火幡神社|名神大社|安産・子育ての神として現代に生きる火幡神社は、浄化パワーが体感できる神社であった!
奈良県北葛城郡王寺町畠田。JP和歌山線の畠田駅から西へ500m。旧の村落と新興住宅地が混じり合う細い道を10分弱ほど歩いた右手、眼下に葛下川・當麻街道・太子道を見下ろす小高い丘の中腹に火幡神社は鎮座する。
延喜式神名帳に「大和国葛下郡 火幡神社 名神大 月次新嘗」とある。式内社の名神大社に列する霊験あらたかな古社である。
この小高い丘は、金剛葛城山系の北端に位置する明神山から伸びる尾根の先端に位置し、山のパワーが尾根伝いに流れ込みそうな地形となっているのだが、周辺の宅地開発が進み明神山からの気が分断されているように思えてならない。
火幡神社について
火幡神社 概要
- 所在地 奈良県北葛城郡王寺町畠田5丁目12−1
- 電話番号 0745-33-6333
- 主祭神 天児屋根命、息長帯比売命、誉田別命、玉依姫命、天照皇大神
- 創建年 806年
- 社格 名神大社・村社
- 公式HP
火幡神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR和歌山線「畠田駅」徒歩10分
駐車場
- あり(無料)
火幡神社の祭神
現在の祭神は、天児屋根命、息長帯比売命、誉田別命、玉依姫命、天照皇大神となっている。
天児屋根命
岩戸隠れ神話において祝詞を奏上した神、瓊瓊杵尊の天孫降臨において随伴した神である。中臣氏(藤原氏)の祖神として春日大社に祀られるため、春日大神や春日権現などとも言われる。
息長帯比売命
神功皇后である。住吉大神とともに三韓征伐を実施した女傑の側面と、応神天皇を生んだ母神の側面を併せ持つ。住吉大社や宇佐神宮などの八幡宮に祀られている。
誉田別命
15代応神天皇である。八幡大神ともいわれ、天照大神と並んで皇室の祖神の位置づけとなっている。神功皇后の子であるが、父親ははっきりしない。また、敦賀の気比神宮の主祭神であるイザサワケ神と名を交換するだとか、父とされている仲哀天皇の変死など、何かと不可解な天皇なのである。
玉依姫命
玉依姫とは、神の依る巫女という意味を持つため、この名の神は複数存在するのだが、宗像三女神に代わって八幡三神を構成する場合もあるところの、海神「綿津見大神」の娘で神武天皇の母となる「玉依姫命」のことであろうと推察するが、もしかしたら創建当初の祭神に由来する女神かもしれないと思われる点もある。後述する。
天照皇大神
神宮内宮の天照皇大神である。
これら5柱の現祭神は、長い歴史の中で時代時代の政治状況の変化に応じて、春日・八幡・伊勢というビッグネームの神々を合祀していった結果のものと推察する。
すなわち、藤原全盛期、武士の時代、伊勢信仰あるいは皇国主義という時代の大きな流れが見て取れる。
そろそろ現代の世相に合わせた神、すなわち当初の祭神に戻すべき時が来たのでは?と思ったりもするのである。
火幡神社の創建
神社の案内板には
火幡神社は、社伝によると平安時代前期大同元年(806)に創建されている。
創建当時の祭神は、火之戸幡姫命(ホノコハタヒメ)で、布を織る人々の信仰の対象であり、付近には布織(ハタオリ)集落が多かったことが推察できる。当時多くの神社は武人の神であったのに対して、火幡は唯一産業振興祈願の神であり、広く庶民の信仰を集めていた
とある。西暦806年というと、平安遷都を実施し専制君主を目指した桓武天皇が崩御された年である。
ここで注目したいのは、創建当時の祭神に関する記述であろう。やはり、創建時点の主祭神は、現祭神とは異なるようだ。
火之戸幡姫命(ホノコハタヒメ)
「火之戸幡姫命」という神名が登場するのは、日本書紀 第六の一書。「火之戸幡姫命」は高皇産霊尊の子とされ、その子の「栲幡千千姬」が天忍穂耳尊の妃となり天火明命と瓊瓊杵尊を生むことになる。
ところが日本書紀の大部分(本文・第二・第六・第七・第八の一書)には、高皇産霊尊の子は「栲幡千千姬」と記載されている。
さらに、日本書紀 第七の一書に、(また一説には)高皇産霊尊の子は「萬幡姬」で、その子が「玉依姫」とある。
どうも要領を得ない。
高皇産霊尊の子は「火之戸幡姫命」「栲幡千千姬」「萬幡姬」の三柱の名を挙げている。
ではあるが、こちらの当初の祭神「火之戸幡姫命」は?と問われたら、高皇産霊尊の子という解釈でいいと思う。
1つ気になる点がある。現祭神の「玉依姫命」の名が挙がっている。となると、現祭神の「玉依姫命」についての前述の解釈が微妙になる。
すなわち、前述の八幡三神を構成することもある、そして神武の母となる、海神の子「玉依姫命」なのか、それとも、当初の祭神「火之戸幡姫命」の子で天火明命と瓊瓊杵尊の母でとなる「玉依姫命」=「栲幡千千姬」なのか。
結論は無い。悪しからず。。。
火幡神社の御利益
神社の案内にもあるとおり、産業振興の神である。加えて、現在では、安産・子育ての神として信仰を集めている。
また、当初の祭神が機織りの神であるから、派生して、服飾系の仕事に就かれている方にもご利益があると思われる。
絵馬堂には、氏子さんたちが奉納した夥しい数の絵馬が掲げられていた。そのどれもが、子供の誕生を喜び、健やかな成長を願うものであったことを付け加えておく。
火幡神社 参拝記録
奈良の古社は久しぶりである。龍田神社以来だろうか。少しく心が躍るのである。
火幡神社へのアプローチは電車がいいだろう。JR王寺駅からJR和歌山線に乗り換えて1駅。畠田駅で下車。そこから西方面に歩く。国道168号線を横断して7分ぐらい山に向かってあるけば見えてくる。
車でアプローチする場合は、カーナビに任せよう。曲がり角の狭さに少し不安になるかもしれないが、カーナビに任せた方がよろしい。
2台分の駐車スペースがある。もちろん無料だ。
鳥居までの参道左手には、新築のお家が数件並んでいる。どれもかわいらしいデザインのお家だ。きっと若い家族が住んでいるのだろう。ここの子供はこの境内が遊び場になのだろう。などと想像して、温かい気持ちになれるのだ。
鳥居をくぐる。
先ほどまでの明るく穏やかな空気から一変する。もちろん鎮守の森に足を踏み入れたわけだから、木陰であり涼しい風が吹いてくるのは承知しているのだが、想像以上の涼感である。
しばらく佇む。爽やかである。であるのだが、少し上気してくる。血圧が上がったような感覚。
これは期待が膨らむ。矢田坐久志玉比古神社で経験したものに類似したパワーを感じるのである。
階段を上ろう。
階段を上るにつれて、血圧が上がる感覚、血液が沸騰するような、細胞が震えるような感覚が強くなる。
これは本物だ。
拝殿前の広場でその感覚は頂点に達する。
手水舎で清め、しばらく様子を見よう。
治まる気配がない。
拝殿は広場から数段の階段を上がった上段にある。
拝殿
二礼二拍手一礼。天津祝詞。
あの感覚が治まった。その代わりに体が揺れる。そして平常に戻る。
すなわち、浄化のパワーだ。(と私は勝手に決め付けているのだが)
神社では珍しく、拝殿正面に蝋燭立てが設えてある。
拝殿の格子越しに本殿を見る。
拝殿から本殿
本殿はさらに上段に鎮座しているため、格子の向こうは階段しか見えない。
この2段構造も矢田坐久志玉比古神社と同様だ。
本殿を横から見る。
本殿
本殿は、唐破風が大社の風格を、桧皮葺の屋根が古社の風情を醸し出している。さすがは大和の名神大社だ。
肉眼では見えなかったが本殿の横に小さな社があるらしい。若宮とされ「天押雲命」が祀られているとのこと。
拝殿前の広場に戻る。もう先ほどの細胞が震えるようなパワーは感じない。むしろ癒し系の空気が漂う空間に変化していた。
広場の西側に「絵馬殿」がある。
絵馬殿
こちらの中を覗かせて頂いた。本格的な絵馬が奉納されている。そして整然と並んでいる。実に美しい光景だ。
その絵馬には、すべからく生年月日と名前が書かれてある。
これが絵馬奉納の本来の姿なのだろう。我々が初詣などで掛ける1000円程度の絵馬は玩具みたいなものだ。
鎮守の森の西縁に小径がある。
なんとも風情のある小径ではないか。心が休まるのである。
最後に
正直に申し上げて、鳥居外から見た火幡神社は、どこにでもある山里の寂れた神社という印象であったのだが、あにはからんや、鳥居をくぐった瞬間にかつての名神大社であったころの霊力が、今も漲る生きた神社であることを、体感することができる。
少し北にある、同じく名神大社の「片岡神社」も合わせて、是非とも参拝頂きたいと存ずる。
近隣神社のご紹介
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最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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