洲崎神社|名古屋|須佐一族が鎮まる聖地で縁結びを祈る。ここは、まぎれもなくパワースポットである。

2019年2月22日

洲崎神社は名古屋市中区栄にある神社。

かつて、名古屋城あたりから熱田神宮あたりまで2本の断層に挟まれた長細い半島であった。今でいうところの熱田台地がそれだ。

よって、この熱田台地には古代の祭祀場や古墳・古社、そしてパワースポットが点在するのである。

今回ご紹介する洲崎神社も、そのうちの一つ。いや、その中でも上位に位置すると感じたパワースポットだ。

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洲崎神社について

洲崎神社 概要

  • 所在地   愛知県名古屋市中区栄1丁目31−25
  • 電話番号  052-201-3834
  • 主祭神  素戔嗚尊・稲田姫命・五男三女神・石神
  • 創建年      860年頃
  • 社格   郷社
  • 公式HP     なし

洲崎神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 地下鉄鶴舞線「大須観音駅」徒歩10分

駐車場

  • なし (近隣にコインパーキング多数)

洲崎神社の創建

洲崎神社の創建は、平安時代前期の貞観年間(860年前後)のことと伝わる。当地に祀られていた石神の導きにより、出雲国の稲田宮からやってきた素戔嗚尊を奉祀したのが始まりと聞く

石神の導き?稲田宮とは、稲田神社のことなのか?稲田宮跡に鎮座する須佐神社のことなのか。。。?
そして、勧請されたのは素戔嗚尊だけだったのか?

このあたりについても、後程、私見を述べていくことになろう。

かつては神域に今の栄1丁目全域とその西側は江川線あたりまでを持つという大社であったが、名古屋城築城によって境内西側に堀川が通されたり、武家屋敷が立てられたり、、、なんだかんだで今では小さな境内になってしまった。

およそ神社仏閣は、時の権力者や時代の流れの中で栄枯盛衰を繰り返してきた。

いわんや、明治の一村一社政策によって、跡形もなくなくなってしまった神社が多い中、こうして名古屋の中心地に存在し続けている洲崎神社は、それだけでパワースポットと言ってもよいのではなかろうか。

そして、洲崎神社の境内には「石神様」「白龍様」も祀られている。これらは単なる境内社ではない。

洲崎神社に参拝するにおいて、石神様と白龍様は欠かすことが出来ない要素であるからして、石神様の創建についても触れておく必要があるのだが、それは後述することにしよう。

洲崎神社の祭神

現在の主祭神は「素戔嗚尊」。そして「稲田姫」「五男三女神」を合わせ祀る。

素戔嗚尊・稲田姫

素戔嗚尊と稲田姫

素戔嗚尊は、高天原を追放されたのち新羅に渡る。そして再び日本に帰還。出雲に降臨し、出雲の大王となった荒ぶる神である。出雲に降臨したとき、「足名椎命」と「手名椎命」の娘が八岐大蛇に生贄として捧げられる運命であることを知り、これを助けて妻とした。これが「稲田姫」である。

中世以降の神仏習合において、素戔嗚尊はその神徳や荒々しい性質が近しいことから「牛頭天王」と習合した。それに伴い、その妻であるところの稲田姫は牛頭天王の妃である「婆利塞女」と習合した。

よって、現在の祭神が素戔嗚尊となっている神社の多くは、江戸時代までは疫病除けのために「牛頭天王」を祀る「祇園社」もしくは「天王社」だったのである。

古絵図に「天王社」と書かれた社が多い中、江戸時代末期の尾張名所図会における洲崎神社の祭神は「素戔嗚尊」「稲田姫」「八王子」と記されている。そんなことから、当社は、正真正銘、素戔嗚尊を祀る神社であり続けた希少な神社なのかもしれない。

(江戸末期の資料であるがゆえに、それ以前に牛頭天王が祀られていた可能性は十分にあるが。)

五男三女神

五男三女神の構成については、よくわからない。あくまでも可能性として、その構成候補を列挙しておこう。

■一般説

五男三女と称するからには、素戔嗚尊と天照大御神の誓約(うけい)で誕生した神々を指す、とするのが妥当だと思う。

古事記絵詞より:天照大神が吹き出した霧から三女神が生まれる様子。
右下には素戔嗚尊が吹き出した霧から生まれた五男が描かれている。
誓約で生まれた五男三女

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・・・瓊瓊杵尊の父で皇室の祖。
天之菩卑能命・・・出雲氏・土師氏・菅原氏の祖
天津日子根命・・・凡河内氏の祖
活津日子根命・・・彦根神社・活津彦根神社の祭神(いずれも滋賀県)
熊野久須毘命・・・出雲の熊野大社、紀伊の熊野三山に関係?
多紀理毘売命・・・宗像三女神
多岐都比売命・・・宗像三女神
市寸島比売命・・・宗像三女神

がしかし、これでは素戔嗚尊と天照大御神の御子神となってしまう。当社は、素戔嗚尊と稲田姫を祀る神社であるからして、少しく違和感が残る。

■八柱の御子神説

もしくは、素戔嗚尊の御子神と伝わる八柱すなわち祇園の八坂神社の本殿西座に祀られる「八柱御子神」であろうか。。。

八柱御子神

八島士奴美神(男神)
五十猛神(男神)
大屋比売神(女神)
抓津比売神(女神)
大年神(男神)
宇迦之御魂神(女神?)
大屋毘古神(男神)
須勢理毘売命(女神)

しかしこれでは4男4女となる可能性がある。というのも、記紀には宇迦之御魂神の性別について明記されていないものの、一般的には食物の女神と解釈されているからだ。

■八将神
最後に、牛頭天王と婆利塞女の王子でありかつ眷属の「八将神」という可能性もなくもない。現在の祭神構成からすると、可能性は低いと捉える。

八将神

太歳神、大将軍、太陰神、歳刑神、歳破神、歳殺神、黄幡神、豹尾神

洲崎神社のご利益

縁結び

洲崎神社本殿に素戔嗚尊と稲田姫の夫婦神が祀られており、石神様と道祖神様(いずれも磐座)には猿田彦命と天鈿女命の夫婦神が祀られている。

よって、恋愛成就の縁、人との出会い、最適な進路という意味での縁までも結んでくれる、強力な縁結びのご利益がいただけると評判である。

その縁結びパワーを最大限に高めるためには、正式な参拝方法を行う必要がある。

ただしこれは、少しく恥ずかしい参拝方法ではあるのだが。。。後述しよう。

難関突破

これも後述するが、正式な参拝方法には一か所だけ難関な場所がある。それをクリアすることにより難関突破のご利益が得られるとの噂。受験生および親御さん必見である。

●金運・商売繁盛

本殿右の白龍龍寿大神の社には2柱の蛇神が宿った2匹の白蛇が祀られ、金運アップ・商売繁盛のご利益がいただける。

前置きが長くなってしまった。それでは、次のページで「縁結びパワーをいただくための正式な参拝方法」や「金運アップの白龍龍寿社」の参拝記録をご紹介しよう!!

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洲崎神社 参拝記録

洲崎神社には駐車場はないようだ。しかし右横にコインパーキングがある。そこを利用しよう。

社頭

右の鳥居が洲崎神社の鳥居。左の朱色の明神鳥居は石神神社の鳥居である。

洲崎神社の鳥居の奥には洲崎神社の拝殿・本殿があるが、石神神社の鳥居の奥には境内末社の合祀殿があるだけで石神様は無い。

入り口は分かれているが、中身は混然一体となっていると理解しよう。

新調された二の鳥居の右横にあるのが「道祖神」の磐座。そして「絆」と書かれた看板に、洲崎神社の「正式参拝」の方法が簡単に記されているので、まずは、それをお読みいただくことになる。

縁結びパワーの増幅方法!

縁結びのご利益を最大限に頂くための方法。といっても、そんなに大層なことではない。その正式参拝を行うことに尽きる。

手順詳細は、以下の通り。

正式参拝の手順
  • 社務所で「縁結びの輪」を購入。初穂料500円也。
  • 白い紙の裏に、自分の名前と、どんな縁に恵まれたいかを記入。
  • 内参道の突き当りにある本殿にて、二拝二拍手一拝。
  • 拝殿の斜め前にある「石神様」へ。
  • 小さな御幣で、「左・右・左」と振り、自分の肩を祓い清める。
  • 小さな鳥居をくぐり、小さな太鼓橋を腹ばいで渡り抜ける。(これが恥ずかしい)
  • 鈴を鳴らして、二拝二拍手一拝。
  • 二の鳥居横まで戻って「道祖神様」を参拝。二拝二拍手一拝。
  • 最後に、「道祖串」に最初に購入した縁結びの輪を通す。

以上、よろしいだろうか。まずは社務所へ行かねばならぬのだ。

かなり暖かい雰囲気を持つ神域である。が、いろんな気が渦巻いているように感ずる。少し落ち着かない。

内参道の左右には十二支の像が設置されている。他にもそこかしこに様々なモニュメントも。詰め込み過ぎの感は否めない。

何かわからないが、ハートの形をしているので撮影しておいた。

拝殿

ここまでくると、落ち着かない雰囲気はなくなり、スッキリとした印象に変わった。しかし、右からの圧がかかる。

縁結びの輪を持って、二拝二拍手一拝。天津祝詞を奏上してご挨拶。そして、「とある縁」を念ずる。

石神様

さあ、ここが石神様である。もともとは、もう少し東の方にあったらしいが、いつの頃がこちらに遷されたらしい。

洲崎神社よりも歴史は古く、、、

石神様の創祇

熱田台地が熱田半島だったころ、ここは半島の付け根付近の海岸で、そこに「石神」を祀ったのが「石神神社」の始まりと伝わる。

ネット情報によると、石神は「いそのかみ」と読み、縄文時代から信仰されてきた「石神」が祀られていたという。となれば、自然信仰の神。

文字通り「石の神」なのか、海岸だけに「磯の神」だったのか。。。

石神とは

現在は、この石に宿る神を「布都御魂神ふつのみたまのかみ」としている。そして「道祖神」が合祀されていて、道祖神の成分は「猿田彦命さるたひこのみこと」と「天鈿女命あめのうずめのみこと」とのこと。

石神様の導きで素戔嗚尊がここにやってきたということであるなら、そのころ(貞観年間)すでに猿田彦命は合祀されていたのだろうと想像する。

なぜなら猿田彦命は導きの神であるあからだ。こじつけだ。

「布都御魂神」が興味深い。そうそうあちこちに祀られる神ではないからだ。

布都御魂神

布都御魂神ふつのみたまのかみ」とは、全国屈指のパワースポットとして名高い「石上神宮いそのかみじんぐう」の主祭神で、人格ではなく「布都御魂」という「剣」に宿る霊力を神格化したものとされる。
この剣は、武甕槌命と経津主命が葦原中国平定に使った剣であり、神武が大和を平定するにあたり天神から与えられた剣。物部氏によって祭祀されてきた。

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石上神宮の楼門

石神(いそのかみ)と石上(いそのかみ)の奇妙な一致、尾張氏と物部氏、草薙剣と布都御魂の剣、熱田神宮と石上神宮、そして帰らぬ剣、、、

などと、ややこしいことを考えつつ、、、

んっ、これをくぐる???

この画像ではわかりにくいが、かなり小さい。くぐれるのか?

私は、身長172cm 体重79kg 胸囲105cm 腹囲92cmである。すなわちメタボ。

結論を申し上げよう。くぐれた💓 割りと余裕💓

しかし、50代半ばのオッサンが、一人で腹ばいになって、のたくりながら鳥居をくぐり抜けている様には、なんとも侘しいものがあったはずだ。。。が、

自分の動きが蛇のように思えた。これ、重要な事かも。。。

さて、ここで再び「とある縁」を念じつつ、二拝二拍手一拝だ。

道祖神

二の鳥居まで戻り、道祖神に参拝し、「道祖串」の先っちょをとって、縁結びの輪を通す。もちろんここでも「とある縁」を念じつつ。

これで、正式参拝の完了である。

次は、本殿参拝時に、圧を感じた「白龍様」だ。

白龍社

本殿の右に「白龍社」。「白龍龍寿大神」の旗がはためく。大きな神額が不気味さを漂わせている。

白龍社の祭神

こちらには、白龍大神龍寿大神の2柱の龍神様(白蛇様)が祀られているようだ。

蛇信仰

蛇は脱皮する様子から、再生・蘇りの霊力を持つとされ、信仰の対象となった動物である。特に白蛇は、守り神として崇められてきた。

2柱の龍神。。。2柱の蛇神。。。ここで、洲崎神社の創建を思い返すこととしよう。

洲崎神社の創建は、平安時代前期の貞観年間(860年前後)のことと伝わる。当地に祀られていた石神の導きにより、出雲国の稲田宮からやってきた素戔嗚尊を奉祀したのが始まりと聞く

龍神の正体

「稲田宮」とは、素戔嗚尊が稲田姫と暮らした「宮」を指すと考える。その宮の首長に任命された「ある者」に与えられた名が「稲田宮主」だからだ。

そして、その宮跡には須佐神社がある。よって、少しく乱暴だが、勧請元は須佐神社と結論付けてしまおう。

須佐神社の祭神は、

素戔嗚尊・稲田姫・足摩槌命(足名椎命)・手摩槌命(手名椎命)の4柱

足摩槌命と手摩槌命は稲田姫の両親神である。

そして、その正体はというと、、、

その神名から「足がないツチ」「手がないツチ」、すなわち蛇神であった。と解釈する説がある。(ツチは蛇の古語)

来た来た!二柱の蛇神である。

白龍大神と龍寿大神は、足名椎命と手名椎命と考えられるのだ。

もちろんこれらは、後付けというか、後出しジャンケンのような私見である。でも、ここが尾張の須佐神社ではなかろうか想像すると楽しいではないか。

最後に

洲崎神社・石神神社は、とても長い歴史を持つ、とても重要な神社であると感じた。

1200年を越える長い歴史を持つ神社だからこそ、さまざまな氏族の栄枯盛衰にさらされ利用され、その中で神や信仰が複雑に絡み合い重なり合う。

言い換えれば、そういう複雑怪奇でスッキリと理解しにくい神社の真相真実を紐解く行為が、歴史理解を深めていく一つの方法なのかもしれない。

なんてね!

最後までお読み頂いた方々、お疲れ様でした!そして、ありがとうございます!

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