住吉三神|底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命
「住吉三神」総称して「住吉大神」は、日本神話に登場する神。伊邪那岐命の「禊」で生まれた三柱の海神である。
「綿津見三神」総称して「綿津見神」も、同時に生まれている。こちらも海の神だ。
その前に、伊邪那岐命・伊邪那美命の神生みの段にて、家宅六神の次に「大綿津見神」が生まれている。最初の海神だ。そして、この神のみ「海の神」と明記されている。
さらに、海の神といえば、宗像三女神も海の神。海の神は多い。
海を越えて渡来した各部族が「それぞれに祀っていた海の神」の伝承を、古事記というひとつの書物に放り込んだため、多くの海の神を登場させなければならなかったのだろう。
そして、いずれも三柱セットとなっていることも興味深い。
これは、海人族の自然信仰の名残で、海人族はオリオン座のシリウス・ベテルギウス・リゲルの三連星を目印にして、航海の際に方角を測っていたとされ、それが三柱セットで神を祀る理由ではないかという説がある。
住吉三神の概要
住吉三神の神名
- 〇筒之男命(つつのおのみこと)>>古事記
- 〇筒男命(つつのおのみこと)>>日本書紀
三柱の住吉神
- 底筒之男命(そこづつつのおのみこと)
- 中筒之男命(なかづつつのおのみこと)
- 表筒之男命(うわづつつのおのみこと)
住吉三神の神格
- 海の神
- 航海の神
「海の神」だけでなく、身禊で生まれた神であるからして「祓いの神力」も持つとする。
住吉三神の神徳
- 航海の安全
- 豊漁
- 浄化
- 和歌上達
住吉三神の系譜
古事記によると、「生まれた」ではなく「あらわれた」と表現されている。
父 ≫≫ 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
住吉三神が登場する神話
誕生神話
伊邪那岐命が黄泉の国に伊邪那美命に逢いに行って、逃げ帰ってきたときの話である。
伊邪那岐命は黄泉の国から還ってきて、「随分と厭な穢い国に行ってしまった。よって禊をしようと思う」と言った。
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に行き、禊を行った。
その投げた杖によって現れた神は、
・・・(ここから、身に着けていた様々な衣服や小物から多くの神々が生まれる記述)・・・
そこで、「上流の方は瀬が早い、下流の方は瀬が弱い」と言いつつ、真ん中の瀬に下りて水中で身を洗ったときに現れた神は、
・・・(ここから、身からはがれた穢れから神々が生まれ、その穢れを直すための神々が生まれる記述)・・・
次に、水そこで洗った時に現れた神は「底津綿津見神」と「底筒之男命」、
海中で洗った時に現れた神は「中津綿津見神」と「中筒之男命」、
水面で洗った時に現れた神は「表綿津見神」と「表筒之男命」である。
このうちの三柱の綿津見神は安曇氏の祖先神。よって安曇の連たちは綿津見神の子「宇都志日金拆命」(うつしひがなさくのみこと)の子孫である。
また三柱の筒之男命は、住吉神社の三座の神様である。
・・・(この後、「三貴子」すなわち天照大神・月読命・建速須佐之男命が誕生する記述)・・・
三韓征伐
神功皇后が三韓征伐を行う前、仲哀天皇崩御の場面に登場する。
息長帯比売命(神功皇后)は、神懸かりをした人であった。
仲哀天皇が熊曽征伐のために筑紫の香椎宮にいたときのこと。
天皇が琴を弾き、武内宿禰が祭りの庭において、神の仰せを伺ったところ、皇后が神懸かり、、、
「西の方に、金銀をはじめ、たくさんの宝物を持つ国が多くある。私が今その国を授けよう」
と言った。
ところが天皇は、
「高い場所に登っても、西に国は見えない。海しか無いではないか。偽りを言う神だ。」
と言い、琴を弾くのをやめた。
すると神は激怒し、
「この国は、おまえが治めるべき国では無い!おまえは一本道に進むがよい!」
と言った。
それを聞いていた武内宿禰は天皇に、
「恐れ多いことを言うものではありません。もう一度その琴をお弾きくださいませ。」
と進言した。
天皇は仕方なく、中途半端に琴を弾いたのだが、間もなく琴の音は聞こえなくなった。
明りを灯して見てみると、天皇は既にお隠れになっていた。。。
驚いた武内宿禰は、すぐさま御大葬の宮殿に遷し、国中から幣帛をとりつつ、天津罪・国津罪を求めて大祓して清め、
祭りの庭で神の仰せを願った。
すると神は
「この国は皇后の腹の御子が治めるべき国である。その御子は男の御子だ。」
と言った。
武内宿禰が神の名を問うと、神は、、、
「これは天照大神の御心。吾は底筒之男・中筒之男・表筒之男の三神である。真にあの国を求めんとするならば、天地の神、山の神、海河の神たちに悉く幣帛を奉り・・・・・大海を渡るがよかろう。」
神は畏れ多い
なんと仲哀天皇は、住吉三神の怒りによって崩御なさったとのことだ。
神は畏れ多いものなのである。
胎中天皇
また、「お腹の御子」は生まれる前から「天皇となるべき御子」と神からのお墨付きをもらった子であるとの記載がある。
胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称されるその天皇は、15代応神天皇。
当時の天皇は、成人の暁に指名されるもの。だから、皇位継承争いが絶えなかったのだが。。。
この天皇は、どうも特別扱いの天皇で、天照大神と並んで「皇祖神」でもある。
住吉神と神功皇后
記紀には書かれていないが、住吉大社の伝えによると、
神功皇后は住吉三神と男女の仲だった
という。
わざわざそれを伝承するということは、、応神天皇は神の子だと伝えたかったということか。
住吉三神を祀る神社
当ブログ内で、住吉三神を祀る神社は、、、
住吉大社(大阪市住吉区)
全国の住吉神社の総本宮とされ、神功皇后も合わせて合計4つの本殿が綺麗に配列された、実に美しい神社である。
住吉神社(福岡県福岡市博多区)
参道の始まりにはイザナギ命が身禊を行った阿波岐原だと伝わる「天竜池」があり、住吉神社発祥の地と称する神社。
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