石清水八幡宮|御利益は必勝祈願と厄除けと安産。京都の裏鬼門を守るために自ら遷座した八幡大神に祈る。
京都と大阪の県境。桂川と宇治川と木津川が合流して淀川となる地点の左岸に突き出した「男山」。対岸には「天王山」。
この両山が接近したこの場所は、まさに「交通と防衛」の要所である。この京都の南の玄関口である男山の山上に「石清水八幡宮」は鎮座する。
石清水八幡宮について
石清水八幡宮 概要
- 所在地 〒614-8588 京都府八幡市八幡30
- 電話番号 075-981-3001
- 主祭神 誉田別命、比咩大神、息長帯姫
- 創建年 貞観2年(860年)
- 社格 国史見在社・二十二社・官幣大社・別表神社
- 公式HP http://www.iwashimizu.or.jp/
石清水八幡宮 アクセス
MAP
最寄り駅
- 京阪本線「八幡市駅」ケーブルカー乗り換え
駐車場
- あり(有料)
石清水八幡宮 創建
平安前期、京の裏鬼門の守護として、それまで二所宋廟とされてきた宇佐神宮から、大安寺の僧侶「行教」がご分霊を賜り、男山に勧請して創建。西暦860年とされる。
行教はこのとき
「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
との八幡大神の神託を受けたという。
創建当初は境内の護国寺とともに宮寺形式であり、男山全体に多くの寺院やお堂が立ち並んでいたという。延喜式神名帳に記載がないのは仏式だったからなのかもしれない。
神仏分離によって仏式は廃止された。
元石清水の存在について
過去の記事でご紹介したが、奈良は大安寺の南に「八幡神社」という八幡宮が鎮座する。
この神社の主張によると、
宇佐神宮から八幡大神の分霊を大安寺の僧侶「行教」が持ち帰り、大安寺境内の石清水坊に勧請。
大安寺の鎮守として奈良の「石清水八幡宮」が創建されたのが始まりとする。
その50年ほどのちに男山に遷座し、平安京の守護として「石清水八幡宮」が創建されたとしている。
よって、この神社は「元石清水」を名乗っている。
石清水八幡宮は完全否定していると聞く。真偽のほどは定かではないが、火のないところに煙は立たずである。。。
石清水八幡宮の格式
このように、そもそもが平安京の守護として勧請されただけあって、創建当初から「二十二社の上七社」に指定され、伊勢の神宮とともに「二所宗廟」の一社でもあり、さらに宮中においては、「四方拝」で遥拝される一社となっている。
当時の朝廷にとって、とてつもなく重要な神社であると言えよう。
現在では、宇佐神宮と筥崎宮(あるいは鶴岡八幡宮)と並ぶ「日本三大八幡宮」の一社とされている。
三大祭や三大天満宮、果ては三大怨霊など、日本人は「三大」をこよなく愛する国民なのである。
二十二社とは
平安中期に、延喜式神名帳における名神大社の中から特に霊験あらたかで、かつ、中央政権から近い地域にある神社を選定したもの。
その時々で改廃が繰り広げられたのち1088年に確定。上七社、中七社、下八社と区別されており、ほぼ、畿内に存在する。
役割は、国家的な重大事や天変地異が発生した際に、臨時かつ特別に朝廷からの奉幣を受け、事態解決に向けて神に祈るものである。
二所宋廟とは
そもそもは中国の氏族がその祖神を祀るために作られた廟のことをいう。
日本においては、伊勢の神宮と石清水八幡宮を宋廟としており、二か所あるので「二所宋廟」と呼ぶ。
すなわち、伊勢の神宮に祀られる神=天照皇大神も、石清水八幡宮に祀られる神も八幡大神も、いずれも皇室の祖神=皇祖神であるということが言える。
天照大神が皇祖神であることは一般的に知られている。では、八幡大神が皇祖神であるとは、どういうことか?
四方拝
1月1日の早朝に、天皇が宮中において行う神事。伊勢の神宮(皇大神宮・豊受大神宮)を遥拝したのち、続いて四方の諸神を遥拝する。
現在、天皇が遥拝する神社は次の通り。
- 伊勢神宮
- 氷川神社(武蔵国一宮)
- 賀茂別雷神社・賀茂御祖神社(山城国一宮)
- 石清水八幡宮
- 熱田神宮
- 鹿島神宮(常陸国一宮)
- 香取神宮(下総国一宮)
石清水八幡宮の立ち位置が、いかに高いものであるかをご紹介した次第である。
石清水八幡宮の祭神
石清水八幡宮の祭神は、次の三柱の神々である。総称して八幡大神ともいう。
誉田別命 (ほむだわけのみこと)
中御前にまつられるのが、第15代「応神天皇」である。応神天皇一柱を八幡大神ということもある。
三韓征伐を敢行した「神功皇后」を母とする。父は各論あり、神功皇后の夫である仲哀天皇が父であらねばならないのだが、仲哀天皇の死と神功皇后出産までの日数等を鑑みたとき、???なのだそうだ。
一説には、住吉大社の文献によると住吉大神が父ともとれる記述がある。はたまた、家臣の武内宿禰が父なのではなかろうか?との噂もまことしやかに囁かれている。
また、それまでの皇系とは全く異なる「外来氏族」の王であったのでは?という説もある。そうであれば、現在の皇室の祖神は天照大神ではなく応神天皇であるとも言えてしまうのだ。
となれば、二所宋廟も頷けるわけだが、私個人的にはこの説は支持したくない。
比咩大神 (ひめおおかみ)
西御前にまつられる女神で、本来の神名は「宗像三女神」すなわち多紀理毘売命・市寸島姫命・多岐津比売命の3柱を指す。といわれている。
そもそもは、大陸や朝鮮半島と日本列島をつなぐ玄界灘の神である。海上安全を司るわけだ。
かつての倭国は、壱岐、対馬の海域に留まらず、朝鮮半島南東部にまでその支配領域を広げていたという。
そこでは、航海術に長けた海人族が大活躍していたはずだ。その一派である宗像族が奉斎する海の神が宗像三女神なのである。
息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
東御前にまつられる神で、「神功皇后」のことである。
三韓征伐(新羅征伐)で有名。しかも、妊娠中であるにもかかわらず遠征を敢行し、帰国後に応神天皇を無事出産したことから、安産の神として祀られることもしばしばである。
石清水八幡宮のご利益
必勝
八幡大神であるからして、まずは「勝負」「必勝」である。
戦いを挑む際、新規事業を立ち上げる際、転職を決断する際など、「すわっ!」という時に祈願すると良い。
今時「すわっ!」は通じないか。。。「さあ!ここで一発奮起せねば!」という時という意味である。
厄除け
そして、勝負には困難がつきものであるが、そんな荒波を乗り越える、困難を除けてくれる、「厄除け」のご利益もいただける。
というのも、平安時代に同時勃発した「平将門の乱」「藤原純友の乱」や鎌倉時代においては「元寇」など、国家的緊急事態の際、石清水八幡宮の八幡大神のご神威によって平定されたとされているからである。
だからこその「二十二社の上七社」なのである。
安産
そして当然ながら、神功皇后由来の「安産」のご利益によって、文字通りの安産だけでなく、勝負に挑んだ人にいい結実をもたらしてくれるのではないだろうか。
「案ずるより産むがやすし」ともいうが。。。
石清水八幡宮 パワースポット紹介
男山全体がパワーを持つ山なのだが、その中でも次に挙げるスポットは格別かと。。。
厄除けの御神木 タブの木
高良社の鳥居をくぐった先の左手に、大きく太い御神木が聳える。樹齢700年の「タブの木」である。クスノキのようなものだ。
この御神木には「厄除け」のご利益があるとして、地元民の信仰を集めているそうだ。
高良社
男山のふもとに鎮座する「高良社」は860年の創建で、祭神は「高良玉垂命」。今も旧八幡町の氏神として厚く信仰されている。
麓にあるため、山頂の本宮の遥拝所的な役割も果たしているのでは?と思う。落ち着きと厳しさを併せ持った、濃密な空気が流れている。
さて、この「高良玉垂れ命」は、応神天皇の父と噂される「武内宿禰命」でもあり「住吉神」でもあると言われている。
となると、住吉神=武内宿禰ということなのか。なんとなく腑に落ちるのである。
ちなみに、徒然草の笑い話「仁和寺の法師」に登場する、お坊さんが石清水八幡宮と間違えて参拝した神社というのが、この「高良社」である。
間違えるほどのパワフルな気を放っていたのだろう。。。
石清水井(いわしみずい)
表参道と裏参道の間、人目に付きにくいエリアに、「石清水井」がある。石清水八幡宮の社名の由来とされる「湧水」である。
「湧水」すなわちパワースポットであり、石清水八幡宮境内で最も神聖な場所とされている。
八幡宮が遷座される以前から、この石清水は湧き出でており、そこに井戸の神が祀られていたことは、想像に難くない。
現在の井戸の水質はというと、、、飲むには勇気が必要な状態であるが、かつては男山五水に数えられた名水であった。石清水井・筒井・藤井・山井・閼伽井で五水。閼伽井は宅地開発により無くなった。
石清水社(いわしみずしゃ)
さてその神聖なる井戸を守るように、右手の高見に「石清水社」が鎮座する。
石清水八幡宮が創建される以前から、ここに鎮座していたとされている。
祭神は、なんと「天之御中主神」である。創造の神にして日本神道の最高神だ。心願成就がご神徳とのこと。
この場所、最も神聖な場所と言われているが、私は少なからず怖さを感じたのである。何かに見られているような感覚に陥る。
夜には来たくない場所である。
本殿のご神木 招霊の木
招霊の木とかいてオガタマノキ。古くより神が宿る木とされ、神が降臨する際の依代として用いられてきた神木である。
天岩戸の前で乱舞した天鈿女命が持っていた枝は、この招霊木であったらしい。
そしてこの木の実の成り方は、丸い実が集まって成るのだが、巫女さんが神楽を舞う際に持つ「シャンシャン」と打ち鳴らす「神楽鈴」は、オガタマの木の実をモチーフにしているらしい。招霊木の霊力にあやかって作られたわけだ。
勝運アップの一ツ石(ひとついし)
三の鳥居から本殿へと真っすぐに伸びる参道に一つの自然石を見つけることができる。
これが「一ツ石」「お百度石」「勝負石」などと名付けられた石である。
「勝負石」とは、かつて参道で行われた競馬の出発点であったから。
「お百度石」と呼ばれたということは、ここから本殿までを100回往復するということか。。。
武家が信仰した八幡宮
かつて、源義家が石清水八幡宮で元服し「八幡太郎」を名乗り、それ以来、源氏の守り神として崇拝された八幡宮。
建武元年には、河内の豪族にして南朝の将「楠木正成公」が戦勝祈願のために植えたとされる楠の大木が聳える。
他にも武将に因むものとして、織田信長が寄進したとされる「信長塀」がある。熱田神宮にもある信長塀だ。
このように、石清水八幡宮は、日本一の戦の守護神として、各時代の武将たちの崇拝を受けてきたことがうかがえる。
他にも、多くの見どころを持つ石清水八幡宮。機会を見ては、追記していきたいと思う、
元石清水の記事はコチラ! ➡ 八幡神社 元石清水八幡宮は子宝のパワースポット!女性の守護神と見た!! |
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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