龍田大社|名神大社|荒ぶる神「風神」は、生命の神か?祟り神か?

2016年9月6日

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龍田大社は、式内社の名神大社であり二十二社の中七社に数えられ、官幣大社に選定された、霊験あらたかな古社である。

大和川が奈良盆地から大阪平野へと流れ出る地点。すなわち、大和国と河内国を結び、さらには九州を超えて大陸とも結ぶ水上交通の要所の高台。

言い換えれば「王城の地、大和」の「西の砦」にふさわしい場所に、風神・龍田大社は鎮座する。

またここは、河内と大和の境にある生駒山系と金剛葛城山系の切れ目にあたり、西からの風が山地に当たってこの切れ目から大和に流れ込む。強風地帯であったと聞く。風神が祀られるにふさわしい場所である。

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龍田大社について

龍田大社の創建

社伝によると、、、

今から約2100年前、第十代・崇神天皇の時代、国内に凶作や疫病が流行し騒然としているなか、天皇の御夢に大神様が現れ「吾が宮を朝日の日向かう処、夕日の日隠る処の龍田の立野の小野に定めまつりて…」という御神託を授けられました。その通りにお社を造営すると、作物は豊作、疫病は退散したと伝えられ、これが当社の創建とされています。
<延喜式・龍田風神祭祝詞より>
・・・龍田大社HPより・・・

しかし、日本書紀では、、、

天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀った。

天武天皇が造営したようだ。龍田に風神広瀬に水神「龍田大社」と「広瀬大社」の誕生である。これより後、風雨の順調を祈願する「龍田風鎮祭」「広瀬大忌祭」が、恒例神事として行われることになる。

広瀬も交通の要所である。大和盆地の多くの川がこの地点で大和川と合流するのである。ここを抑えることが大和を抑えることにつながるのだ。


余談であるが、崇神天皇の時代は、やたら疫病が流行した時代と見える。というのも、、、

余談であるが、崇神天皇の時代は、やたら疫病が流行した時代と見える。というのも、、、

疫病を鎮めるために、宮中に祀っていた「天照大神」と「大和御魂大神」を宮中から出して、別々に祀らせることにしたのも崇神天皇

ここから「天照大神」の鎮座地を求める流浪の旅が始まるわけである、ご存知、伊勢の「神宮」のルーツである。

またまた、疫病が流行したとき、今度は「大物主大神」と「大和御魂大神」を別々に、すなわち大物主大神は太田田根子に、そして大和御魂大神は市磯長尾市に祀らせたのも崇神天皇

これが大物主大神とご神体三輪山を祀る「大神神社」の創建につながるのである。

龍田大社の祭神

龍田大社の主祭神は、前述の「大神様」で2柱の神である。

天御柱大神(あめのみはしらのおおかみ)・・・別名を志那都比古命(しなつひこのみこと)
伊弉諾・伊弉冉から生まれた「風の神」とされ、伊勢の内宮の境内別宮「風日祈宮」や外宮の境内別宮「風宮」に祀られている神である。
国御柱大神(くにのみはしらのおおかみ)・・・別名を志那都比売命(しなつひめのみこと)
志那都比古命が男神であるのに対し、志那都比売命は女神である。記紀に記述はない。

龍田大社のご利益

風の神様のご神徳は、、、

天と地の間即ち大気・生気・風力を司る神様で、「風の神様」と申します。ご神名の「御柱(みはしら)」とは「天地万物の中心の柱」とされ、別名の「志那(しな)」とは「息長(長寿)」を意味し、「気息の長く遠く吹き亘る」とされます。つまりは天地宇宙の万物生成の中心となる「気」をお守護(まも)りくださる、幅広いお力のある神様です。

・・龍田大社HPより・・・

ということである。

直接的なご神徳は、息長=長寿であり、間接的には「気」の守護神であるから「気」の力の及ぶところすべからくお守りいただけるということと解釈した。

となると、、、

「病は気」からと言う通り、気の流れが滞るところに病気が発生するわけで、その気を浄化していただけるとすると、病気平癒のご利益が頂けるということにもなる。
さらに、「元気」の「気」、「運気」の「気」、「活気」の「気」、「やる気」の「気」。考えれば、他にもたくさん出てくるだろう。
もちろん、風神であるからして「暴風」鎮めのご神力と、逆に「神風」を吹かせるご神力をお持ちであることは言うまでもない。よって、「航海安全」のご利益を求めるのは当然のことであろうし、「起死回生の一発」のご利益を求めるのもいいだろう。
受験生の皆さんは、「風邪除け」のご利益を頂きたいものである。
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龍田大社 参拝記録

国道25号線を大阪から奈良方面へ車を走らせる。大和川沿いの道は気持ちがいい。「亀の瀬」(浅瀬で急流)という、比較的ゆったりとした流れの大和川の中にあって唯一の難所とされるエリアを過ぎると、いよいと大和である。

川沿いから北岸を見ると、生駒山系南端の霊山・信貴山が見える。そしてその嶺から川沿いに長く伸びる稜線。私には蛇に見えた。龍の方がいいだろうか。龍にしよう。

左折し川を渡り、その龍の尾へと進む。5分ほどで龍田大社に到着する。駐車場は無料で意外に広い。

非常に暑い日であったが、心地良い風が吹いている。

鳥居

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朱塗りの両部鳥居である。両部鳥居は神仏習合の名残とされるが、この鳥居以外に神仏習合を思わせるものはなかった。

なんと、参道が全面工事中である。石を切り出す「キ~ン」という金属音、遠慮なく出入りするダンプカーと砂煙。はっきり言って興ざめである。

しかし、私も大人であるからして平静を装い、手水舎へと進む。

手水舎

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水口は龍である。一般的ではあるが、龍の髭がリアルである。

参道を通ることが出来ないので、社務所側(左手奥)から迂回して拝殿へ向かう。

社務所入口

すると、社務所の入口で、ちょっと不気味絵が描かれた衝立を見つけた。

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雅楽の「蘭陵王」の図柄とのこと。「蘭陵王」は、中国の西斉の勇猛果敢な武将だったらしい。いろいろと脚色されているようだが、「類まれなる美男子で、その美しさに見とれてしまい、味方軍の士気が下がる。よって戦場では仮面をつけていた」らしい。

話は話として、この絵柄の躍動感が実に素晴らしいと感じた。

その前には、八方位が刻まれた手水があった。楓のご神紋も刻まれている。楓は八方位を象徴している。

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癒しのパワースポット「拝殿」「本殿」

拝殿へと進む。

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長いしめ縄が両側の柱に巻き付いている様が印象的である。私には蛇に見えた昇り龍とも。

参道を通ることはできなかったが、拝殿前のスペースは癒し空間である。拝殿に向かって左側から、そよ風が吹いて来る。

拝殿から奥を見ると、手前の左右にいくつかの社が見える。画像では見づらいのだが摂社である。立派な摂社である。

本殿に向かって左側に摂社が2社

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祭神は、手前から「龍田比古命」と「龍田比売命」。
天御柱大神と国三柱大神が降臨する以前の神武天皇の時代から、この龍田の立野に鎮座まします夫婦の氏神様とされている。上の画像は、「龍田比古命」の社。

本殿に向かって右側に末社が3社。奥から、上座・中座・下座とされる。

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上座「天照大御神と住吉大神」
住吉大神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称である。
中座「枚岡大神と春日大神」
枚岡大神と春日大神とは?枚岡神社は元春日である。考えるに、枚岡大神は天児屋根大神比売神を指し、春日大神は経津主命武甕槌命を指すのであろうか。
下座「高望王の妃」
高望王
とは、桓武天皇の孫で、関東に下って平氏を名乗った初めての人である。桓武平氏の始祖である。高望王の拠点が龍田の地にあったと見られる。その妃が祀られている。

そして、その奥、一層の高見に本殿が2社。しかし、見えない。見えないように工夫されているかのようである。

とにもかくにも、祈らずには始まらない。ニ拝二拍手一拝。天津祝詞を三回奏上する。

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奏上一回目、左からの風が本殿方向からの風に変わる。二回目、右側からの風に変わる。三回目、最後に真後ろから。祝詞奏上に合わせるように、風が自分のまわりを一周したことになる。

これは何を意味するのだろうか。

何も意味しないのかもしれない。。。

しかし、私は思うのである。意味のあるものとして感じようとすることが感受性を養うことにつながると。いずれにしても、その間ずっと癒されていたことは間違いない。360度から見られていたようにも思える。蛇に

様々な方向から、何とか本殿を見ようと試みたが見えない。あきらめて、本殿外の左奥、森への入り口のような場所にある末社に向かう。

境内社

浄化のパワースポット「白龍神社」

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3社並んだ一番手前にあるのが「白龍神社」である。

江戸の末期、この龍田大社には白蛇が棲みすいていたらしい。ところがある日突然姿を隠した。その白蛇が、明治の終り頃になって突如、葛城のにごり池に「白龍」として再来したとのこと。それを祝って建立されたのがこの「白龍神社」らしい。

鳥居をくぐると、すぐに感じるこの感覚。頭がジーンとしてくる。脳みそが膨らむ。浄化パワーを浴びたときに感じる身体的変化である。私だけかもしれないが。。。

賽銭箱の前で二拝二拍手一拝。ここで、膨らんだ脳は元に戻って、その後心地よい脱力感に身をゆだねるのである。

先に進もう。賽銭箱の横をすり抜けて奥の神石に進む。

「白龍大神様は大変お水を好まれます。御石にお水をお掛けください」と書かれてある。柄杓で水を掛ける。

ご利益はというと、龍田明神のお使いで神結びの神浄難災難除けの神とされているのだが、女性の信仰厚く、特に安産時期の女性の参拝が多いとのことである。

恵比寿神社

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その隣には、正月の大レースでおなじみの「西宮戎神社」から御分霊いただいた「龍田恵比寿神社」が鎮座する。祭神は、もちろん「えびす大神」(蛭子命)である。

三室稲荷神社

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その隣には、「三室稲荷神社」がある。祭祀は、もちろん「宇迦之御魂神」である。

恵比寿神社、稲荷神社と、商売繁盛の神様が2柱並んで鎮座していることになる。

本殿・拝殿エリアを後にして、庭園風に設えた横参道を降りていくことにする

大砲と弾丸

その途中に、大砲の銃身と弾丸が奉納されている。

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日露戦争のころのものだとか。。。忠魂碑であろうか。

下照神社

横参道を進むと左側の池に「下照神社」が浮かんでいる。「祖霊社」であるようだ。

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祖霊社に「下照」の名称。どうもしっくりこないのだが。。。「下照比売命」と言えば。古事記では大国主命と多紀理姫命の間に生まれた女神とされている。また、卑弥呼をモデルとした神で「天照」と「下照」の対になるとも。そうであれば大神様である。どうもしっくりこない。

謎の石

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何の説明書きもなく、HPにも書かれていない、謎の建造物である。木製の柱を立てていた形跡がある。

遥拝所

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伊勢神宮、皇居、宮中三殿の遥拝所である。

謎の注連縄

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長い注連縄が、高い方の木から垂れて短い方の木に括り付けられている。どこかで似たようなものを見た気がする。そうである。「矢田坐久志玉比古神社」である。

どうも、ここには蛇を連想させるものが多い。蛇と言えば大物主大神なのだが。。。

最後に

風雨の順調を祈願する祭祀には2種類あり、一つは名神大社・二十二社などで臨時で行われる祭祀。もうひとつが、恒例で行われる祭祀である。龍田大社と広瀬大社の「風神祭」と「大忌祭」は、恒例で行われる祭祀である。しかも国家神事として。いかに重要な地位にあったかがわかる。

国家的祭祀が恒例として行われるからには、そこに必然性がなければならないと考える。そう考えた時に思い浮かび上がるのは、やはり「祟り」であろう。

そもそも、龍田大社の「風神祭」はいいとして、同時に行われる広瀬大社の祭祀が「水神祭」ではなく「大忌祭」であることに違和感を持つのである。

「大いに忌む」この意味は何だろう。何を忌むのだろう。

後日、広瀬大社の参拝記録で考察したいと思う。

水神 広瀬大社の記事はコチラ
➡ 広瀬大社 水の神は、失われた王家の祟りを封じる大神であった!
火の神 往駒坐伊古麻都比古神社の記事はコチラ
➡ 徃馬坐伊古麻都比古神社 浄化と癒しのパワースポット

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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