大聖勝軍寺(太子堂)|八尾|厩戸皇子を救ったという神妙椋樹は必見!
大聖勝軍寺は、八尾市太子堂にある高野山真言宗の寺院である。国道25号線(旧奈良街道)に面して建ち、山号は「神妙椋樹山(しんみょうりょうじゅさん)」という。
一般的には「太子堂」の名で知られる、聖徳太子ゆかりの寺院である。
かつて龍華と呼ばれたこの地域は、古代飛鳥時代の物部宗家の本拠があったとされ、大聖勝軍寺は物部守屋公VS蘇我馬子・厩戸皇子連合軍の古戦場跡に建っているとされる。
”太子堂” 大聖勝軍寺について
大聖勝軍寺 概要
- 所在地 大阪府八尾市太子堂3-3-16
- 電話番号 072-922-3000
- アクセス JR「八尾駅」徒歩15分、藤井寺行バス「太子堂」徒歩3分
- 駐車場 あり(無料)
- 主祭神 如意輪観音、植髪太子
- 創建年 594年
- 札所等 河内西国三十三箇所1番・聖徳太子霊跡2番
- 公式HP なし
MAP
創建
587年のこと。
天下の軍事氏族の長である物部守屋公との戦は難渋を極め、三度の退却を余儀なくされた「蘇我&厩戸皇子軍」。
「うぅむ。守屋殿。さすがはヤマト建国以来続く軍事氏族の首長ではある。こうなれば、御仏のご加護を賜るしか策はなかろう!」
大和と河内を結ぶ街道沿いに聳え立つ「信貴山」山頂に立ち、
「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」
と戦勝祈願した。すると、天空遥かに毘沙門天王が出現し、必勝の秘法を授かった
という。
戦後すぐ厩戸皇子は、難波の守屋邸の跡地に四天王寺を建立するとともに、ここにも四天王を祀るべくお堂を建立した。これが太子堂すなわち大聖勝軍寺の始まり。
594年。推古天皇より「神妙椋樹山」の山号と「大聖勝軍寺」の寺号を賜り、これを創建年とする。
ちなみに、上の物語で毘沙門天王が出現した場所に建立されたのが、毘沙門天を祀る信貴山朝護孫寺である。
ご本尊
ご本尊は、「木造二臂如意輪観音思惟半跏像」(もくぞうにひにょいりんかんのんしいはんかぞう)。
六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。
ちなみに二臂は二本の腕のこと。思惟とは手を顔に寄せて考えるしぐさ、半跏とは片足をもう片足のももに組む座り方。
如意輪観音思惟半跏像は六臂のものが多いと聞く。
聖徳太子の念持仏が如意輪観音であったことから、祀られていると思われる。
そして、四天王像も当然ながら祀られているのである。
▼木造二臂如意輪観音思惟半跏像
さらに、秘仏「植髪太子」(聖徳太子16歳像に自身の髪を植毛したもの)が安置されているらしい。
ご利益
創建当初は、国家鎮護と戦勝祈願の勅願所であったが、時代の流れの中で当然のことながら、ご本尊「如意輪観音」の本意であるところの、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世の利益を頂けるようになった。
また、聖徳太子の根本的思想にある、そして「和を以って貴しとなす」の波動が隅々まで浸透した境内に居ると、柔和な心持になってくるのが嬉しいのである。
”太子堂” 大聖勝軍寺 参拝記録
大阪中央環状線から国道25号線に入る。しばらく進むと、「太子堂西」の交差点。右手に自転車屋のあさひ自転車があるのが目印だ。
そこを過ぎること130m。左手に門前が見えるだろう。
参道の左右に駐車可能だ。
この門前の角にあるのが「守屋池」がある。
守屋池
ここで、秦河勝が守屋公の首を洗ったと伝わる。今は水は無い。
聖徳太子と四天王
聖徳太子像を四天王像が守護している図。
山門
金文字で「佛法最初 太子堂」とある。河内三太子の一つ「下の太子」とも称される。
そしてここは、河内西国三十三か所の一番霊場であり、聖徳太子霊場の二番でもある。ちなみに一番はというと、むろん四天王寺である。
756年に、聖武上皇から鎮護国家寺の称号を贈られ、勅願寺に定められたという。その当時は大伽藍だったらしい。
シンプルな手水盤である。水槽が赤茶けているのは鉄分が多いからなのか?
本堂:太子堂
これが、聖徳太子が建立したという植髪太子堂。ここに念持仏であるところの如意輪観音を安置し、四天王像で守りを固め、自ら手彫りの植髪太子像を安置したのだ。
合掌。般若心経を唱える。突然、蝉が鳴きだした。本堂の縁側を一周する。裏側が非常に気持ちよかった。
毘沙門堂
こちらが毘沙門堂。信貴山に出現して厩戸皇子に必勝の秘法を授けた毘沙門天王が祀られている。
- 太子は、恩ある樹「椋の木」で自身十六歳の像を刻み、自ら黒髪を断ち切りその像に植髪。
- そして椋の木を取り巻くように茂っていた白膠木(ヌルデ)で四天王の像を刻む。
- 馬子以下四大臣を四天王に見立てて各々頭髪に戴かせ、必勝の誓願をたてた。
もしかして、これが必勝の秘法?
一願不動の大聖不動明王
境内の西側に作られた不動明王。密教では大日大聖不動明王とも称され、大日如来の「教令輪身」とされる。
「教令輪身」とは、如来の一側面をいう。神道でいうところの和魂と荒魂のようなものか。
仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせたり、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿をいう。
言い換えると、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うことを本意とする。よって、忿怒の姿をしているのだそうだ。
合掌。真言「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」を唱える。
背中から風が吹き抜ける。浄化されていく感覚。
弘法大師立像
本堂に並んで立つ「弘法大師像」。合掌。「南無大師遍照金剛」を唱える。
高野山密教の開祖である。
地蔵堂
本堂と並ぶように「地蔵堂」が立つ。地蔵菩薩が安置されている。
地蔵菩薩は、サンスクリット語ではクシティガルバ。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味。
ということから、日本では「お地蔵さん」と言えば「子どもの守り神」とされたのだろう。
堂内には子供が好むお菓子が供えられている。子供の頃の地蔵盆で、「オバQ」のお菓子をもらった記憶がよみがえる。
こちらの地蔵堂は一見しただけだが、水子供養の側面が大きいように見えた。しかし、それが本来の姿なのであろう。
太子の本願「平和塔」
境内の東側に立つ「平和塔」。ネイミングや築年数の浅さから、軽く見ていたのだが、あにはからんや。
中を覗くと、「物部守屋公」「太子 並びに 二皇子」が祀られているではないか。
四天王寺にある太子堂の奥には、太子殿と並ぶように「守屋の祠」が鎮座していた。立派な祠である。主旨は「平和」であると聞いた。
こちらも同じく、一つの塔に、敵味方が祀られている。平和の象徴であり、「和を以って貴しとなす」という聖徳太子の理念がここに現れているのである。
物部氏と蘇我氏の無益な権力闘争に巻き込まれた太子の心の内が見て取れる。
神妙椋樹
これが、山号にもなっている「神妙椋樹」である。
厩戸皇子が物部の大軍に包囲され絶体絶命の窮地に陥ったとき、椋の大木が真っ二つに割れ、その幹の空洞に身を潜めた太子は九死に一生を得ることが出来た。
この椋の樹が前述の「恩ある樹 椋の木」で、聖徳太子はこの椋の木で16歳の自分を彫り、髪を切って植毛したわけだ。
ちなみに、既にお気付きかと思うが、木の空洞の中に太子像が立っている。このように隠れたということのようだ。
謎の祠
神妙椋樹の隣に、小さな石製の祠が一つ。そしてその後ろには朱色の祠が一つ。
謎である。
境外の関連史蹟
鏑矢塚
国道を挟んだ向かい側。龍華図書館の横に守屋公を射抜いた鏑矢が落ちた場所とのこと。
鏑矢で射抜けるものだろうか?というような疑念は無用である。
物部守屋公の墳墓
大聖勝軍寺を出て、左に歩くと物部守屋公の墳墓がある。全国の神社庁や有名神社から寄進された玉垣に囲まれ、鳥居がある。
年一回、命日なのだろうか、末裔の方々が参拝に訪れるのを見かけるが、もちろん神式である。
ちなみに、天童よしみさんの事務所もすぐ近くにある。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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コメント一覧
平和塔では物部守屋が聖徳太子を守っています。
四天王寺ではその逆ですね。
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