瀬織津姫命(せおりつひめ)|封印された女神。その正体とは。

2019年9月20日

瀬織津姫命は、神道の大祓詞(おおはらえことば)に「祓戸四神」の筆頭として登場する女神。

しかし、古事記や日本書紀には登場しない。それは、記紀編纂以来のタブーである「天照大御神は男神」の領域に入ってしまうことになるからだろう。

何かと謎めいた女神であり、それがまた人心をくすぐるのである。

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瀬織津姫について

瀬織津姫命の神名

  • 瀬織津比咩
  • 瀬織津比売
  • 瀬織津媛

瀬織津姫命の神格

  • 祓いの神
  • 水の神
  • 滝の神
  • (流れのはやい)川の神
  • 海の神
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瀬織津姫命の正体

瀬織津姫命は記紀に登場しないので、その素性がはっきりしない。よくわからない神なのに、大祓詞に登場する重要な神が「瀬織津姫命」なのである。

勢い「その正体とは?」という議論が展開されることになるわけだ。

天照大神荒魂説

天照大神の荒魂が瀬織津姫命であるとする説は、次の文献に見ることができる。

神道五部書と呼ばれる、外宮の神職「渡会氏」によって提唱された「伊勢神道」の経典とも言える5つの書物の中に、下記のような記述が見える。

  • 倭姫命世記・・・「皇太神宮荒魂 一名 瀬織津比咩神」
  • 天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記・・・「天照荒魂 亦の名 瀬織津比咩神」
  • 伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記・・・「天照荒魂 亦の名 瀬織津比咩神」

また、真言密教から見た大祓詞の解説書では、

  • 中臣祓訓解・・・「瀬織津姫命 八十柱日神であり天照太神荒魂、」

皇大神宮の別宮「伊雑宮」の御師である西岡家伝承の文書には、

  • 「玉柱屋姫神 天照大神分身在郷」「瀬織津姫神 天照大神分身在河」

中世末期から江戸末期まで、伊雑宮の祭神は伊佐波登美命」「玉柱屋姫神(玉柱神)」の2座と考えられており、

玉柱屋姫神は里に座す天照大神の分身で、瀬織津姫は河に座す天照大神の分身と解説するわけだ。

すなわち、天照大神・玉柱屋姫神・瀬織津姫神は同じ神であるというに等しい。

 

また、天照大神荒魂を祀る「廣田神社」の戦前までの由緒書に、

  • 「祭神の天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命:つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)は瀬織津姫である」

と、ズバリ明記されていたらしい。

ここまではいい。

概ね、天照大御神(女神)の荒魂。その亦の名を瀬織津姫命(女神)といい、ときには玉柱屋姫命(女神)という。

ということだ。しかし、次の説は尋常ではない。

天照大神の妃(正室)説

瀬織津姫は天照大神の妃であったとする説である。

何が純情ではないのかというと、言うまでもないが、、、

天照大神が男神であったことの証となるからだ。

ホツマツタエによると、

  • 伊邪那岐と伊邪那美には4人の子がおり、長女がワカヒメ、長男がアマテラス、次男がツクヨミ、三男がスサノオで、長男のアマテラスの妃の一人が瀬織津姫である。

としている。そして、

  • 後にアマテラスが瀬織津姫を正妻として「内宮」に迎え入れたので、瀬織津姫は「向津姫」となる。

とも。

ホツマツタヱ

神代文字の一種「ヲシテ文字」で書かれた古史古伝の一つ。天地開闢から景行天皇までを五七調の長歌体で綴る叙事詩である。

神田の古本屋で写本が再発見されたのが昭和41年。そして、その存在はも江戸中期までしか遡ることができない。

というわけで、偽書であるとの評価であるが、一方、記紀の原典となった真書であるとする研究者も増えてきている。

偽書であるとされているが、これが本当に真書であったならば、、、を考えると、偽書にしておかなければならないのである。

天照大神は女神ではなく男神だった、ということの証となるからだ。そして記紀がそれを隠したという事実が明るみに出る。しかも、、、

瀬織津姫を史実から抹殺するだけでなく、男の天照大神まで封印してしまったことになろう。

何故、そうまでして、天照大御神が女神でなければならなかったのだろう。それは、、、

時の天皇である「持統天皇(女帝)」の正当性を担保するためであるという見方が一般的なようだ。

さらに、瀬織津姫と同時に封印された「男神の天照大神」がすなわち「饒速日尊」なのだと歴史家はいう。となれば、神武天皇の正当性まで疑われてしまうわけだ。

こわいこわい。

その他の説

ほかにも、、、

  • 瀬織津姫命が3分割されて宗像三神となった。
  • 瀬織津姫命は菊理媛神、水波能売命、市杵島姫命、弁財天、である。
  • 大山祇神が瀬織津姫命で、その娘である木花咲耶姫命と磐長姫命は瀬織津姫の2面性を表す。

これらの説は、饒速日尊を祀る神社が祭神の変更を余儀なくされたように、瀬織津姫命を祀る神社が、上記の祭神名に変更させられたという側面もあろう。

いずれにしても、記紀においての素性が不明であるがゆえに、そして重要な神のような印象があるがゆえに、さまざまな説が飛び交うのである。