武蔵陵墓地|八王子|大正天皇・昭和天皇が鎮まる聖地は浄化のパワースポットである
武蔵陵墓地は、八王子市長房町にある天皇陵の集合体。広大な敷地内に、大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后の4基の御陵が造営されている。
- 大正天皇・・・多摩御陵
- 貞明皇后・・・多摩東御陵
- 昭和天皇・・・武蔵野陵
- 香淳皇后・・・武蔵野東陵
明治天皇は京都に御陵がある。やはり明治天皇の心の中では、日本の都は「京」だったのかもしれない。
今上上皇陛下と上皇后陛下も、この陵墓地に埋葬される予定とのこと。
ただし、少し小ぶりにされる予定で、さらに上皇陛下・上皇后陛下の2基の墳墓を同じ玉垣内に並べるご予定とのこと。
実は、、、今上上皇陛下は「一つの墳墓に夫婦で入りたい」とおっしゃられたらしいのだが、上皇后陛下が「それは、あまりにも畏れ多いことです」と、ご辞退申し上げられたようだ。
「それならば、せめて同じ垣根の中に並べよう!」ということで落ち着いたらしい。
お二人の人間性と夫婦愛が表れた、すばらしい計画だと思う。
武蔵野陵への道順
JR中央線の高尾駅でも、京王線の高尾駅でも、同じ駅(正確には隣り)に乗り入れる。
JR高尾駅の改札を通った瞬間の駅舎内部の雰囲気が、50年前の四条畷駅に似ていて懐かしく思った。
木造で漆喰壁の駅舎。外観は四条畷駅よりもカッコいい。寺院建築のようだ。
ここから真っすぐに歩いていくのである。
甲州街道とを突っ切って、真っすぐ歩く。
高尾駅から見えるぐらいの距離にある、この緑の橋を渡る。この道は「高尾街道」というそうだ。
この橋を渡ったところに看板がある。
「武蔵陵墓地」信号右折1kmとある。
その信号がコチラ
廿里町(とどりまち)の交差点。ここを右へ入る。細い道だが大丈夫だ。
曲がると10m先にも看板がある。
ここから先は道なりに歩けばよい。
あの「→」の通りに進む。それ以外に進めないのだが。
ここは、高架の下をくぐって左へ。
そのあとは、このような石の垣根沿いにひたすら歩く。
到着だ。
武蔵陵墓地
私の背中側に警官の詰め所があり、こちらを窺っている。
この左手に大きな駐車場があり、トイレはそこにある。ここから奥にはトイレがないので、済ましておくに限る。
案内地図
これを見る限り、今上天皇と皇后の陵を造営すると満員か。。。
手水盤
古墳は神社と同じ。心身を清めてから進もうではないか。
内参道
内参道の両側には、京都から取り寄せた北山杉が120本植えられている。
どうであろうか。この感じ。奈良の神武天皇陵にも似た凛とした空気感。東京なら明治神宮に似ているだろうか。
そして360度から聞こえてくる、野鳥のさえずり。しばし足をとめて目を閉じる。
内参道を左へ左へと行くと、、、
天皇陵
大正天皇陵
一番左の高見に大正天皇の陵「多摩御陵」がある。
上段が円形で下段が四角形の「上円下方墳」。さらに、下段が前方にせり出しており、前方後円墳の様式も併せ持つ。
貞明皇后陵
大正天皇の后であられた貞明皇后の陵「多摩東陵」。
大正天皇の陵と比べると高さも横幅も小さく作られている。その分、威圧感がなく優しい雰囲気である。
昭和天皇陵
昭和天皇の陵「武蔵野陵」である。
大正天皇の陵に比べると拝所前の石段が低く作られている。また上部のドームの高さを抑えられている。
「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」の玉音放送より以降、戦後の混乱を鎮め、人民を勇気づけるために奔走し続けた「人間天皇」昭和天皇。
その国民に寄り添う心が表れた墳墓であると感じた。
香淳皇后陵
昭和天皇の后であられた香淳皇后の陵「武蔵野東陵」。
4基の中では最も新しい墳墓で、2000年の造営。道理で一番きれいである。
最後に
こうして、内参道から各陵墓を参拝して回ったわけだが、ゴミ一つ落ちていない。これだけの樹木に囲まれているにもかかわらず「落ち葉」もない。
すると、こんな光景が目に飛び込んだ。
砂利の中からゴミや落ち葉を手作業で取り出す仕事をされている方々がいらっしゃる。
本当に頭の下がる思いである。
緑と野鳥のさえずりの中、身近に感じる昭和天皇の陵に参拝して心が洗われた上に、このような大きな使命感と奉仕の精神を見させてもらうなんて。
武蔵陵墓地は、最高の浄化のパワースポットである。
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