太郎坊宮:阿賀神社|滋賀|勝運と幸福の神を祀る天空のパワースポット!

2019年7月8日

「太郎坊阿賀神社」は、滋賀県東近江市にある神社。別名を「太郎坊宮」という。

そもそも「太郎坊」とは、ここ赤神山に住む天狗の名だそうだ。

では、天狗を祀る神社なのかというと、そうではない。ではなぜ、天狗の名を冠するのかについては後述することにする。

赤神山は、綺麗な三角形。そして中腹より上層部は岩肌がむき出しとなっており、山岳信仰・磐座信仰の対象としてふさわしい外観を持つ。まさに霊山の趣きだ。

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太郎坊宮について

太郎坊宮の祭神

太郎坊宮の主祭神は、天忍穂耳尊。正式には、、、

正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(日本書紀)
(まさか・あかつ・かつはやひ・あめのおしほみみのみこと)

正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(古事記)
(まさか・あかつ・かつはやひ・あめのおしほみみのみこと)

この神名は、

「天忍穂耳尊」=「生命力の満ちた稲穂の神」の前に、「正しく勝った、我は勝った、日が昇る如く素早く勝った」が置かれているという構成。

この「正しく勝った、我は勝った、日の如く素早く勝った」とは?

こんな神話の一説がある。

父の伊邪那岐命から根の国へ行くよう命じられた素戔嗚尊は、姉の天照大神にお別れのあいさつをするために高天原に昇った。

天照大神は昇ってくる素戔嗚尊を見て、「荒ぶる弟神が悪さをしに来た!」と思う。

そこで、天照大神と素戔嗚尊は、素戔嗚尊に悪意があるかどうかを占うために、誓約(うけい)を行うこととなった。

その結果、素戔嗚尊の剣から天忍穂耳尊をはじめ5柱の男神が生まれ、天照大神の勾玉から宗像三女神が生まれた。

素戔嗚尊は、このように素晴らしい神々が生まれたのは自分の潔白が証明された証拠であるとして、勝ち名乗りを上げた。

この時の素戔嗚尊の勝ち名乗りが「正勝吾勝勝速日!」だったとし、最初に生まれた天忍穂耳尊に冠されたとする説である。

太郎坊宮の創建

そもそも上古において、この岩が剥き出しの三角形の山が自然信仰の対象として崇敬されていたであろうことは想像に難くない。

そして神(おそらくは農耕の神)の降臨をイメージした磐座信仰へと移行し、山頂付近は祭祀場として整えられたと思われる。

そして神社としての創建は推古天皇の御代にまで下る。

600年頃。聖徳太子が四天王寺を建立するための瓦を焼くために、箕作山に瓦屋寺を建立したと同時期に、同じ山系の赤神山に天忍穂耳尊を祀る阿賀神社が創建されたと伝わる。

神仏習合へ

延暦18年(799年)、天台宗の開祖「最澄」によって赤神山のふもとに「成願寺」が建立され、阿賀神社の神宮寺としたことから始まる。その時、赤神山に住んでいた天狗「太郎坊」が山頂に具現し、成願寺の建立を守護したという。

それ以来、赤神山は自然信仰・神道・天台山岳信仰・修験道など様々な信仰形態を抱き込んでいくこととなる。赤神山には50を越える社殿や坊が建立されたというから尋常ではない。

その社殿の一つとして、阿賀神社境内の最高所に奥之院を作り、そこに「太郎坊大権現像」を祀った。

これが、阿賀神社と成願寺を合わせて「太郎坊宮」と称された由縁である。

地の利もあり、この一帯は戦国時代まで近江国の中心で、太郎坊宮も隆盛を極めることとなった。

江戸時代の半ばになると、奥之院から太郎坊大権現像をはじめとする仏教関連の諸物をふもとの成願寺に移動させ、成願時は「太郎坊大権現」と称するようになり、

一方、その奥之院は天忍穂耳尊を祀る阿賀神社の本殿となり「太郎坊宮」の名称を引き継いだ。

この時点で、神仏習合の色合いは残しつつも、運営も含めて神社と寺院は切り離されたようだ。

太郎坊宮のご利益

とにかく「勝」である。

主祭神の神名に「勝」が三つも入っているのであるからして「勝利の象徴」である。

まさに「勝運」を頂くのだ。

だから、アスリートの参拝も多い。また、企業経営者、政治家、職人、ビジネスマンなど、ここ一番の勝ちにこだわる成功者たちの崇敬も篤い。

勝守

当社の「勝守」を付けてロンドン五輪を戦ったのが、金メダリスト吉田沙保里選手である。

また100mの日本記録保持者で、日本人初の9秒台を叩き出した桐生祥秀選手も、さらには、WBC世界バンタム級チャンピオン山中慎介さんも、当社の勝守を持って戦ったという。

2月ごろには、子供の合格祈願に訪れる親御さんの姿も多いと聞く。

では、次のページで「太郎坊宮」の参拝記録をご紹介しようと思う。是非ご覧ください!!