西宮神社|西宮|全国えびす宮の頂点に君臨する神。不具の子「蛭子」が商売繁盛の神になる!

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西宮神社は、兵庫県西宮市にある神社で、一般的には「西宮えびす」あるいは親しみを込めて「西宮のえべっさん」と称される、商売人には不可欠な神社である。

また、1月10日とその前後の3日間に渡って行われる十日えびすで、毎年10日の午前6時に行われる神事「その年の福男の座を巡って繰り広げられる競争」、正式名称「十日戎開門神事福男選び」はテレビニュースに紹介されるほどに有名である。

西宮神社の祭神

西宮神社の本殿は、連なった3つの社殿で構成されている。

第一殿

えびす大神が祀られている。「西宮大神」とも「蛭子命」とも。

伊弉諾と伊弉冉の初めての子として生まれたが、不具の子であったがゆえに船の載せられて流された。ここまでは古事記に記載されているが、その後の蛭子命の消息については触れられていない。

地元には、その蛭子命が流れ着いて祀られたのが西宮の鳴尾浜であったという言い伝えがある。

第二殿

大国主命、天照大御神が祀られている。

大国主命は、素戔嗚尊の子孫・養子・娘婿など、その出自は一定しないが、出雲国・伯耆国を中心として近隣諸国を平定し君臨した大王であったことは一致するところ。

その領地を、天津神(天照大御神)に返還するという神話「出雲の国譲」あるいは「葦原中國平定」は、時代の転換期を伝える大きなクライマックスの一つとして語り継がれている。

ちなみに、当神社の本来の祭神は大国主命であったという説もある。

第三殿

須佐之男命が祀られている。

天照大御神の弟神で荒々しくて粗野。あまりにも乱暴なため高天原を追放された荒ぶる神の代表格。しかし、出雲に降臨してからは、懐の深い英雄として描かれるという二面性を持つ神。

神仏習合の時代には、牛頭天王と習合し「天王社」あるいは「祇園社」などで、疫病退散の神として全国各地の村々に祀られた。これが、須佐之男命を祀る小規模神社が多い理由の一つである。

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西宮神社の歴史

西宮神社の創建年代は定かではない。

創建

もともとここには、廣田神社の境外摂社であるところの「浜の南宮」があった。廣田神社の南の浜に鎮座するから浜の南宮。西の宮ならぬ南の宮だったわけだ。

戎を祀る

何故そこが、戎を祀る神社となったのか。

平安時代の後期。ここから5kmほど東へ行ったところに鳴尾という漁師町があった。

ある日、漁をしていると木の人形が網にかかった。魚ではなかったので漁師は海に投げ捨てる。すると、またその人形が網にかかる。何度も何度も。

漁師は、よくよくその人形を見た。どうから神像のように見えるではないか。

自宅に持ち帰り祀ることにした。

ある晩、その漁師の夢枕に神が現れ「我は蛭子の神なり。我をここから西に行ったところにある良き神地に祀り直してくれぬか」と漁師に頼んだ。

漁師たちは神像を神輿に乗せて、西の神地を探し、ついに「浜の南宮」の境内に祀ることとなった。

このようなことから、蛭子の神は漁師たちの信仰を集めたことは言うまでもなく、その存在感を増していく。

ここに、廣田、南宮、戎宮の3社がひとまとまりとなった形が形成された。

戎社の隆盛

その後、この地は漁業の町から宿場町へと変化する。人々が集まり、そこに市が立つ。すると、戎神は漁業の神に加え「市場の神」「商売の神」という神格を得ることとなる。

そしてここは、「灘の宮水」と称される酒造りに適した魔法の水が湧出るところ。灘五郷の酒蔵の繁栄とともに、すなわち、白鹿・菊正宗・白鶴・剣菱・白鷹・大関・沢の鶴などなど、今でも酒を造り続けている大手酒造メーカーの寄進でもって、戎社は隆盛を極める。

こうなると、庇を貸して母屋を取られるではないが戎社の方がメインとなっていく。

このようにして、廣田神社の摂社であるところの「浜の南宮」は、一般的には「西宮戎社」という認識となっていったのである。

戎社の分離独立

とはいえ、神社というのは格式を重んじる世界。あくまでも名神大社である廣田神社の摂社であった。

明治維新後、戎社は廣田神社からの独立を果たし「西宮神社」と改称した。

ちなみに、元の「浜の南宮」は「南宮社」の社名で、廣田神社の境外摂社として今も境内に祀られている。

西宮神社のご利益

言うまでもなく「商売繁盛」「大漁満足」「金運向上」「開運招福」。

とにもかくにも「福の神」なのであるからして。

では次ページで、西宮神社の参拝記録をご紹介させて頂こう。

ご覧ください!!