矢田坐久志玉比古神社|石上神宮にも匹敵する、超強烈な浄化パワーと真実の癒しを体験! 

2016年6月16日

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奈良県は大和郡山市、生駒郡との境に南北に横たわる小高い山地「矢田丘陵」がある。

その山裾に広がる田園集落に、ひっそりと、しかし、強烈なまでに圧倒的な存在感をもって「矢田坐久志玉比古神社」は鎮座している。

そこは、魂を揺さぶるような「浄化パワー」と、脱力感にも似た「癒しのパワー」が共存する、まさにパワースポットと呼ぶにふさわしい聖地であった。

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矢田坐久志玉比古神社について

矢田坐久志玉比古神社 概要

  • 所在地  奈良県大和郡山市矢田町字東良965
  • 電話番号  0743-52-7313
  • 主祭神  饒速日尊、御炊屋姫命
  • 創建年  不詳
  • 社格   式内社(大社)県社
  • ご利益  厄除け、病気平癒
  • 公式HP   http://www.onji.or.jp/index.html

矢田坐久志玉比古神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄郡山駅から泉原町行バス「横山口」下車、徒歩約6分

駐車場

  • あり(無料) 

祭神

主祭神は、櫛玉饒速日尊と、奥方の御炊屋姫命である。久志玉比古という名称から、主祭神は天明玉命ではないのか?という説など諸説存在するが、現在は饒速日尊であるという説で落ち着いている。

櫛玉饒速日尊

日本神話に登場する神。

先代旧事本紀によると、天照大御神の孫で、古代豪族「物部氏」「尾張氏」の始祖とされる。正式神名を「天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命」とし十種神宝を携えて降臨し、古代大和に君臨した大王、日本建国の祖として、その偉業が詳しく記述されている。

しかし、記紀では神武東征の最後に登場するのみ。

御炊屋姫命

饒速日尊が河内国に降臨し大和国に入る際、大和の支配権を持つ「長髄彦」の妹を妃とした。その妃が「御炊屋姫命」である。

物部氏の祖「可美真手命」を生んだ。

創建

創建は、不詳ではあるが、式内社であること、そして社の名称からしても、かなりの古社と推察する。極めて適当な推察ではあるが。。。

創建物語

空飛ぶ船「天の磐船」に乗り、河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨した饒速日尊。一刻も早く大和入りしたい気持ちを抑えつつ、まずは退路の確保のため、河内国を治めにかかる。

日下の地(現石切あたりか)を拠点として河内を治めたのち、満を持して、天野川を遡り大和入りした饒速日尊は、三本の矢を放ち、矢の落ちた場所を棲み処(宮)とした。その矢の落ちた場所。それこそが、ここ矢田坐久志玉比古神社なのだ。

日本建国の大功労者であり、物部氏の祖神である「饒速日尊」を祀る神社であるがゆえに、畿内随一の大社として栄えもしたが、

反面、物部氏宗家(守屋公)の滅亡とともに、衰退も余儀なくされたことは、残念でならない。世の常であろう。

ご利益

鳥居からあふれ出す神気は、圧倒的な威圧感を呈しており、ここを訪れた者は、「世の移り変わりの中にあっても、変わらないものがここにあるのだ」ということを、感じないわけにはいくまい。

現在は、空飛ぶ「天の磐船」の神話にあやかって「航空祖神」として、航空業界はじめ海外旅行者や海外赴任者とその家族の崇敬を受けている。これも一つの進化の形なのだろうか。

ひとつだけ、はっきりと言えることは、過去からも、そして未来永劫変わることなく、矢田集落の産土様であり続けるであろうということだ。これが、本物の神力というものなのだろうか。。。

ともあれ、十種神宝のお力で、起死回生・病気平癒、国家建設に尽力された功績により仕事運。そしてなにより、お二人の御子は巨大氏族物部氏の始祖となったことから、子孫繁栄・縁結び・夫婦和合・子育てにご利益があると考える。

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矢田坐久志玉比古神社 参拝記録

カーナビにしたがって、車を走らせる。矢田の丘陵が目前にせまり、だんだん道が細くなってくる。田畑の間隙を縫って進む。

このあたりと思しき方向に目をやると、今まで見たこともない長い注連縄が張り巡らされた鳥居に目を奪われる。その瞬間、「おっ!」と、思わずを声を出してしまうほどの神気、怖いぐらいの威圧感を覚えるのである。これほどの神気を感じたことは未だかつてなかったことである。

一の鳥居

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結界として張り巡らされた注連縄をも突き破る力ということであろうか。

とりもなおさず、鳥居で立ちとまり一礼を。「失礼があってはならぬ」身が引き締まる思いである。と同時に、「この力を全身で受け止めたい」という、身の程知らずな欲求に駆られるのは、おそらく私だけではないであろう。

楼門のプロペラ

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手水舎で身を清め、正面に聳える楼門を見上げる。「矢尻付き違い矢」の神紋をあしらった瓦が印象的である。

そしてもうひとつ特筆すべきは、木製のプロペラである。航空祖神として世間に知らしめたのは、誰のアイデアなのであろうか。これもひとつの進化の形ではないかと感じ入る次第である。

さらに、手入れが行き届いた楼門前の庭園を拝見するにつけ、こちらの宮司様の、神社と対峙する気合というものが手に取るようにわかるのである。

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美しいものを見て心が洗われないわけがない。この空間にしばし身を置き、心身ともに清められていくことを感じつつ、徐々に、楼門をくぐる決意を固めていくのである。

楼門の向こう側に進入することは、それほどまでに覚悟を要することなのである。大仰に言えば一種の恐怖にも似た感覚である。

楼門をくぐる。

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楼門から二の鳥居

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まず目に飛び込んでくるのが、「矢尻付き違い矢」の神紋が燦然と輝く神馬の像である。

そして、左右に対のようにして並んでいるのは、磐座であろうか。

一方は「二之矢塚」の石碑が添えられた磐座で、縄がトグロのようにまかれている。二の矢が落ちた場所らしいが、不気味である。

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もう一方は、磐坐が完全に見えている。

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この対の磐座は鶴と亀らしいが、やはり、トグロ巻きはヘビを連想させる。
鳥居前の注連縄も、一方の端が木に巻きつけられていた。これもヘビを連想させる。
楼門の注連縄もヘビを連想させる。

このようなことから、宮司様のお考えが見て取れて実に興味深い。お話を伺ったわけではないが、おそらく、このようにお考えなのではないだろうか。

饒速日尊=大物主大神

いざ本殿へ

さて、ここからは、二の鳥居越しに拝殿本殿を望むことができる。

本殿から押し寄せる神気、波動によって、私の体は変調をきたし始めた。具体的には、脈拍の高ぶりと、血圧の上昇、さらには眩暈である。

落ち着くまで、二の鳥居の前でしばしの時を過ごすことにする。

ここでひとつ気が付いたのだが、摂末社が無いということ。たいていの神社は、左右にいくつかの摂社や末社を祀るのであるが、こちらにはひとつも無い。むしろ、必要ないのだろう。

※あとで調べたところによると、八幡社が祀られているとのことだが、どこにあったのか全くわからなかった。

二の鳥居をくぐる ー強烈ー

さて、眩暈が治まったころを見計らい、二の鳥居をくぐる。
目前に拝殿、そして拝殿の奥、一層の高見に本殿が。。。

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と、そこは、予想をはるかに上回る強力な波動が渦巻く、まさに別世界である。

再び、鼓動が高鳴り血圧が上昇する。それに加えて、脳みそが肥大したような感覚を覚えた。この感覚は、和歌山の井出系中華そばを連日食べ続けた結果、中性脂肪が1000にまで跳ね上がった20年前のあの感覚だ。

まさか、ここで思い出そうとは。恐るべき神社である。

このままでは、拝殿前に立つことなど不可能である。二の鳥居の外側まで戻らざるを得ない。

と、ここで、重大な失態を犯していることに気が付くのである。二基の磐座に挨拶をしていないことに。とんだ大失態である。気にならない人は、気にならないことであろうが。。。

再挑戦 -禊ー

こうなったら、改めて仕切り直しである。手水舎から、順を追って進むことにしよう。

磐座に傅き、失礼を詫びることも、もう忘れはしないのである。そして、いよいよ、二の鳥居の内側に進入あるのみ。

んっ。今度は何やら先ほどとは異なる気配が漂っている。もちろん、神気渦巻く別世界であることには変わりないが、脳みそは正常なままである。この空気感は何なんだろう。

稚拙な表現をお許しいただけるなら、「受け入れて頂けたと感じられる空気感」と申し上げておく。「両磐座への祈りが、禊だったのかもしれない。。。」などと、都合のよい解釈を展開するのだった。

拝殿前 -浄化と癒しー

ともあれ、かなりの時間と気力を要したが、ようやく拝殿前に立つ。お賽銭を奮発しようではないか。通常は5円玉のところ、10円玉にするのだ。いや、100円にしよう。

鈴を鳴らし、一揖、二拝、二拍手、天津祝詞×3、二拝、二拍手、一拝、一揖。いつもより手順が多くなってしまったが、これも愛嬌であろう。

さて、ここでお気づきになられた読者の方もいらっしゃると思う。いや、いないか。

お賽銭を奮発しようなどと考える、この余裕。

実は、この拝殿前にたどり着いた時点で、圧倒的な威圧感は感じなくなっているのである。そのような恐ろし気なものではなく、実に清廉で柔和で深甚、かつ厳粛な気に包み込まれるのである。

これこそが、真実の癒しなのだろうか。

最後に、失礼ながら本殿を撮影させていただく。

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遠目からしか撮影できないが、これ以上は進めないのである。

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