる史跡がある。時間に余裕があれば、それらも訪れてみたいと思った。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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