玉祖神社(たまのおや)|河内之國 謎の大三角形③結論編”
玉祖神社は、八尾市大字神立に鎮座する神社。延喜式神名帳に記載ある式内社であるからして、由緒正しき古社と言えよう。
大阪の八尾から奈良の平群へ抜ける峠(十三峠、水呑峠とも)の登り口から、少し南に入った所にあるため、見かけて立ち寄るというレベルの場所ではない。
高安山の斜面にあるため、境内から河内平野が一望でき、晴れた日には大阪湾まで見通せる、日当たり良好で非常に景色の良い場所だ。
玉祖神社について
玉祖神社 概要
- 所在地 大阪府八尾市大字神立5丁目5
- 電話番号
- 主祭神 天明玉命
- 創建年 710年
- 社格 式内社・郷社
- ご利益 夫婦和合、子宝、眼鏡製造
- 公式HP なし
玉祖神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 近鉄信貴線 服部川駅 徒歩25分
駐車場
- あり(無料)
玉祖神社の創建
飛鳥時代、この周辺には玉造部の集落があった。
710年(和銅3年)、山口県の玉祖神社から「天明玉命」を勧請して、彼らの祖神として祀ったのが始まり
という。
玉祖と書いて「たまのおや」と読む。また、高安大明神とも称された。
玉祖神社の祭神
主祭神は、天明玉命。櫛明玉命とも称される。
天明玉命といえば、天の岩戸隠れの神話で、八尺瓊勾玉を造った神として登場。
また、天孫降臨の神話では、ニニギ尊に随伴して天降った5柱として、天児屋根命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命とともに名を連ねる。
まさに天津神のエリートである。
玉祖神社 参拝記録
十三峠の登りにさしかかったあたりから、南へ分岐する農道入ると、200mぐらいで玉祖神社に到着する。
石切劔箭神社、若江鏡神社、玉祖神社。三種の神器を冠する神社で形作られる河内の謎の大三角形。その玉祖神社とあって、期待が膨らむではないか。
さて、ここから、大きな楠木の横を通って石段を上がっていく。
通常は、鳥居をくぐって階段にさしかかると、神気が立ち込めているものなのだが、ここはあまり神気を感じるとることができない。日当たりがよすぎるか?
本殿
これが、玉祖神社の拝殿だ。非常に綺麗に掃き清められている。瓦も美しい。
社殿は1725年に再建されたと聞くが、この拝殿もそうなのであろうか。
狛犬の注連縄の化粧まわし的なモノ(なんというのかわからないので。。。)が長い。
二礼二柏手一礼。
とても優しい柔和な気持ちになる。癒されていく感覚だ。日当たりが良いせいだろうか?
境内社
末社:合祀殿(右)と山口社(左)
「合祀社」には、菅原神社(菅原道真公)、稲荷神社(倉稲魂神)、八幡神社(誉田和気尊)を合わせ祀っている。それぞれ、近隣地域の氏神様を合祀したということだ。
となりの「山口社」は、猿田彦神を祀っている。同じく、同エリアの麓の神社を勧請したもののよう。
末社:合祀殿
こちらには、八王子社、恩智神社、住吉神社、吉野権現、蛭子社の5社が合祀されている。
どうやらこちらは、玉祖神社の創建物語にかかわる神様を勧請して合祀したもののように思う。
水神社、玉光滝
山に向かって入っていくと、
左手の池の中に水神社(罔象女神)が鎮座している。
さらに上がると(と言ってもすぐ先に見えている)小さな祠と、その後ろに小さな滝があった。
玉光滝である。
こにあたりは、山からの冷気が流れてくるのか、きりっと引き締まった空気を感じることが出来た。
おまけ
精力絶倫パワーのご神木?
鳥居の横に、参道の階段に覆いかぶさるように、大きな楠木がそびえたっている。
登りは見えない。石段を降りていくとこれに気が付くのである。
根元あたりで幹に巻き込まれるようにして、石柱が挟まっている。ニョキっと石柱が生えているように見えるだろう。
これはまさしく「男根」のようにも見える。ご利益は子宝だろうか。精力絶倫パワーを期待せずにはいられないのである。
天然記念物?黒柏鶏
こちらも帰りに気が付いた。鳥居の横で鶏を飼育しているのである。
山口県の玉祖神社から譲り受けた鶏で、黒柏鶏(長鳴鶏)という天然記念物らしい。
おじいさんとお孫さんが、エサをやりに来ていた。なんともほほえましい光景である。
この長鳴鶏にまつわる逸話(恩智神社との氏子境界線争いの話)なんかもあるのだが、あまり興味がないので、ここでは割愛しよう。
最後に
石切劔箭神社、若江鏡神社、この玉祖神社、三種の神器を冠する神社を線で結ぶと正三角形になる!という予備知識を持った中での参拝。
何かがあるのでは?と結構期待してたのだが、なんともぼんやりとした印象で。日当たりが良すぎたせいだろうか。。。
いやいや、私の感性が未熟なんだということだろう。
しかし、ひとつ大きな収穫があった。
「主祭神は、天明玉命。櫛明玉命とも称される。」ということであるが、櫛明玉とは、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。。。
神名を「櫛明玉命=天明玉命」にすり替えて、実は饒速日尊を祀っていたのやもしれぬ。
もし、そうだとすれば、三種神器を冠する神社がいずれも饒速日尊を祀っていることになる。
それが意味することとは、饒速日尊が正統なる初代の日本国王であるということなんだろうか。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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