大海神社|大阪|住吉大社の第一摂社。見どころは玉能井と外陣扉絵。

大海神社は大阪市住吉区にある神社。

大海神社は「おおわたつみのかみのやしろ」と読むのが本来だが、今は「だいかいじんじゃ」あるいは「たいかいじんじゃ」と読む。

現在は住吉大社の摂社となっているが、延喜式神名帳に「摂津国住吉郡 大海神社二座 元名津守氏人神」とある式内社であるあらして、独立した神社であったのだろう。

住吉大社境内の北端に位置し、種貸社の裏手にあたる。しかし、西向きの社殿の正面に本来の正面玄関である鳥居が存在しており、独立した神社であったことが伺える。

その鳥居がある場所と本殿がある場所の高低差は、上町断層によるもの。龍脈ともいわれる上町断層上にある神社であるからして、その霊験もあらたかであること間違いなしであろう。

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大海神社について

大海神社の概要

  • 所在地    大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9(住吉大社)
  • 電話番号   06-6672-0753(住吉大社)
  • 主祭神    豊玉彦命・豊玉姫命
  • 社格     式内社
  • 公式HP    http://www.sumiyoshitaisha.net/grounds/sessya.html

大海神社  アクセス

MAP

最寄り駅

  • 阪堺電軌「住吉駅」徒歩2分
  • 阪堺電軌「住吉鳥居前駅」徒歩6分
  • 南海本殿「住吉大社駅」徒歩7分

車でのアクセス・駐車場

  • アクセスは容易
  • 駐車場あり 住吉大社駐車場(有料)か、大海神社と生根神社の間にあるコインパーキング。

大海神社の創建

創建年代は定かではないが、住吉三神がこの地に祀られる以前から存在したといわれている。

それは、、、住吉大松葉大記に、

大海社は、神代よりの鎮座。田裳見宿禰の祖先の時代から、この神を奉斎していた。神功皇后の御代、住吉三神をこの地に鎮め給うとき、田裳見宿禰を住吉三神を祭る神主に任命。田裳見宿禰は、嫡子を大海神社の神主とすることとした。この代々の嫡男の家系を大領氏という。

とある。

田裳見宿禰が自分の領地に住吉三神を祀る祭祀場を造り、代々に渡って奉斎してきた大海神社は長男に任せたということのようだ。

大海神社の祭神

大海神社の現在の祭神は豊玉彦命と豊玉姫命の父娘である。

他にも

  • 大綿津見命と玉依姫の2座
  • 塩土老翁と彦火火出見尊と豊玉姫の3座

という説がある。

豊玉彦命

伊弉諾尊と伊弉冉尊の神生みで生まれた海神。古事記では綿津見神わたつみのかみ大綿津見神おおわたつみのかみ、日本書紀では少童命わたつみのみこと海神豊玉彦わたつみとよたまひこ

伊弉諾尊の禊祓で住吉三神と同時に生まれた綿津見三神(底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神)とは別神とも同神とも。意見の分かれるところである。

同神とするならば、記紀には阿曇氏が斎祀る神と紹介されている神。すなわち阿曇氏の祖となろう。

豊玉姫命

豊玉彦命の娘。神話では、海神の子であるがゆえに真の姿は八尋やひろ大和邇おおわにだったという仕立てになっている。

天孫降臨した瓊瓊杵尊の息子「火遠理命」の妻となり、神武の父親となる鸕鶿草葺不合尊うがやふきあえずのみことを産んだ。よって豊玉彦命は皇室の遠祖とも言えよう。

さて、当社の祭神、豊玉彦命と豊玉姫命が登場する神話「海幸彦・山幸彦」は、人気の神話であるからして、概要だけだがご一読いただければと思う。

興味の無い方はすっ飛ばしていただいて結構だ。

「海幸彦」と「山幸彦=彦火々出見尊」は兄弟である。海幸彦は海で魚を釣り山幸彦は山で獲物を捕まえる。ある日、山幸彦が釣りをしたくなって兄の命よりも大切にしている釣り針を借りる。山幸彦はその釣り針を失くしてしまう。兄は激怒。「何が何でも探してこい!」

困った山幸彦が海岸で嘆いていると現れたのが「塩土老翁」。嘆く訳を聞いた塩土老翁は、竹の船を作って山幸彦を乗せ海の神の宮に行くように助言する。

海の神の宮についた「山幸彦」と海の神の娘「豊玉姫命」はお互い一目惚れ。父神の「大綿津見大神」も祝福し、二人は結婚。

それから、何をしに来たのかも忘れて時が経ち、3年が過ぎた。ここに来た目的を思い出した山幸彦は、悩みの種を「大綿津見大神」に打ち明けると、すべての魚を呼び寄せて「その釣り針」を見つけてくれた。

そして、兄を懲らしめるために、「貧乏になる言霊」と「塩満珠」(しおみつたま)と「塩乾珠」(しおふるたま)という2個の珠を授けた。

陸に帰った山幸彦は、呪術と珠の力で海幸彦を懲らしめ続けて、最後は海幸彦を家来にした。

海幸彦は隼人の祖、山幸彦は皇室の先祖ということで、南九州の抵抗勢力であった熊襲・隼人を朝廷が平定したという史実を神話化したものと解されている。

津守氏人神 とは

今の祭神は豊玉彦命と豊玉姫命の二柱だが、延喜式神名帳には「元名津守氏人神 」と記載されている。

では、延喜式のいう「津守氏人神」とはどのような神なのだろうか。

田裳見宿禰の子孫には7氏あり、それらを総称して氏人と呼ばれていたことから「津守氏の氏神」を意味するという説がある一方で、氏人神ではなく安人神の間違いだという説もある。

それは、写本の中には「津守安人神」とするものがあり、なおかつそれを裏付けるように、住吉大社神代記に「津守安必登あひと神 二座 海神わたつみのかみと名付ける 安人あひと氏人うじひとに変更しているのは間違いだ」と注釈があることから、「津守安人あひと神」が正しいとし、さらに「安人神あひとのかみ」は「現人神あらひとがみ」であるとする。

すなわち、大海神社の祭神は、「津守氏が奉斎する海神が人間の姿で現れた神」と訳すというわけだ。

津守氏が奉斎する海神の現人神とは?

現人神は、ちょいちょい長髪の白髪で白髭をたくわえた「仙人」のような出で立ちで登場するがゆえに、 「塩土老翁」 を指すのではなかろうかとする向きもある。

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大海神社 参拝記録

大海神社は住吉大社の摂社であるからして、住吉大社の駐車場に停めるのがよいと思う。

駐車場は広い境内の南端で大海神社は北の端。遠いといえば遠いが、住吉大社の本殿に参拝してから向かうのであれば左程遠さは感じないだろう。

住吉大社の本殿から北へ進むと種貸社があり、その裏に見える住吉造りの本殿が大海神社である。

しかしながら、神社の参拝は鳥居をくぐるところから始めたいものだ。

よって、大海神社の本殿を横目に見つつも素通りし、一旦石段を降りて鳥居から入り直すのである。

鳥居

西面する鳥居。ここが正面玄関となる。鳥居と中門の高低差は5mぐらいだろうか。かつて鳥居の辺りは海岸だったはずだ。

西門

シンプルだが重厚で安定感のある四脚門で、江戸時代前期の建造。国の重要文化財に指定されている。

鳥居から西門までの緩やかな石段を登っている途中、カツーン、カツーンと音が鳴っていた。何の音だろうと思っていたがすぐにわかった。

どんぐり爆弾を3発もくらってしまったのである、、、

幣殿

破風の無いシンプルな屋根が魅力的な幣殿。拝殿ではなく幣殿だそうだ。住吉造りの鋭角的な屋根に似合うのは、このような幣殿(拝殿)なのではないかと感ずるのは私だけであろうか。

様式は割拝殿様式と言えようか。

外陣の扉絵

外陣の前に鳥居があり、外陣の扉に絵が描かれている。この扉を開けると外陣。さらに外陣の奥の扉を開けると内陣となる。住吉大社の本宮と同じ住吉造りである。

本殿

鋭角で直線的な檜皮葺きの屋根と天を衝くかのような千木が特徴的な住吉造りの本殿。

本殿と幣殿を連結している部分が渡殿。

幣殿、渡殿、本殿とも、需要文化財に指定されている。

海を司る神である。海のすべてがこの神の支配下にあるわけなので、海に関するありとあらゆるご利益を頂けるのだが、一般的には「航海安全」「豊漁」であろう。

また、海水の塩には浄化の作用があるとされるため、厄払いのご利益もいただけよう。

玉能井

この井戸は玉能井という。

玉とは、海幸山幸の神話で登場する 塩満珠しおみつたま塩乾珠ふるみつたまのこと。この井戸に沈められたと伝わるそうだ。

志賀社

志賀神社は、福岡県志賀島にある志賀島神社からの勧請。住吉大社の摂社である。

祭神の底津少童命・中津少童命・表津少童命を祀るは、前述したように、伊弉諾尊が禊祓をしたときに住吉三神と同じくして生まれた三柱の海神である。

すなわち、阿曇氏の祖神。

綿津見三神のご利益は、
海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、健康長寿、家内安全、子供守護。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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