瀬織津姫命(せおりつひめ)|封印された女神。その正体とは。
瀬織津姫命は、神道の大祓詞において、罪や穢れを祓い清めてくださる「祓戸四神」の筆頭として登場する女神。
しかし、古事記や日本書紀には登場しない。それは、記紀編纂以来のタブーである「天照大御神は男神だった」の領域に入ってしまうことになるからだろう。
何かと謎めいた女神であり、それがまた人心をくすぐるのである。
瀬織津姫について
瀬織津姫命の神名
以下、すべて「セオリツヒメ」と読む。
- 瀬織津比咩
- 瀬織津比売
- 瀬織津媛
瀬織津姫命の神格
大祓詞によると、流れの速い瀬に坐し、罪穢れを海に流す祓いの女神であることから、
- 祓いの神
- 水の神
- 滝の神
- (流れのはやい)川の神
- 海の神
と言えよう。
瀬織津姫命の正体
瀬織津姫命は記紀に登場しないので、その素性がはっきりしない。
よくわからない神、しかし大祓詞に登場する重要な神。それが「瀬織津姫命」であり、そうであるがゆえに「その正体とは?」という議論が展開されることになるわけだ。
以下、いくつかの説を上げておこう。
天照大神荒魂説
”瀬織津姫命は天照大神の荒魂がである” とする説は、
神道五部書と呼ばれる、外宮の神職「渡会氏」によって提唱された「伊勢神道」の経典とも言える5つの書物の中の3書に、次のような記述が見える。
皇太神宮荒魂 一名 瀬織津比咩神
天照荒魂 亦名 瀬織津比咩神
天照荒魂 亦名 瀬織津比咩神
このように、瀬織津姫神は天照大御神の荒魂と位置付けている。
次に、真言密教から見た大祓詞の解説書「中臣祓訓解」によると、
伊弉諾尊所化乃神名。八十柱乃日神是奈理。天照太神乃荒魂於。祭宮那號須。悪事於祓布神也。
このように、瀬織津姫命は祓いの神である八十柱日神であり、かつ、天照大御神の荒魂であるとしている。
さらに、皇大神宮の別宮「伊雑宮」の御師である「西岡家伝承の文書」には、
玉柱屋姫神 天照大神分身在郷 瀬織津姫神 天照大神分身 在河
とある。
中世末期から江戸末期まで、伊雑宮の祭神は「伊佐波登美命」「玉柱屋姫神(玉柱神)」の2座と考えられており、そのうちの玉柱屋姫神は里に座す天照大神の分身で、瀬織津姫は河に座す天照大神の分身と解説するわけだ。
すなわち、天照大神・玉柱屋姫神・瀬織津姫神は同じ神であるというに等しい。
また、天照大神荒魂を祀る「廣田神社」の戦前までの由緒書に、
玉祭神の天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命:つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)は瀬織津姫である
と、ズバリ明記されていたらしい。
ここまでをまとめると、
概天照大御神(女神)の荒魂。その亦の名を瀬織津姫命(女神)といい、ときには玉柱屋姫命(女神)という。
ということだ。
しかし、次の説は尋常ではない。
天照大神の妃(正室)説
瀬織津姫は天照大神の妃であったとする説である。
何が尋常ではないのかというと、言うまでもないが、、、天照大神が男神であったことの証となるからだ。
ホツマツタエによると、
伊邪那岐と伊邪那美には4人の子がおり、長女がワカヒメ、長男がアマテラス、次男がツクヨミ、三男がスサノオ。
長男のアマテラスの妃の一人が瀬織津姫である。
としている。そして、
後にアマテラスが瀬織津姫を正妻として「内宮」に迎え入れたので、瀬織津姫は「向津姫」となる
とも。
神代文字の一種「ヲシテ文字」で書かれた古史古伝の一つで、天地開闢から景行天皇までを五七調の長歌体で綴る叙事詩である。
東京神田の古本屋で写本が再発見されたのが昭和41年。そして、その存在は江戸中期までしか遡ることができない。
というわけで、偽書であるとの評価であるが、一方で記紀の原典となった真書であるとする研究者も増えてきている。
偽書であるとされているが、これが真書であったならば、、、を考えると、偽書にしておかなければならないのである。
天照大神は女神ではなく男神だった、ということの証となるからだ。そして記紀がそれを隠したという事実が明るみに出る。しかも、、、
瀬織津姫を史実から抹殺するだけでなく、男の天照大神まで封印してしまったことになろう。
何故、そうまでして、天照大御神が女神でなければならなかったのだろう。それは、、、
時の天皇である「持統天皇(女帝)」の正当性を担保するためであるという見方が一般的なようだ。
さらに、瀬織津姫と同時に封印された「男神の天照大神」がすなわち「饒速日尊」なのだと歴史家はいう。となれば、神武天皇の正当性まで疑われてしまうわけだ。
その他の説
ほかにも、様々な説がある。
瀬織津姫命が3分割されて宗像三神となった。
瀬織津姫命は菊理媛神、水波能売命、市杵島姫命、弁財天である。
大山祇神が瀬織津姫命で、その娘である木花咲耶姫命と磐長姫命は瀬織津姫の2面性を表す。
あげればキリがない。
これらの説は、饒速日尊を祀る神社が祭神の変更を余儀なくされたように、瀬織津姫命を祀る神社が、上記の祭神名に変更させられたという側面もあるのだろう。
いずれにしても、記紀においての素性が不明であるがゆえに、そして、重要な神のような印象があるがゆえに、さまざまな説が飛び交うのである。
ディスカッション
コメント一覧
まあ異端というより、普通に、倭国大乱を祓い清め霊鎮めなされた、山田国ヒミコ斎王という「はやさすらう」是倭国大乱で疲弊した津々浦々を船渡御で、昭和天皇が戦後日本を霊鎮め為されたように、冨部美大鏡を載せ、マストにヤタガラスを載せてわたらせ給い、川から綱を引っ張って、祓え戸(日置)のレイラインまで引き上げそして全国を霊鎮めした」ゆえに「はやさうらう」一定して居住はない、常に、孔優菜に海の渚で、川の浅瀬で、御嶽で、磐座らで滝の流れる聖所に分け入って、その一生を倭国大乱の手見に、骨を折られたと思います。
これは私芽の神想観です。だが昭和の戦後同じように悪しき均等主義のトライ仁雄倭国大乱汚禍を払うためにご一升三度も日本を巡行為されたその姿は、まさに是折津姫の大神言卑弥呼斎王と宗女トヨ斎王にかぶるものだと思います。
本朝は女もんから女護ヶ島にて、女神の守りたる海神族の祭祀と、山の神とこのはな昨夜媛のようなハワイ、ポリネシア神道とh上に共通があり、特に天の仕事は、異常な海にお寒さと呼吸を止めるそのアマの生業によって、霊的に霊能力が高まり、まさに息長氏の出身と切ったヒミコ斎王は沖縄のユタのそのものの特性と薬師であり医者でありそして祓え戸のシャーマン。しかも、倭国大乱で魏の缶具の巌仮浮いて渡来する武装難民を追い払うなど大陸の事情や墨子の兵法和央用いるところ当時としては最高の女護ヶ島日本緒救世主だったと思っています
今もそのようにわたくしの神想観として、語っております。いやさか