彌刀(弥刀)神社|東大阪|古代大和川の河口に鎮座する水戸の神は祓いの神だ。

2017年9月27日

彌刀神社は、大阪府東大阪市近江堂に鎮座する古社である。

旧大和川(現:長瀬川)が河内湖に注ぎ込む河口付近の港、いわゆる水戸(水門:みと)の守護を願って造営されたと考えられているが、定かではない。

ちなみに、このあたりは、一大港湾にのぞむ大きな水戸(河口)であったことから「大水戸」(おおみと)と呼ばれ、それが訛って「近江堂」(おうみどう)という地名になったと聞く。

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彌刀神社について

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彌刀神社 概要

  • 所在地    大阪府東大阪市近江堂1-12-15
  • 電話番号        06-6722-0591
  • 主祭神    速秋津日子神・速秋津比売神
  • 創建年           不詳
  • 社格     式内社 村社
  • 公式HP    なし

彌刀神社 アクセス

MAP

最寄駅

  • 近鉄大阪線「弥刀駅」・「長瀬駅」 それぞれ徒歩7分程度

駐車場

  • なし

彌刀神社の祭神

現在は、本殿に速秋津日子神・速秋津比売神を祀る。そして、本殿の左横、同じ透弊内の微高地に須佐之男命を祀る。

速秋津日子神(はやあきつひこ)

速秋津比売神(はやあきつひめ)

この神は、伊邪那岐命と伊邪那美命の神産みで生まれた男女一対の神。総称して水戸神(みとのかみ)と呼ばれる、港を司る神、あるいは河口を司る神。

大祓詞のよると、川上の瀬織津比売神が罪や穢れを海に流し、荒潮に坐す速開津比売(はやあきつひめ)がそれを呑み込むとされる。

すなわち、祓いの神でもあるのだ。

須佐之男命(すさのおのみこと)

本殿瑞垣内の摂社「八坂神社」に、須佐之男命を祀る。

江戸時代における弥刀神社は、当時の流行であった「牛頭天王」が祀られていたようだ。

そして、明治の神仏分離政策を受けて、他の牛頭天王を祀っていた神社がそうしたように、弥刀神社もまた牛頭天王を廃することになる。

多くの神社は同一神と見なされていた「須佐之男命」に主祭神を変更していった中、この弥刀神社においては、その歴史的観点から、主祭神は速秋津日子神・速秋津比売神に変更。そして、牛頭天王は須佐之男命に変更して摂社とし、引き継き「疫病除け」として祀ったということだろう。

しかし、この摂社「八坂神社」の社殿は江戸中期の建築様式が残されているという。よって、むしろ、本殿のほうが新たに造営されたのかもしれない。

彌刀神社の創建

創建年代は明らかではない。

延喜式よりも古い時代(平安初期:820年)の「弘仁式」の神名帳に記載があり官幣小社であったらしい。

さらに社伝によると、

天平宝宇6年(762年)6月の旧大和川(長瀬川)の大氾濫で、由来となる建物や器物が流失した

というから、奈良時代には存在したということになる。

がしかし、その当時の祭神は、実ははっきりわかっていないのだ。

河内国の古社の多くは、その祭祀氏族が明確であり、氏神として祀られた祭神もある程度明確にされてきた。

  • 枚岡神社と恩智神社(中臣氏)
  • 石切神社(穂積氏)
  • 弓削神社(弓削氏)
  • 矢作神社(矢作氏)
  • 渋川神社(物部氏・中臣氏・忌部氏)
  • 跡部神社(阿刀氏)
  • 穴太神社(穴穂部)
  • 八尾神社(栗栖氏)
  • 御野県主神社(美努連氏)

などなど。。。物部ワールドである。

しかし、この弥刀神社は、祭祀氏族がよくわからない。よって祭神もよくわからない。謎の神社なのである。

神社名の由来

ちなみに、神社名の「弥刀」は、一般的には河口・港の「水戸」に由来するとされている。

しかし別の説もあるようだ。それは、、、

神名帳の最古の写本によると、「弥刀」は「いやと」と読ませている。少なくとも平安時代には「みとの神社」ではなく「いやとの神社」と呼ばれていたということになる。

「弥」は「弥栄(いやさか)」の「いや」。「刀」は文字通り「カタナ」の意として考えると、そもそもは「(一族の)繁栄を願って神刀を奉斎した」神社であったのではなかろうか。

という説である。

彌刀神社 参拝記録

近鉄大阪線の弥刀駅を降りる。なんか懐かしい雰囲気のある駅だ。ホームから改札へは、線路を横断していかなければならない。

線路沿いを北へ(長瀬駅方面へ)住宅地の中を歩く。およそ7分か?

あとからわかったのだが、長瀬駅からの方が若干近く、道が単純な分わかりやすいのである。

何回か道を曲がりつつ、東側の鳥居に到着した。

とても明るい雰囲気である。この鳥居から、西の鳥居が見える。おそらくはあちらが正門だろう。

こちらが、旧大和川(長瀬川)に向いている鳥居。よって水門(みと)の方向を向いていることになろう。

神額

なかなか味のある文字だ。「弥刀神社」と書かれてある。

手水舎

ちょっと見えにくいが、シダの葉の間から「龍の水口」が顔を出している。

拝殿

本殿

透塀に囲まれた本殿域。威風堂々とした春日造りの本殿からは、厳粛な気が放たれている。

二礼二拍手一礼。天津祝詞3回。

やはり、背後から風が吹いてきた。神様の存在を感じる瞬間だ。私はそう思っている。

摂社 八坂神社

拝殿の右奥にくっつくようにして「八坂神社」の拝所が設置されている。

先ほどの拝所から中を撮影した。狛犬が両脇を固め、透塀が巡らされ、さらに鳥居が。

鎮守の森に守られたその奥に、春日造りの萱葺の社が鎮座する。

江戸時代は、こちらに祀られる神が主神だったろうと確信する佇まいだ。

二礼二拍手一礼。

常世神社

八坂神社の向かい側に、大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る「常世神社」が鎮座。

農耕・医療・禁厭の神として信仰されているらしい。少彦名命の神徳とよく似ている。あるいは大物主神とも。

同一神とする説もあるので、そうなるのか。常世神社というネーミングも然りだ。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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