阪合神社|八尾|小阪合遺跡で発見された謎の巨大氏族が祀る神の正体とは?

2017年3月24日

近鉄大阪線の山本駅から西へ15分、閑静な住宅街の中に鎮座する阪合神社は、延喜式神名帳において「坂合仁神社 二座」と記載される式内社である。

この小阪合町は、旧大和川の支流であった楠根川が流れる地域で、遺跡の発掘調査によって、その河原に古代祭祀場が存在していたことが確認されている。

この祭祀場で祭祀を行っていた氏族とはいったいどんな氏族だったのだろうか。。。

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阪合神社について

阪合神社 概要

  • 所在地   大阪府八尾市小阪合町2丁目8−39
  • 電話番号  072-922-0789(山本八幡宮)
  • 主祭神  瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鵜草葺不合尊
  • 創建年    不明
  • 社格   式内小社
  • 公式HP     なし

阪合神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄大阪線「河内山本駅」徒歩15分

駐車場

  • なし

小阪合遺跡

八尾市若草1丁目、徳州会病院の建設現場で発見された遺跡である。弥生時代から鎌倉時代の遺物や遺構が発見され話題となったものだ。

そこには古代の流路の痕跡があり、その川跡とみられる場所から、古墳時代前期(紀元後350~400年頃)と思われる。そして、祭祀に利用したであろう「勾玉」「剣」「鏡」が揃って発見された。

三種の神器が揃って発見されること自体が珍しいことなのだが、製鉄技術が充分ではなかった4世紀の日本において、本物の鉄剣を大量に祭祀場に奉納できる実力者が、この八尾に拠点を置いていた事実は驚愕である。

しかも、その鉄器の刃先や鉾先は、南東の方角、すなわち纒向や桜井の方角を向けられて並べられていたという。

日本の歴史には「空白の4世紀」といわれる、客観的な文献(中国などの文献)などで確認のできない空白の時期がある。

そんな「空白の4世紀」の遺跡からあぶりだされてきた巨大氏族とは何者なのか。この巨大氏族が、その後の大和王権に、あるいは大和朝廷の根幹に、何らかの影響を与えたやもしれぬと考えたくなるのも無理はないと思わないかい?

ちなみにである。応神天皇が登場するのは5世紀始めごろだったと記憶する。そして、神功皇后や応神天皇は秦氏とともに朝鮮半島からやってきた王族であり、崇神天皇から始まる系譜とは何の関係もない新たな外来の王権であったというがある。

さて、もう一度問う。この纒向・桜井に鉾先を向ける巨大氏族とは、いったい何者なのだろうか。。。

阪合神社の創建

創建年代は不明である。7世紀には既に存在していたことは三代実録の記載事項で明らかなのであるが、前述の通り、古墳時代前期の祭祀跡が発見されたことからすると、その頃に居住していた巨大氏族の祖神を祀る神籬から神社に発展していったと考えても不自然ではないだろう。

明治に入り、近くの矢作神社に合祀されたが、昭和32年に旧鎮座地の現在地に再建された。

阪合神社の祭神

現在の祭神は、瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・鵜草葺不合尊。錚々たる神々だ。

瓊瓊杵尊(ににぎ)

天孫降臨神話で、高千穂の峰に天降った神である。天照大神の孫である。よって天孫。

彦火火出見尊(ひこほほでみ)

その瓊瓊杵尊と山の大神の娘「木花之開耶姫」との間に生まれたのが、彦火火出見尊である。海幸彦・山幸彦神話の主人公。海の大神の娘「豊玉姫命」との間に「鵜草葺不合尊」をもうける。

鵜草葺不合尊(うがやふきあえず)

ちなみに、前述の通り「彦火火出見尊」と「豊玉姫命」との間に生まれた御子である。後に「玉依姫命」との間に「神武」をもうけることになる。

すべて、日向王朝の神々である。

しかし、もともとは、そうではなかろう。

元々の祭神は?

前述の遺跡にまつわる巨大氏族の祖神、もしくは、その後の阪合地域の支配者であっただろう「坂合部氏」の祖神を祀っていたにちがいないのである。

坂合部氏の祖と言えば、古事記によると「神八井耳命」で神武天皇の皇子であるとする。

旧事本紀によると、坂合部氏は「火明命十六世孫」としている。さらに旧事本紀は、「火明命=ニギハヤヒ」であるという立場をとるのであるからして、祭神はニギハヤヒとなる。

となると、もとの祭神は「神八井耳命」か?、はたまた「火明命=ニギハヤヒ」か?まったく異なる。

真実は闇の中である。

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阪合神社 参拝記録

近鉄大阪線の河内山本駅を下車し、玉串川沿いに南下。五月橋の交差点を西に曲がり400mぐらい歩くと、道沿いに看板が見える。ちょうどJAの向かい側だ。そこを北に入るとすぐに鳥居が見えるだろう。

神社には駐車場が無い。大通り沿いのJAとコンビニの間の道路が駐車禁止ゾーンではなさそうだ。しかし、そこに止めたらいいとは言っていない。そこに止めるかどうかは、自己責任でお願いしたい。

新しい鳥居のようである。時刻は15時。傾きかけた太陽からの日差しが境内いっぱいに広がって温かい。

前段に記した、私の長々とした文章が、ここに簡潔に述べられている。清々しいのである。

拝殿

こちらの新しい拝殿である。昭和の建築物とは思えない。ニ礼二拍手一礼。

前述のような、ものものしい論調には似つかわしくなく、実に温かい穏やかな雰囲気である。お弁当をひろげたくなるような空気感だ。

本殿

暗くて見えないが、木造である。

内削ぎの千木に、偶数の鰹木。出雲系の神社であれば、これは女神を祀る社の特徴であるのだが。。。

鳴門神社

本殿の左横に、朱塗りの鳥居が美しい社がある。てっきり稲荷社だと思って近付くと「狐」がいない。

それもそのはず、こちらの摂社は「豊玉姫命」を祀る社であった。

「豊玉姫命」とは、阪合神社の祭神の一柱である「彦火火出見尊」の妻である。海の神「大綿津見大神」の娘だ。

撮影を忘れてしまった。。。申し訳ない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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