神主さんに教えてもらった神社の参拝方法

2018年3月5日

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「正しい神社参拝の方法」に関する管理人の考え方

実は、はっきり言って、特に決まりはないと思ってます。こうしないと神様に怒られるとか、失礼に当たるとか、神様だからって特別に考えなくてもいいと思ってます。

普通に、友達にしたら怒りよるようなことは、神様にもしてはいけないわけですよ。

ただ、神様の場合は、神様を尊ぶ気持ちや謙虚な気持ち、いわゆる畏敬の念、それと感謝の気持ちを持って神前に立つなら、という前提条件が付きます。

そして、畏敬の念と感謝の意を表明する所作って、我々、わかりませんよね。学校じゃ教えませんし。

ですから、神社庁が定めた作法をガイドラインとして、型から入ればいいんじゃないの。という考え方です。私は。

 

でも、実際、きれいな所作で参拝している姿は、見ていて気持ちのいいものです。

ということは、神様も気持ちよく思ってくださるんじゃないかなと思ってます。

結局のところ、人は皆、現世における自分や家族や一族郎党の幸せを祈るわけですよね。だから氏神様

ですから神様に、快く思ってもらうことが大切なことと思いませんか?

そういう意味でも、是非、作法の基本を知ったうえで、ご自由に参拝してください!

神社は国家の安寧を祈る場所で、個人の願いを訴える場所ではないという主張もありますが、それについては後日。

参拝の準備

参拝の前は、入浴やシャワーなどで体を清めます。前日の場合は、念入りに洗いましょう。

服装は、派手なもの、露出性の高ものは避けます。

参道の通り方

鳥居で、一旦立ち止まり、直立し、一揖(いちゆう)します。このとき、鳥居の真ん中(正中)ではなく、端で行ってください。

参道を進むときは、正中(真ん中)を避けて端を通ります。正中は神様の通り道です。鳥居を一歩くぐるとそこは神域です。

大声で騒ぐことなどは慎みます。

右側通行か左側通行かは、手水舎がどちら側にあるかで決まりますが、基本は左側です。

二の鳥居、三の鳥居と進むにつれて神域の深さが高まります。

祓戸社と手水舎での禊の作法

祓戸社がある場合は、かならず参拝して、心の諸々の罪穢れを祓い清めて頂きます。

一揖 二拝二拍手一拝 一揖 (これは、後述します。)

手水舎での手順

①まず右手で柄杓を持って水を汲みます。
②左手をすすぎます。
③柄杓を左手に持ち替えて右手をすすぎます。
④右手に持ち替えて、左手のひらに水を注いで、その手の中の水で口をすすぎます。
⑤左手に口をつけたので、再度、左手をすすぎます。
⑥最後に柄杓を立てて、残りの水で柄の部分を洗い流します。

出来れば、最初に汲んだ水で最後まで行うのが望ましいです。
柄杓に直接口をつけるのはNGです。

拝殿での作法

拝殿の前に進みます。このときも正中は避けて端に立つことが望ましいです。
初詣のような混雑時は、そうも言ってられないので、正中でもかまいません。

①お賽銭をいれ、鈴を鳴らします。お賽銭は、供物を供える代わりになります。

鈴は、そのすずやかな音色で神様に降りていただくために鳴らします。
ですから、すずやかに鳴らしてください。

②一揖(揖は45度の礼です) これから参拝しますの意味。

③二拝(拝は90度の礼です) 腰ではなくて足の付け根から折り曲げるように行うと美しい拝になります。

④二拍手 胸の前で右手のひらを少し下にずらして、肩幅に広げて2回。手をずらすことできれいな音になります。

⑤祈願を行います。

声に出して行うか心の中でもいいです。個人的には、他の参拝者がいる場合は声に出しません。たぶん迷惑だと思うからです。

「祓い給い清め給え。神ながら守り給い幸い給え」(はらいたまいきよめたまえ。かむながら、まもりたまいさきわいたまえ)を三回唱えます。

もしくは、天津祝詞を3回。

お願いごとがある場合は、住所(番地以降は省略可)氏名をお伝えしてから、感謝の意を述べてから、願いごとをお伝えします。

願いごとは、「できますように」という神様に依存する言い方ではなく、「~します」と自分自身が努力して実現する、「宣言形式」しましょう。

ポイントはここ。宣言する場だという心構えです。心願は努力なくして成就しません。努力してきたこと、あるいはこれから努力することを改めて神前で宣言することで、努力できるんじゃないでしょうか。そして結果とした現れる。有言実行というやつです。これが幸せを掴む極意でしょう。

⑥一拝(拝は90度の礼です)

⑦一揖(揖は45度の礼です) 参拝が終了しました。ありがとうございましたの意。

と、書くとややこしく感じますよね。また、いろいろと疑問が湧いてくるかも。

基本は、冒頭に述べたようなことですから、最低限のマナーを守って、他の参拝者の迷惑にさえならなければ、神様にも失礼なことにはならないんじゃないかなと思いますよ。