伊太祁曽神社|紀国一宮|木の神を祀る大社は「命を司る神」。氣の生ずる根源の地で”いのち”のパワーを頂こう!

2017年8月11日

和歌山市の南東部。山々に囲まれた小盆地に鎮座する伊太祈曽神社は、式内社の名神大社にして紀伊国一之宮という霊験あらたかな古社である。

上古、紀伊国は木の国といった。当社に祀られる神は木の神。となれば、和歌山に最もふさわしい神と思えるのだが、、、

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伊太祁曽神社について

伊太祈曽神社 概要

  • 所在地   和歌山市伊太祈曽558
  • 電話番号  073-478-0006
  • 主祭神  五十猛命・大屋津比売命・都麻津比売命
  • 創建年      不詳(神代)
  • 社格   紀伊国一の宮、名神大社、官幣中社、別表神社
  • 公式HP    http://itakiso-jinja.net/

伊太祈曽神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 和歌山電鐵貴志川線 伊太祈曽駅 徒歩5分

駐車場

  • あり

伊太祁曽神社の祭神

本殿域には、3つの社が並ぶ。

中央の本殿に祀られる主祭神が「五十猛命」
左右の脇殿に祀られる配神が「大屋津比売命」と「都麻津比売命」

五十猛命

伊太祁曽神社では、五十猛と書いて「いたける」と読む。「いそたける」でとは読まない。
古事記における、八十神に追われた大国主命を助けた神「大屋毘古神」(おおやびこのかみ)と同一神とも。亦の名を「射盾神」(いたてのかみ)とも。

素戔嗚尊の御子とされる。

高天原を追放された素戔嗚尊とともに新羅に渡ったが、素戔嗚尊の「この地、吾居るを欲さず」の言葉を受けて一緒に埴土船で出雲に帰ってきた

天下るときに多種多様な植物の種を携えて行ったが、新羅には蒔かずに持ち帰り、日本の全土に蒔いたので、日本は樹木に覆われた豊かな国になったという。

日本書紀より

木の神といわれる由縁である。

大屋津比売命

五十猛命の妹神とされる。「おおやつひめのみこと」と読む。

兄神の五十猛命とともに日本全国に樹木を植えて回ったとされる。

大屋津比売の「屋」は家屋を意味し、樹木を司る女神であるとともに家屋や木船の神でもあるという。

都麻津比売命

こちらも五十猛命の妹神で、「つまつひめのみこと」と読む。

同じく、兄神の五十猛命とともに日本全国に樹木を植えて回ったとされる。

都麻津比売命の都麻は、四方木を意味する。よって、樹木の女神であり、材木の神でもあるとする。

伊太祁曽神社の創建

創建年代は不詳である。

もともとは和歌山市秋月に鎮座する日前・国懸神宮の社地にあったと伝わる

それが本当ならば、日前・国懸神宮がその地に遷宮してきたのが垂仁天皇16年(紀元前14年)というから、その頃には既に、伊太祁曽神社が創建されていたということになるが。

それはさておき、

現在地における伊太祁曽神社の創建は、続日本紀によると大宝2年(702年)、寛永記によると和銅6年(713年)

南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる旧社地に祀られていた兄妹三柱の神を、それぞれ分社して遷したとされる。

よって、このとき、大屋津比売神社、都麻津比売神社も同時に創建され、伊太祁曽神社は五十猛命のみを祀った神社だったということになる。

このとき創建された3社、すなわち「伊太祁曽神社」「大屋津比売神社」「都麻津比売神社」とも、延喜式神名帳に「名神大社」に列している。

伊太祁曽神社の御利益

日本に樹木を植えて廻った功績から 「有功神(いさおしのかみ)」 の別名がある五十猛命。よって「林業の神」であり「殖産興業の神」として、社業繁栄・商売繁盛の御利益を頂く。

船で新羅から出雲に渡ってきたことから交通安全・航海安全・漁業の神

大国主命を災難から救い、いのちを救ったことから、厄除け・病気平癒の御利益を頂けそうだ。

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伊太祁曽神社 参拝記録

紀伊国には一の宮が3社ある。日前・国懸神宮(日前宮)、伊太祁曽神社、丹生都比売神社だ。

なぜ3社もあるのか?そんなことはどうでもよいのだ。

伊太祁曽神社へは、電車でも車でも、和歌山電鐵貴志川線の伊太祈曽駅を目指せばよい。駅から一の鳥居が見える。

車の場合は一の鳥居を車でくぐり直進。坂道の手前の右側に無料の駐車場がある。50台ぐらいはとめられるだろうか。

通常月の土日なら大丈夫だろう。きれいなトイレもある。

▼駐車場入り口

この鳥居の前に立ったとたん、わが母親が「ええわーここ!なんとおごそかなこと!」と叫ぶ。

実はわが母親は和歌山市の南隣にある海南の出身。なのに、初めての訪問だと言う。

喜んでもらえてよかった。

神橋と拝殿

鳥居をくぐると、こんな景色に変わる。

▼神橋から拝殿を見る

この橋は神池に架かっている。池には鯉が泳ぎ、社務所の横には鯉のエサの自動販売機があった。

わが息子は目ざとく見つけて、さっそく鯉のエサやりに興じている。

▼神池とその向こうに駐車場

拝殿

割拝殿の様式である。実に横長の拝殿である。海南市の藤白神社もこれより小規模ではあるが割拝殿であった。

階段下の左手に大幣(おおぬさ)がある。

▼大幣

奈良の大神神社の拝殿横にも、大幣が置かれてあり、参拝前に自祓を行う作法となっているのである。

なので「これこれ、自祓と言ってね・・・」と家族に説明しながら、おもむろに大幣を手に取ろうとしたところ、神職さんが走ってきて「触らないで下さい!」と。。。

こちらではダメなようだ。

気を取り直して拝殿への階段を上ろう。

木俣くぐり

この木は、社務所前にそびえていた樹齢800年とも1000年ともいわれた、ご神木の杉の木である。

落雷によって燃えてしまったのだが、外側だけが燃え残ったらしい。

説明書きによると

神代の昔 大国主神(おおくにぬしのかみ)が八十神(やそがみ)に命をねらわれた時、母神の刺国若比売(さしくにわかひめ)は、木国の大屋毘古神(おおやびこのかみ:当神社の御祭神で、五十猛神の別名)のところへ逃がします。

木国に逃れた大国主神は 大屋毘古神の助言により木俣をくぐり難を逃れます。

この神話にもとづき「この木の俣をくぐると難を逃れることができる」

と云う信仰が生まれ 今も多くの参拝者がくぐって行かれるようになりました。

くぐってみた。

体重80kgの私だが、十分にくぐることができる。中で立ちあがることもできる。

▼木の幹の中から外を見た

▼こちらがその枯れてしまったご神木らしい

中門

拝殿をくぐると、さらに一段高い場所に本殿域がある。

本殿:五十猛命

二礼二拍手一礼。天津祝詞。

脇殿:大津屋比売命

脇殿:都麻津比売命

本殿屋根

出雲系の祭神の場合、男神の千木は外削で鰹木は奇数。逆に女神は千木が内削ぎで鰹木は偶数が通常と聞いている。

しかしこちらは、本殿は男神で鰹木が4本(偶数)だ。脇殿は女神で鰹木3本(奇数)だ。そして千木はいすれも外削である。

どうやら出雲系の法則には当てはまらないようだ。こちらの祭神は出雲系のはずだが、、、まあいい。そういうこともある。

境内社

氣生神社

氣生神社(きしょうじんじゃ)には、五十猛命の荒魂が祀られている。

荒魂とは、神の荒々しい側面のことを指す。怒ると祟りが怖いが、反面、生き生きとして活発な、新しいものを作り上げるエネルギーを持つとされる。

神宮の「下宮」・「内宮」では、それぞれ祭神の荒魂を「多賀宮」・「荒祭宮」に祀っており、個人的な願い事は荒魂に祈る作法となっている。

よって、伊太祁曽神社においても、お願いごとはこちらにお願いしたほうが、叶いやすいかもである。

ところで「氣生」とは、どこかで聞いたことがある。と思っていたら、、、「氣生根」だ。

そう貴船神社の名前の由来のひとつ「氣生根」(きぶね)である。

万物のエネルギーである『氣』が生ずる根源の地=「氣生根」

伊太祁曽神社と貴船神社に関係性があるかどうかは知らないが、おそらく氣生神社の「氣生」も、同様の意味合いを持っているのであろうと思う。

いのちの神が鎮座する社であるからして。

蛭子神社

蛭子神社(ひるこじんじゃ)は、「伊太祁曽神社区域内に祀られていた22の産土神を、明治の神社合祀令によって合祀したもの」という。

中央の広い扉の奥に「蛭子大神」が祀られ、その左右と側面の細い扉のそれぞれに一柱ずつ、合計22柱が祀られている合祀殿である。

蛭子神といえば、古事記ではイザナギ・イザナミによる神産みの最初に産まれた神で、不具の子であったため海に流されたとされる。これが西宮の浜に流れ着き、西宮戎の始まりと伝わる。

霊石 おさる石

この石を撫でると、首から上の病気が治るという霊力をもった石らしい。

神宮遥拝所

割拝殿の北側奥に「神宮遥拝所」がある。伊勢神宮と書かないところがカッコいいのである。

ここは気の通り道になっているような気がする。前に立つと体が震える。

さて、割拝殿を通って階段を下りる。

前述の大幣は、もう無い。

つぎは、祇園神社に向かおう。

神域の南、駐車場の奥に丘を登る階段と鳥居が見える。

階段を上ると左手に磐座がある。

磐座

なんと、素戔男尊と五十猛命が新羅から帰ってきて降り立ったと伝わる「鳥上峯」の石をこちらに持ってきたとのこと。

ここから祇園神社はすぐそこに見えている。

祇園神社

新しい祠である。祭神は素戔男尊

祇園神社というからには、おそらくは牛頭天王を祀っていたのだろう。疫病除けの神である。

御井神社

祇園神社から横道にそれて坂道を下ると御井神社があるらしい。

しかし、わが母の体力が限界に近づいてきたきたため、そちらへの参拝は後日とする。

ちなみに、「命の水」といわれる湧水がわく井戸があり、

「境内山中の井戸より涌く水は、古来より「命の水」と呼ばれてきました。病人に飲ませると活力を得ると伝えられています」

伊太祁曽神社 小冊子より

ということだ。

最後に

最後に、境内にある喫茶店に入り、グリーンアイスを食べ、涼をとる。

どうやらこの喫茶店のコーヒーは、先ほどの「命の水」で淹れているようだ。しかし、こうも暑いとホットコーヒーは。。。

やはり後日にするのがよかろう。

もうひとつの紀伊国一の宮
☞ 日前神宮・國懸神宮 ”良縁・結婚の神” 

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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