白峯神宮|上京区|本当に効果あった!悪縁を洗い流し良縁とする神。白峰神宮はアスリートの聖地。護神

2018年6月21日

白峯神宮は、京都市上京区堀川今出川を東に入った飛鳥井町に鎮座する神社。

日本三大怨霊に数えられる「崇徳天皇」が祀られている。すなわち、極めて強力な祭神が祀られているということだ。

「蹴鞠」が有名で昨今ではサッカーをはじめとする球技の守護神として人気がある

しかし、忘れてはならない。崇徳天皇が祀られている神社である。

そして、もう一柱の祭神も、、、

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白峯神宮について

白峯神宮の概要

  • 所在地   京都府京都市上京区飛鳥井町261
  • 電話番号  075-441-3810
  • 主祭神      崇徳天皇・淳仁天皇
  • 創建年      1868年(慶応4年)
  • 社格   官幣大社
  • 公式HP     http://shiraminejingu.or.jp/

白峯神宮 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 地下鉄烏丸線「今出川」から徒歩10分

駐車場  

  • 境内の裏手にあり

白峯神宮の祭神

主祭神は、崇徳天皇と淳仁天皇である。

崇徳天皇

第75代天皇。平安末期の天皇である。

天皇でありながら、平将門・菅原道真と並ぶ「日本三大怨霊」に数えられ、

しかも、酒呑童子・玉藻前(白面金毛九尾の狐)と並んで「日本三大妖怪」にも数えられるという、

正真正銘の祟り神である。

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不幸な人生の始まり

鳥羽天皇の皇子として生まれたが、鳥羽天皇の父親である「白河上皇」と鳥羽天皇の「妃」との間にできた子ではないかという噂が広まったため、父である鳥羽天皇から疎まれる。

父に寝取られた鳥羽天皇も不幸な人生を歩むのだが、崇徳天皇はそれ以上に不幸な運命を背負っていたのである。

特に、白河法皇が崩御したあとの鳥羽法皇による「崇徳外し」は、聞くに忍びない。

保元の乱

その鳥羽法皇が崩御したのち、崇徳上皇と異母弟の後白河天皇とが衝突するのは目に見えていた。

そこに摂関家の内紛と思惑が重なり、軍事衝突に至るのは至極当然の成り行きであろう。

保元の乱が勃発する。

保元の乱で一方的に攻められ敗れた「崇徳上皇」は讃岐へと流される。天皇もしくは上皇が流罪になるのは400年ぶりのこと。

ちなみに、その400年前に流罪となった天皇が淳仁天皇。この神社のもう一柱の祭神である。

崇徳上皇 怨霊となる!

上皇は讃岐の地で過去の様々な不幸な出来事や権力争いの確執を忘れるため仏教に勤む。

一心不乱に勉強し、恨みつらみを断ち切った崇徳上皇は、都に戻れない自分の代わりに写経を都の寺に奉納して欲しいと使いの者を送る。

この仕打ちによって、崇徳上皇の精神は完全に破壊されたのであろう。舌をかみ切り、その血で呪詛を書き残し、三日後には崩御されたとされている。生きながら天狗になったとも。。。

その呪詛の言葉とは、、、

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん!」

すなわち、、、

「私は日本国の魔界の天狗になり、天皇の権力を奪いとり、民にその権力を与えてやる!」

ほどなく都では、二度の大火、後白河天皇の皇子達の急死が相次ぐ。上皇の祟りであるとされた。

淳仁天皇

第47代淳仁天皇は奈良時代中期の天皇である。

「淳仁天皇」という謚は、明治に入ってからつけられたもので、それまでは「廃帝」「淡路廃帝」とされていた。

つまり、歴代天皇に数えられていなかったわけだ。そう聞くだけで不遇の天皇であったことが容易に想像できる。

しかしながら、淳仁天皇の祖父が天武天皇で、祖母が天智天皇の娘。天武・天智の孫ということになる。すばらしい血統なのだ。

この素晴らしい血統が不幸の原因となる。

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皇太子から天皇へ

聖武天皇崩御したあとのこと。聖武天皇の遺言で皇太子と決まっていた「道祖王」が、孝謙天皇(女帝)によって廃された。

そして、光明皇后(聖武天皇の皇后)の信任あつい「藤原仲麻呂」が強く推する「大炊王」(淳仁天皇)が皇太子となった

その後、大炊王(淳仁天皇)は藤原仲麻呂との結びつきを強めていく。

758年、孝謙天皇から譲位を受けて天皇に即位し、孝謙天皇は上皇に。

これによって、淳仁天皇の後見的立場の藤原仲麻呂の権力がますます大きくなり、政治の実権を握っていくことになる。

孝謙上皇と淳仁天皇の対立

栄枯盛衰とはよく言ったもので、後見的存在であった光明皇后が亡くなると、次第に藤原仲麻呂の勢いにも陰りが見えてくる。

そんな中で台頭し始めたのが怪僧「弓削道鏡」である。

焦った仲麻呂は、淳仁天皇を利用して孝謙上皇と弓削道鏡の親密な関係を断とうと考えた。

淳仁天皇は仲麻呂の進言のまま孝謙上皇を諫めた。これに孝謙上皇が激怒

天皇の大権を奪い取り、再び実権を掌握する

孝謙上皇と弓削道鏡 VS 藤原仲麻呂の権力争いは、孝謙上皇側が優勢。藤原仲麻呂の立場がさらに危うくなってくる。

藤原仲麻呂の乱

焦った仲麻呂は、今度は武力によって復権を図ろうと計画。しかし、密告者が続出し計画は破綻。

でも、戦うしか選択肢なかったのだろう。ついに挙兵。最大の誤算は淳仁天皇を担ぐことが出来なかったこと

これでは単なる謀反。

「吉備真備」率いる討伐軍が組織され、逃げる仲麻呂を追う。戦は琵琶湖の西岸を中心に展開され、最後は高島郡の三尾に籠城。仲麻呂は、船で琵琶湖に逃亡するも射殺され、一族も皆殺しとなった。。。

淳仁天皇の処罰

淳仁天皇はこの乱には参加しなかったわけだが、あまりにも仲麻呂との結びつきが強すぎたため「廃位」を宣告され、親王待遇で淡路島に流罪となった

逃亡を企てたこともあったが、ついに淡路島で病死。

称徳天皇(孝謙上皇が復位)の命により殺害されたとも。

天武天皇・天智天皇の血筋であり、かつ聖武天皇の皇太子であった淳仁天皇の復帰を待つ気運が都の貴族達の中に依然としてあったため、その芽を摘んだという説だ。

天武・天智の孫という血統を、ある時は利用され、最後は警戒され殺された。そんな一生だった。

白峯神宮の創建

香川県坂出市にある崇徳天皇の埋葬地「白峯陵」の門前に、御影堂が建立され「白峯大権現」(崇徳天皇の神霊)が祀られたのが始まり

江戸末期、孝明天皇が「崇徳天皇の神霊が異郷の地にあるのはよろしくない」と、京都に戻す勅令を出すが、ほどなくして崩御。

その後は明治天皇が引き継ぎ、飛鳥井家の邸宅跡地に社殿を造営し、御影堂から神像を移設し、ご神体として祀った。社名は「白峯宮」とした。慶応4年(1868年)のことである。

王政復古・明治維新というタイミングで、崇徳天皇を京に戻した理由とは、、、

「祟り神を祀り上げることで守護神とする」という御霊信仰。すなわち王城守護のために呼び寄せたということだろう。

明治6年に、同じく不遇の死を遂げた天皇「淳仁天皇」を合祀し、官幣中社となる。

昭和15年、官幣大社に昇格し「白峯神宮」と改名された。

白峯神宮のご利益

毎年7月7日に行われる精大明神例祭で、蹴鞠が奉納される。精大明神は「蹴鞠の守護神」

よって「サッカーの守護神」。さらに発展して「スポーツの守護神」とされる。

しかしこれは、主祭神のご神徳によるものではない。

崇徳天皇・淳仁天皇から頂けるご利益は「祟り除け」あるいは「悪縁切り」に他ならないのである。

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白峯神宮 参拝記録

堀川今出川の交差点を東へ100m。すぐに鳥居が見える。

この鳥居から境内に車を乗り入れることも可能だが、右横から神社の裏手に回り込むと駐車場があるので、そちらをお勧めする。落ち着いて参拝できる。

電車だと、地下鉄「今出川駅」を降りて今出川通りを西へ10分程度歩く感じ。

白峯神宮の鳥居と門

あいにく鳥居は修繕中。タクシーはここから境内に入っていく。

この日も修学旅行生たちが、いっちょまえにタクシーで乗りつけていた。

飛鳥井

この水は、枕草子に記されている9つの井戸の内の一つ「飛鳥井」。飛鳥井家の屋敷内に湧く井戸だから飛鳥井なのか、はたまた逆か、、、

地主神社(じしゅじんじゃ)

もともとこの地に祀られていた、この地を守る地主神を祀る社。よって、まずはこちらに参拝して、ご挨拶申し上げねば失礼にあたるのである。

  • 精大明神(スポーツ競技上達の神、技能・芸能上達の神)
  • 柊大明神(厄除・延命長寿の神)
  • 今宮大神(家内安全・無病息災の神)
  • 白峯天神(学業成就の神)
  • 糸元大明神(織物繁栄・和装の神)

こちらの「精大明神」が「スポーツ上達の神」なのである。

蹴鞠の碑

地主神社で参拝したあと、この蹴鞠の碑の「玉」を1回だけ回すと上達のご利益がいただけるとのことである。

スポーツメインで参拝される方々は、必ず地主神社に参拝して頂き、次の蹴鞠の碑の玉をまわして頂きたい。

拝殿

外から想像していたよりも境内は広く、明るく感じる。

拝殿・拝所

両脇にサッカーボールや野球ボール、バスケットボールにゴルフボール、と様々な球体が奉納されている。中には有名選手の名前が書かれてある物も。

そんな中、お相撲さんの色紙が奉納されていた。ちょっと場違いな感じがしたが、それはそれでいいではないか。

しかし、あまりにもごちゃごちゃし過ぎて、厳かな雰囲気が無くなってしまっている。

二拝二拍手一拝。

鞠庭

本殿の隣にあるのが「鞠庭」。7月7日の奉納蹴鞠は、ここで行われている。

伴緒社(とものおしゃ)

源為義公源為朝公が祀られている。保元の乱では崇徳上皇方に参加した武将だ。

武道、弓道の上達を望む人々の信仰を集めている。

潜龍社

昭和30年の御火焚祭りの斎行中に、火炎の中から出現した龍神を「潜龍大神」として祀ったとされる。

潜龍社の手水「笑い龍」

「笑い龍」は、コミカルでキュートな、笑っている龍の水口。

「笑いは心の常備薬。」とのこと。確かに。

潜龍社のご利益

こちらのご利益は、、、

  • 家系にまつわる諸々の悪縁を水に流し良縁となす。
  • 病気平癒・事業隆昌などの寿福長命。

と記されていた。

「家系にまつわる諸々の悪縁を水に流し良縁となす」これを見た私は、心動かされた。

私事で恐縮だが、、、

私の倫理にもとる願望によって起こした離婚調停。当然ながら難航していた。

そこで、崇徳天皇を祀る「安井金毘羅宮」で縁切り祈願を行ったのだが、その神力で奇跡的に離婚が成立。

しかし、子供たちとの縁も完全に断たれてしまった。もう10年以上会っていない。

ところがである。またしても奇跡が起こったのだ。

こちらに参拝した翌日のこと。その息子から突然の電話。就職が決まったとの報告だ。

そして、息子と10年ぶりに会うことになった。まさしく有難いことを起こしてくれたのである。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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