柳森神社|秋葉原|お稲荷様で商売繁盛、お狸様で立身出世!

2018年4月9日

秋葉原から神田へ抜ける裏道?。神田川に架かる橋を渡るとき必ず目に留まるのが、この風景だろう。

ここ柳森神社は、東京都千代田区神田須田町にある神社である。

神田川の堤防沿いの境内は極めて狭いのだが、出世開運の「お狸様」・非常に珍しい桜の一種である「御衣黄」や力石」などの見どころを持つ、とても楽しい神社である。

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柳森神社について

柳森神社 概要

  • 所在地   東京都千代田区神田須田町2丁目25−1
  • 電話番号  03-3251-6422
  • 最寄り駅  秋葉原駅から徒歩5分程度
  • 駐車場   なし
  • 主祭神      倉稲魂大神・保倉命
  • 創建年
  • 社格
  • 公式HP      なし

MAP

柳森神社の祭神

なかなか情報が錯綜しているようだが、本殿に祀られる神は、倉稲魂大神・保倉命と思われ、かの有名な「お狸様:福寿神」は境内社の「福寿社」に祀られているものと理解している。

倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)

日本書紀では「倉稲魂命」、古事記では「宇迦之御魂神」と書く。伏見稲荷大社の主祭神とされる、穀物をはじめとする食物全般を司る神。稲荷大神とも称されており、全国の稲荷神社に祀られている神様である。

記紀における読み方は「うかのみたま」なのだが、こちらでは「くらいなたま」と読ませる。東京神社庁がそう言っているのだから間違いなかろう。

保倉命(ほくらのみこと?)

保倉命は記紀には登場しないと思われる。読み方・神格とも不明ではあるが、倉を保つという意味で「五穀豊穣」すなわち「穀物を司る神」であると、私は理解した。

保食神(うけもちのかみ)との間違いであるような気もしないわけではないが、いずれにしても穀物神・食物神であるからして、これ以上の詮索は無用と考える。

福寿神(ふくじゅのかみ)

境内社「福寿社」に祀られる神で、通称「お狸様」勝負運・出世開運などのご利益を頂けると大評判である。

さて、福寿神についてネット上の情報をまとめてみると。。。

  • 福寿神は、境内社の「福寿社」に祀られている。
  • その御本尊は、「妊娠中の狸の像」らしい。
  • 5代将軍綱吉公の生母「桂昌院」が江戸城内で創建。
  • 創祀当時は「福寿稲荷」と称されていたらしい。

これらを踏まえて想像するに、、、(あくまでも想像であるが故に、読み飛ばして頂いても結構である)

桂昌院は故郷である京都の伏見稲荷大社のお塚の一つ「福寿社」から「稲荷大神」を勧請したのではないかと考える。

大奥のトップである桂昌院が、故郷の都から勧請した「稲荷社」に「狸」を祀る理由が無いと思うからである。

それが、後年、桂昌院の出世ぶりにあやかり玉の輿に乗りたいと願う大奥の女中たちの信仰を集めていく中で、「他を出し抜く」=「他抜く」=「狸」に変化していったのではいだろうか。

よって、ご本尊の「妊娠中の狸像」も創建当初から祀られていたかどうか。。。狸像は福寿社とは別に祀っていて、それが合祀されたのかも。。。

などと、想像を膨らませた。こんな想像をすることも、神社参拝の一つの楽しみであもあると思っている。

柳森神社の創建・歴史

創建は1458年のこと。

太田道灌が江戸城の鬼門除として植樹した柳の森に伏見稲荷大社から稲荷大神を勧請し、鎮守の神として祀られたのが始まりとされる。

現在の佐久間町あたりらしい。

1659年の神田川掘割工事を受けて、現鎮座地に遷座。その時、柳の木も同時に移され神田川の川堤を飾ったという。

ということは、神田川を挟んで向かいに引っ越したということか。

境内社の福寿社は明治に入ってから遷座されたという。

柳森神社のご利益

柳森神社創建の理由より「方位除け」、倉稲魂大神のご神徳により「衣食住安心」「商売繁盛」。福寿神のご神徳により「勝負運向上」・「良縁成就」が期待できる。

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柳森神社 参拝記録

秋葉原駅を下車し、ワシントンホテルの方角へ歩く。ワシントンホテルの西側を左に曲がると神田川に架かる「神田ふれあい橋」がある。

橋の上から見た神社

もう、川ギリギリ。道頓堀川に面した老舗のすき焼き店とでも言おうか。

柳森神社の社頭と鳥居

石造の明神鳥居と鉄条網、そして柳の枝。シュールな景色である。

この鳥居をくぐり、階段を下りて境内に入る。このように境内の方が低い構造の神社のことを「下り宮」という。

「下り宮は鎮魂の社?」などという説もあるようだが、こちらに限っては特別な意味はないと思う。

ここの場合は、後から護岸工事と堤防工事が行われたから、このような構造になるしかなかったのだろう。

さて、階段を下りると手水舎の横に冨士講にまつわる石碑と浅間神社が鎮座する。

富士講関係石碑群

1670年、富士山の富士本宮浅間大社から分霊申し上げた「木花咲耶姫命」を柳森神社に合祀。

1870年の「東都歳時記」には、富士塚の一例として当社の富士塚が紹介されている。

というようなことから、柳森神社は富士講との関わりが深かったことが伺える。

力石

名前の刻まれた力石が、いくつも置かれてある。

柳森神社の拝殿

関東大震災で消滅したが、7年後の1930年に再建。戦災を免れたため、都心部の神社にしては珍しく木造の拝殿・本殿を持っている。

二拝二拍手一拝。

この日、桜が満開だったため、多くの参拝客(にわか写真家?)が多かったのだが、誰一人として神殿に拝する者はいなかった。。。

柳森神社の本殿

内削ぎの千木に6本の鰹木。女神の証しである。

しかし、鉄条網がやらしい。このあたり、そんなに治安が悪かっただろうか。

御衣黄(ぎょいこう)

御衣黄は桜の栽培種のひとつ。いわゆる品種改良で作り出された観賞用の桜である。京都の仁和寺で栽培されたのが始まりとか。

この桜の特徴は何といっても花の色。そして変化すること。

桜といえばピンクもしくは白を思い浮かべるだろう。

しかし、御衣黄は、、、先始めは淡い黄緑色。徐々に白くなり、さらには中心部から淡い紅が差してくる。

この日の色合いは、白から桃色に変わりかけ。よって、盛りを過ぎてボチボチ終わりかけか?

福寿社の鳥居

拝殿の脇に朱の鳥居がある。福寿神という神額が掲げられおり、お狸さんの狛狸が控えているため、これは福寿社への鳥居となる。

ユーモラスな狸像の石台には「福寿たぬき尊」とある。まさかこれが桂昌院が信仰したという福寿神のご本尊?こんなところに?こんな向きで?

絶対に違う。と思いたい。

福寿社

神田川を背に鎮座する小祠。これが「福寿社」である。思いのほか小さい。

江戸城内に福寿いなりを創建した桂昌院は、今の世の中をどう思っているのだろうか。。。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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