龍田神社|奈良斑鳩の里|神様の吹く息で元気を頂けるパワースポット。
龍田神社は、奈良県生駒郡斑鳩の里に鎮座する式内社である。
国道25号線(旧奈良街道)を大阪から奈良方面に向かう。竜田川に架かる橋を渡り、左手の旧街道にそれると、そこが龍田神社だ。
まぎらわしいが、大和川を見下ろす高台に名神大社にして二十二社に指定された、風の神「龍田大社」がある。
今回ご紹介する龍田神社は、かつて龍田大社の摂社であったが、現在は独立した神社となっている。
龍田神社について
龍田神社 概要
- 所在地 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6
- 電話番号 0745-75-3163
- 主祭神 天御柱大神・国御柱大神
- 創建年 不明
- 社格 式内小社・県社
- 公式HP なし
龍田神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR大和路線「法隆寺駅」徒歩30分
- JR大和路線「王寺駅」から、高畑町・国道横田・法隆寺前行きバス「竜田神社」下車
駐車場
- あり(無料)
龍田神社の創建
創建は古く、崇神天皇の御代とされているが、定かではない。当時の祭神もわからない。
法隆寺鎮守の社
聖徳太子が法隆寺の建立に際してその建立地を探していた時、白髪の老人に化身した「龍田大明神」に逢い、
「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」
と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。
元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、龍田比古神・龍田比女神の二柱を祀っていた。この二柱を総称して「龍田大明神」である。
その後、龍田大社から「天御柱神」「国御柱神」を勧請したため、この二柱の神を祀る神社へと変貌していったようだ。
龍田大社摂社時代
法隆寺の鎮守社であったため、明治維新に際して神仏分離政策が行われるようになると、法隆寺の鎮守という立場からはずされ、龍田大社の摂社となった。氏子さんたちは、心穏やかではなかったと思う。
現在は、龍田大社から独立し、もとの祭神である「龍田比古神・龍田比女神」を配神として祀っている。
龍田神社の祭神
本殿・・・「天御柱神」「国御柱神」。
級長津彦命・級長戸辺命の別名といわれ、風の神とされている。伊勢神宮内宮の別宮に風日祈宮、外宮の別宮に風宮があるが、これらの主祭神である。
右社殿・・・「龍田比古神」「龍田比女神」。
聖徳太子時代の主祭神である。 正体は不明であるが、龍であるからして水の神であろうか。
左社殿・・・天児屋根大神(あめのこやねのおおかみ)、三大神、瀧祭大神。
龍田神社のご利益
風の神。風は神様の息であるとされてきた。よって、風の神は生命の根源を司るわけである。元気・運気を上げる、開運の神であろう。
水の神。水は農耕になくてはならない。五穀豊穣を約束してくれる神である。また水は洪水を引き起こす恐ろしい面もある。全てを流し去ってしまう悪魔である。そんな水を司る神を祀ることで、生活の安定を図ったのだろう。家内安全である。
龍田神社 参拝記録
国道25号線を大和川沿いに奈良方面にむかう。
王寺の手前、北の山並みの先端に龍田大社がある。そして対岸、南の山には名神大社であった片岡神社が鎮座していた。二つの大社が、水運と陸路が交差する交通の要所を抑えていたのだ。
そんな感慨にふけりながら、車を走らせる。
王寺方面に左折し25号線をひた走ると、竜田川に架かる橋に出る。この橋を渡ると上り坂になる。「猫坂」という交差点から左斜めに曲がり、さらに坂を上る。これが旧街道だ。
細い旧街道を道なりに進むと「龍田神社」が現れる。
駐車場
明確な駐車場は見当たらないが、境内西側に車で入れそうなスペースがあったので、そこから車で乗り入れてみた。神職さんが見ていたが、何も言われなかったため、ここに駐車してもいいと判断した。
すこし見慣れない形状である。鳥居に屋根が付いているではないか。
手水舎
水口が鶏である。こちらは鶏が神様の使いらしい。
通常は水が出ていない。鶏の後ろにある蛇口をひねると水が出る仕組みだ。普通にひねると極めて勢いよく水が飛び出る。
これは注意が必要だ。うっかりすると、同伴者が水浸しになる可能性がある。
楠大明神・稲荷大明神
ご神木の両サイドに赤い祠が鎮座する。楠大明神と稲荷大明神である。
こちらの注連縄の前に立つと、周囲とは違った波動を受けることになる。お試しあれ。
拝殿
鉄筋工ンクリート造りである。本殿は見えない。
賽銭箱にあしらわれた神紋。「竜田紅葉」という。実にリアルに表現されている。
末社群
本殿の西側の一角に、末社が収められている。いずれも、春日造りの社殿である。
恵比寿神社
廣田神社・粟島神社・祇園神社
市杵島姫命、白龍大神
市杵島姫命を祀る社殿のみ、千木が内削ぎである。女神は内削ぎ、男神は外削ぎだ。
白龍大神を祀る社殿が見当たらない。その代わりに、正面の社殿の右奥(鳥居に隠れて映ってないが、、、)に龍のモニュメントが設えてある。これか?よくわからない。
金剛流発祥の地
能楽の「金剛流」の発祥の地であるらしい。私はあまり興味がないが、こちらを参拝している小一時間のあいだにも、数名の方がこの石碑を訪れていたから、有名なのだろう。
最後に
さて、龍田大社と龍田神社。この二社の違いについて考察して行きたいと思うのだが、現段階ではとてもではないがまとまっていない。
鎮座地の違いはもとより、そもそもの祭神の違い、そもそもの社名の違い、創建由来に関わる人物(天武と聖徳太子)の違い、立地の違いなどなど、違いは多くある。「龍田神社は龍田大社からの分霊」で片付けるには、釈然としないものがある。
というのも、聖徳太子は天武天皇より前の時代を生きた人物である。(聖徳太子が実在しなかったとしてもモデルとなる人物がいたはずだ。)さらに天武天皇は聖徳太子の子であった可能性も示唆されている。
親子で同名のもしくは似通った名称の神社を創建した。となると、この両社は、対のように思われるのである。
この考察には、広瀬大社の創建や役割なども考慮して展開する必要がありそうな気もする。
また後日ということで、お許しいただきたい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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