生田神社|兵庫|神戸随一の縁結びの神社
生田神社は、兵庫県神戸市中央区の繁華街「三ノ宮」のど真ん中にある神社。こちらは、延喜式神名帳に記載ある式内社の中でも極めて霊験あらたかな名神大社に指定されている神社である。
しかも神功皇后による創建というから大変な古社でもある。
さらには、神戸という地名は、この生田神社の神戸(かんべ)44戸がここらへん一帯に居住していたことが由来だという。
まさに、神戸を代表する大社である。
そのご利益は「縁結び」。三ノ宮駅から北野異人館へ行く途中にあるので、異人館にお越しの際には、是非とも生田神社にも立ち寄って頂きたいと思う。
生田神社について
生田神社 概要
- 所在地 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1
- 電話番号 078-321-3851
- 主祭神 稚日女尊
- 創建年 201年(伝)
- 社格 式内名神大社・官幣中社・別表神社
- 公式HP https://ikutajinja.or.jp/
生田神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR、阪急、阪神の各「三宮駅」 徒歩5分~10分
駐車場
- あり(無料) 西門から入車のこと。
生田神社の創建
創祀伝承
日本書紀の巻第九の神功元年 辛巳(西暦201年)の段に、次のような記述がある。
神功皇后は、三韓征伐を終えて北九州で皇子を産み、瀬戸内海を渡って畿内に戻ろうとしましたが、
異母兄達がその皇子を亡き者にしようと企み、途中で待ち伏せしていると聞き、、、
重臣である武内宿禰の船に皇子を乗せて、南海から紀伊水門(きのみなと)に迂回させ、皇后の船は瀬戸内海をまっすぐに難波に向かいました。
途中、皇后の船は同じ場所でクルクルと回って進めなかったので、務古水門(むこのみなと)に戻り、占いをしました。
すると、天照大神が「わが荒魂(あらみたま)を廣田国(ひろたのくに)におらしめよ」と仰せられたので、山背根子(やましろねこ)の娘の葉山媛(はやまひめ)にお祀りさせました。
次に、稚日女尊(わかひるめのみこと)が「活田長峡国(いくたのながおのくに)におりたい」と仰せられたので、海上五十狭茅(うながみのいさち)にお祀りさせました。
続いて、事代主尊(ことしろぬしのみこと)が「長田国(ながたのくに)に祀れ」と仰せられたので、葉山媛の妹の長媛(ながひめ)にお祀りさせました。
最後に、表筒男(うわつつのを)・中筒男(なかつつのを)・底筒男(そこつつのを)が「わが和魂(にきみたま)を大津の渟中倉(ぬなくら)の長峡(ながお)におらしめよ。さすれば、そこにいて往来する船を見守ろう」と仰せられたので、そのとおりにしました。
神のお教えどおりにすると、皇后の船は無事に海を渡ることができました。
これが、西宮の廣田神社、神戸山手の生田神社、神戸長田の長田神社の創祀であり、住吉神社の創祇である。
なんと、西暦201年。とんでもなく古社なのである。
遷宮
創祀当初は、新神戸駅の北にある山「砂山(いさごやま):布引丸山」に祀られていたそうだ。
現在、「砂子橋」という水道管を通すレンガ造りの橋にその名を留める。
ところが、西暦799年のこと。
大雨で布引川が氾濫。その濁流によって砂山の西斜面が崩落し社殿が傾いた。このままでは、社殿は倒壊してしまう。
そこで、刀禰七太夫という人がご神体を背負って山を降り、祀るべき場所を探して彷徨い歩いた。
生田の森に差し掛かった時、そのご神体が急に重たくなり歩けなくなった。「これまさに、神の思し召し」と感じ取った刀禰七太夫は、その場所にご神体を安置した。
これが、現在の生田神社だという。
生田神社の祭神
祭神は「稚日女尊」。女神である。
稚日女尊(わかひるめのみこと)
日の神である天照大御神の亦の名を「大日女尊」という。「大」に対して「稚」であるからして「若く瑞々しい日の神」となろう。
それはまさに、生まれたての太陽。すなわち朝日だ。朝日のように勢いのある生命力に富んだ日の神だ。
では、天照大御神は瑞々しくないのか、、、それは置いておこう。
天照大神よりも若いという解釈から、天照大御神の幼名、あるいは妹、あるいは御子など、諸説ある。
生田神社のご利益
成長
前述の通り、朝日の旺盛な生命力により、万物の成長を司る神とさされる。
万物の成長であるからして、人や家庭や企業の成長も司るのである。
様々な「成長」を期待する方々は、是非ご参拝頂きたいと思う。
縁結び
生田神社のご利益は縁結び。
それは、、、
日本書紀に登場する稚日女尊は、高天原で神様が着る神聖な衣を編む女神であった。
糸を紡ぎ、糸と糸を編み込む。人と人の縁を結ぶに通じるのである。
絵馬やお守りなど、縁結びグッズがたくさんある。縁もしっかりゲットして頂きたい。
生田神社 参拝記録
JR、阪急、阪神などが集結する「三宮」から北へ。各三宮駅から徒歩5分~10分の好立地。
三宮駅から元町方面へ少し歩き、山側に伸びる「IKUTA ROAD」を北上すると、左手に「東急ハンズ」があり、その先に鳥居が見えてくるだろう。
駐車場
車で行かれる場合は注意が必要だ。
ナビで生田神社を設定すると、東門から入るルートを検索するが、東門からは車では入れない。駐車場へは西門から入るのだ。そして西門前の道路「西門筋」は南行の一方通行。ちなみにIKUTAROADも南行の一方通行。トアロードも南向きの一方通行。ややこしい。
よって、三宮駅あたりから向かう場合は、東門筋を通るが東門はスルーし、山手幹線に出て、改めて西門筋に入るのが良い。
二の鳥居
正面玄関にドーンと立つこの鳥居。実は二の鳥居。一の鳥居は、もっともっと南にある。
そしてこの鳥居には、伊勢神宮との深い繋がりを感じる歴史がある。
それは1995年の阪神淡路大震災に遡る。
それまでここに立っていた石造りの鳥居は、阪神淡路大地震により倒壊しバラバラに。もちろん社殿もなにもかもがぺっしゃんこになってしまった。
神戸復興のシンボルとして再建を急ぐ生田神社に届けられたのが、伊勢神宮ゆかりの木製の鳥居だ。
その鳥居は、元々は内宮神殿の棟持柱。
式年遷宮の際に宇治橋前の鳥居に再利用され、さらに関宿に移設されていたものだった。
それから20年間、生田神社の玄関に立ち続けたその鳥居は、今はもう無い。
しかし、再び伊勢神宮に依頼。これまた関宿にあった伊勢神宮由来の鳥居を譲り受けた。それが現在の鳥居である。
生田神社の、この場所に立つ、この鳥居は、今後もずっと白木のまま「朱色」になることは無いのであろう。震災の記憶を風化させないためにも。。。
松尾神社
さて、二の鳥居をくぐると、内参道の両側に境内社が鎮座する。
左側が松尾神社。祭神は大山祇命。
灘の酒造メーカー等が、京都嵐山の松尾大社から勧請したものだ。
もちろん、酒の神として。
瑞垣には、酒造メーカーや酒商、問屋の社名がずらりと並ぶ。
大海神社
松尾神社と左右対称の位置に鎮座するのが大海神社。
およそ大海神社と言えば豊玉彦・豊玉姫なのだが、こちらの祭神は猿田彦大神という。珍しい。
こちらの瑞垣は海運業者の社名が並んでいる。
灘の酒造業、神戸港の海運業。いにしえの神戸を支えた二大産業だ。
三の鳥居
三の鳥居をくぐると、いよいよ神域だ。一礼してくぐろう。
楼門
朱塗りの楼門は美しい。いつまでも眺めていることが出来る。
楼門の両サイドに授与所がある。可愛い縁結びグッズを求める女性達で賑わっている。
拝殿
二拝二拍手一拝。
拝殿内がキラキラ輝いていた。瑞々しい若い日の神のご神力か。
生田神社は、戦前から神前結婚式を行っていたらしい。ここで三々九度を行うのだろうか。なかなか荘厳な雰囲気のいい結婚式になりそうだ。
本殿
屋根しか見えないが、これが本殿。神殿は可憐な朱色でありながらも、屋根は重厚な佇まいを見せる。
さて、本殿の瑞垣内に、境内社が4つ祀られている。
住吉神社・八幡神社
本殿の向かって左脇(東側)に、住吉神社と八幡神社が鎮座している。
住吉神社の祭神は、表筒男命・中筒男命・底筒男命。当社の創建伝承に登場する神功皇后に深く関わる神である。祓いの神であり、航海安全の神。
八幡神社の祭神は、応神天皇。神功皇后の御子で15代天皇である。第二の皇祖神とされている。
諏訪神社と日吉神社
本殿の向かって左側(西側)にある2つの境内社は、諏訪神社と日吉神社。
諏訪神社の祭神は、武御名方命(たけみなかた:建御名方神)。古事記では、大国主命の御子とされ、出雲の国譲りの時、高天原軍の建御雷神と力比べをして負け、諏訪の地まで逃げたとされているが、強い強い武神であることに変わりはない。
日吉神社の祭神は、大山咋命(おおやまぐい)。比叡山の麓に鎮座する日吉大社が総本宮。
市杵嶋神社
こちらが市杵嶋神社。本殿の西側にある。画像ではわからないが、大きな池(生田の池)に浮かぶ小島に鎮座している。
太平洋戦争の末期、神戸市街も米軍による空襲に襲われた。神社は目印となりやすい。この境内にも多くの焼夷弾が降り注いだ。その数なんと300発とも。
そんな中、ご神体をこの市杵嶋神社に遷し給い、神官たちはこの生田の池の水の中で、燃え盛る炎を避けて生き延びたと聞く。
そういう意味でも、ありがたい市杵嶋神社である。
もちろん祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめ)。芸能上達の神であり、水の神である。
戸隠神社
生田の森を背にして鎮座するのが戸隠神社。祭神は手力男命(たじからお)。長野の戸隠神社のご分霊を祀ったもの。
天岩戸神話で、天照大御神が閉じこもった岩戸を引き開けた怪力の持ち主。よって、身体健全・筋力増進・大力の神として祀られている。
蛭子神社
戸隠神社の並びにある蛭子神社。エビス神社と読むのかヒルコ神社と読むのか。
祭神は蛭子命(ひるこ)である。西宮神社からの勧請と思われる。ご利益は商売繁盛。
生田の森
本殿の裏は、生田の森が。森の中には小川が流れ、曲水の宴が開催されるという。優しい癒しの空気が流れている。
生田森坐社
生田の森の中に、生田森坐社がある。なんと読むのだろうか。「いくたのもりにますやしろ」だろうか。
祭神は、創祀に関係する息長足姫命(神功皇后)である。神功皇后は応神天皇を生んだ時の伝承から「安産の神」として祀られる。
ここでは、それに加えて「万物成長」「生田の森の守り神」としてのご神徳も。
縁結びの水占い
この小さな池は、水占いの場所。
授与所で頂いた水占いの紙をこの池に浸すと、、、文字が浮かび上がってくるという趣向だ。
生田稲荷大明神
整然と並ぶ朱色の鳥居。20基ほどだろうか。美しい。
この規模でも中を通り抜けると「トランス状態」に近しい心持になるから面白い。
よく見ると、地面には段差があるのに、鳥居の上がきれいに揃ってる。柱の長さを調整しているのだ。
なかなか細かい仕事をしている。と、感心する次第である。
三社合祀殿
こちらの社殿に、三社が合祀されている。
塞神社
祭神は、八衢比古命・八衢比売命の二柱。
平安時代に行われていた「道饗祭」で、都に魑魅や妖怪を入れないように都の四隅に祀られる三柱神のうちの二柱である。
疫病や厄災を防ぐご神徳を待つ。
雷大臣神社
祭神は、中臣烏賊津連(なかとみ の いかつ)。社家「後神家」の祖神として祀られている。
中臣烏賊津は、武内宿禰と並ぶ神功皇后の忠臣の一人。三韓征伐の前に審神(さにわ:神の言葉を仲介する役目)として、住吉大神の名を顕した。
このようなことから、神と人との仲立ちをする「中つ臣」と呼ばれ、中臣となったとも。
こちらでは、食文化の発展と料理上達の神として祀られている。
神功皇后に関係の深い神として、ここに祀られるのは理解できるが、なぜに料理???
人丸神社
柿本人麻呂公を祀っている。もちろん和歌の神、学問の神。加えて、防火の神でもあるとのこと。
神功皇后は息長氏。柿本人麻呂は和爾氏。
和爾氏と息長氏は密接な間柄だったからここに祀られるのか。
最後に
境内を時計回りに回ると、最後にあるのが絵馬掛。
「愛 おねがい」と書かれた、ピンクのハート型絵馬がズラリと並ぶさまは圧巻。
実に可愛らしく、この前に立つとほんわかとした優しい気持ちになる。父親としての本能だろうか、、、
全国の恋する乙女諸君。健闘を祈る!
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