久保神社|御利益は諸願成就。聖徳太子も崇拝した願成就宮に祀られる神は守屋公か?
久保神社(くぼじんじゃ)は、大阪市天王寺区勝山にある神社。
四天王寺建立にあたり鎮守の神として七つの社が指定された。それらを総称して四天王寺七宮と呼ぶ。
久保神社も、その一つに数えられる古社である。
境内には聖徳太子が崇拝したとう「願成就宮」が摂社として祀られている。
久保神社について
久保神社 概要
- 所在地 大阪府大阪市天王寺区勝山2-5-14
- 電話番号 06-6771-9482
- 主祭神 天照大御神・速素盞男尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・宇賀御霊神
- 創建年 四天王寺建立時(593年)
- 社格 村社
- 公式HP なし
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最寄り駅
駐車場
久保神社 祭神
現在の祭神は、天照皇大神・速素盞男尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊・宇賀御霊神であるが、過去は天照大御神・熊野大神・稲荷大神だったようだ。
熊野大神は熊野三山における速素盞男尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊であり、稲荷大神は宇迦之御魂神であるからして、祭神を変更したのではなく、神名を詳しく明らかにしたといったところか。
天照皇大神(あまてらすすめらおおかみ)
太陽・昼間を司り、日本の総氏神にして皇祖神。神社界の最高峰に君臨する伊勢の「神宮」に祀られる女神さま。
伊邪那岐尊が黄泉国から帰って、身に着いた「穢れ」を祓うために、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原という海岸で「禊(みそぎ)」を行った。
その最後、顔を漱いだ時に、左目を漱いで生まれた神が「天照大御神」。右目を漱いで生まれたのが「月読尊」、鼻を漱いで生まれた神が「建速須佐之男尊」。この三柱の神を「三貴子(三貴神)」という。
速素盞男尊(はやすさのおのみこと)
高天原のプリンス「三貴子」の一柱にありながら、葦原中国に降り、出雲の神々の祖神となった伝説の英雄。
地上世界の覇者として「諸願成就」。櫛稲田姫命とのラブストーリーから「縁結び」。ヤマタノオロチ退治伝説から「武勇の神」。そして、祇園の牛頭天王と習合してからは「厄病退散」。などなど、様々なご神徳をもつ。
出雲の熊野大社の祭神「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」や、紀州の熊野本宮大社の主祭神「家都御子神」はいずれも「速素盞男尊」のこととされている。
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
神代七代の最後、伊邪那美尊と一対の男女神して現れた男神。
伊邪那美尊とともに、大八洲(日本列島)を産み(国産み神話)、森羅万象に宿る八百万の神々を産む(神産み神話)。
最後は、上記の「禊」を行い三貴子を産み、その三柱の神々に統治権を引き継いだ後、淡路の多賀の幽宮に隠居した。その場所が淡路島の伊弉諾神宮であるとされる。
このように、多くの神を産んだことから妻の伊邪那美尊とともに縁結びの神・子宝の神として信仰を集めている。
伊邪那美尊(いざなみのみこと)
神代七代の最後、伊邪那岐尊と一対の男女神して現れた女神。
夫の伊邪那岐尊とともに国産み・神産みを行い、その最後、火の神を産んだ際に陰部を火傷して、それが原因で病気となり亡くなった(黄泉国へ行ってしまった)。
その妻に会いに行った神話の最後に、先の「禊」の神話が登場する。
宇賀御霊神(うかのみたまのかみ)
穀物の神、食物の神とされる宇迦之御魂神のことを指す。
宇迦之御魂神(古事記)は「速素盞男尊」の御子。同一神とされる倉稲魂神(日本書紀)は伊邪那岐尊の御子と記載されている。
五穀豊穣・商売繁盛をご神徳とし、勧請の申請が容易なため、一般的な神社だけでなく、会社や工場の敷地や屋上などに屋敷神として祀られてきた。かつては長屋のような集合住宅街の路地奥などにも祀られていたのを記憶する。
久保神社の創建
由緒書によると。。。
当社は天照皇大神を祀る旧久保村の産土神なり。
その昔、四天王寺建立の際に その守護鎮守の神として創建され、四天王寺七宮の一つとして、また境内には願望成就宮として聖徳太子の深く信仰あらせ給い、御願の成就を遂げ給うにより願成就宮と称され、今に庶民の信仰絶えず、霊験あらたかなりと言われる。
その後。。。
明治5年、村社に列し同40年10月14日東成郡字西、熊野大神を合祀し、、、、
とあるから、熊野大神=速素盞男尊・伊邪那岐尊・伊邪那美尊は、明治の勧請だったということが分かる。
では、創建当初から天照皇大神が祭神だったのだろうか。
聖徳太子が四天王寺建立の折、その守護のために創建した「七宮の一つ」とするわけだが、他の宮と祭神の質が違いすぎると思うのである。天皇・天王を祀った5宮、に対して、伊勢の神宮の祭神を祀った2宮。という質の違い。
- 堀越神社・・・崇峻天皇もしくは敏達天皇
- 河堀稲生神社・・・崇峻天皇
- 土塔神社・小儀神社・・・牛頭天王(須佐之男命)
- 上之宮・・・欽明天皇
- 大江神社・・・豊受大神
- 久保神社・・・天照大神
どうも天照大御神ではしっくりこない。
そもそもの由来からすると、、、天照皇大神よりも「願成就宮」がメインなのではなかろうか。
また、別の見方として、、、
四天王寺の北東に「五條宮」がある。祭神は敏達天皇。
森の宮には、元四天王寺と称する「鵲森宮」がある。祭神は用明天皇・穴穂部間人皇后・聖徳太子だ。一説には「守屋の宮」で「森の宮」とも。
この2社のほうが、四天王寺七宮を名乗るにふさわしいと思うのだが。。。
しかし、この考えは「願成就宮」を調べた時に崩壊したのだ。後述しよう。
久保神社 参拝記録
河堀稲荷神社の前面の道路を真っする北に歩くと、5分程度で久保神社の白い大きな鳥居が見える。
大鳥居
拝殿の正面に大きな純白の鳥居があるのだが、撮影を忘れてしまった。
こちらも肝心の鳥居が写っていない。申し訳ない。トイレを我慢していたので、焦っていたのである。
注連柱の向こうに見える赤い屋根の建造物が拝殿の側面である。
こちらも河堀稲生神社と同様に井戸から水をくみ上げている様子。
伊勢神宮遥拝所
久保神社の境内に足を踏み入れた瞬間に目に飛び込む、この斬新なフォルムのオブジェは「伊勢神宮の遥拝所」である。
外国人観光客が喜びそうな。。。
二礼二拍手一礼。
拝殿
筋骨隆々の狛犬が両脇を固める。拝殿は意外にシンプルな造りである。先ほどのオブジェと正反対だ。
五七の桐の神紋。
中国では鳳凰が住むとされ、皇室や室町幕府・豊臣秀吉などの政府が、その紋章として使用してきた。現在、日本国政府の紋章として使われている、由緒正しき権威ある家紋である。
二礼二拍手一礼。
境内社のご紹介
拝殿・本殿の東側に、摂社・末社が並んでいる。
正一位 白玉稲荷大明神
一番手前に鎮座するは、「白玉稲荷大明神」である。宇迦之御魂神が祀られていると思われる。
五穀豊穣から商売繁盛・家内安全に至るまで、幅広いご神徳をもつとされる。
方除神社(右)と白龍神社(左)
小さな祠が二つ、仲良く並んでいる。
右手が「方除神社」。祭神名は分からないが方災除の神が祀られている。新築や転居などを司る。
左手に「白龍神社」。女人の守護神として崇められ、子宝・商売繁盛などの心願成就の霊験あらたか。
大岩・小岩大明神
自然信仰・磐座信仰の姿を今に残し、岩そのものを御神体とした「頭脳」の神様を祀っている。
頭に持病のある人、入試を控えた学生諸君など、頭に関わる祈願をことごとく成就せしめたまうとする。
願成就宮
聖徳太子が深く信仰した結果、御願が成就したとして、「願成就宮」と称えられた霊験あらたかなる神社であるとする。
祭神が書かれていないため、帰宅後に調べた。すると、四天王寺の太子堂に並んで立つ「守屋の祠」も「願成就宮」と称されるのだった。
▼四天王寺の守屋祠
聖徳太子の誓いによって物部氏の土地を没収し物部氏の部民を使役して四天王寺を建立したのであるが、これを守屋公の霊がお許しになった事、さらにお助けになった事で、無事四天王寺が出来た事を「願いが成就できた」として、守屋公を祀ったと伝えられている。
四天王寺パンフ
となると、久保神社における「願成就宮」の祭神も「物部守屋公」に違いない。
さて、こうなってくると、久保神社は四天王寺七宮にふさわしくないとは言えない。ふさわしい以上に、「久保神社」の存在は七宮全体を考える意味で大きな存在であることに気がつくのだ。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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