式内楯原神社|喜連|この神社には十種神宝が現存するという。起死回生のパワースポットを参拝しよう!

2017年3月6日

地下鉄谷町線の喜連瓜破駅を下車して、徒歩15分ぐらいだろうか。駅の北西に位置する。南には喜連小学校がある。小学校を目指すのがよかろう。

車の場合は、長居公園通りの瓜破交差点の東650m地点にある「喜連住宅前」交差点を北に入る。酒屋があるY字路に突き当たるので、左斜めに入っていこう。そのまま小学校の敷地に沿って真っすぐ進むむと、楯原神社の鳥居に突き当たる。

但し、駐車場は無い。楯原神社の北側に「妙願寺」がある。そこに止めることもできるのかも知れないが、私は近くのコインパーキングに止めた。

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楯原神社 参拝記録

楯原神社には、西と南に鳥居がある。これは西の鳥居。

この鳥居から本殿に正対しているのだが、手水舎が見当たらない。よって、南の鳥居に回り込む事にした。

こちらの方が、正門のような雰囲気である。

井戸の横に手水舎。こういう手水舎が河内地方には多い。河内平野はかつて、旧大和川が幾筋にも分岐し縦横無尽に流れていた。地下には豊富な地下水が蓄えられていたと考えられる。どこを掘っても水脈にぶち当たったのではないだろうか。

手口を清めて、鳥居をくぐろう。

空気が変わる。強烈な冷気が漂っている。周囲より5℃ほど低いのではないだろうか。それほどの森があるわけでもないのだが。。。

ピーンと張り詰めた空気の中、参拝である。

拝殿

梅紋が見える、これは天満宮のものである。中世における主祭神であった道真公、すなわち「天神社」の名残であろう。

こちらの拝殿の雰囲気は「厳粛」。あるいは「威厳」か。癒しの要素は感じられなく、ただただ緊張感が漲っていた。

拝殿の横から裏に回ろう。

本殿

本殿裏の参拝所

本殿の裏側に参拝所がある。私は、このような裏拝殿で好きである。伊弉諾神宮や熱田神宮の裏参拝では、怖いぐらいの独特の力を感じたものだ。

でこちらはどうかというと、表よりも柔らかい雰囲気を感じた。こちらも扉に「梅紋」が施されていいる。

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神宝十種之宮

さあ、これが十種神宝に宿る神「布留御魂大神」を祀る「神宝十種之宮」である。

十種神宝とは

「先代旧事本紀」に登場する、神具・呪具の類である。

天孫「饒速日尊」が天磐船で河内に降臨する際に、天照大神から授かったのが十種神宝。この神宝には、病気を治したり死人を蘇生させることもできるという、強力な霊力が宿っているとされ、石上神宮に伝わる「ひふみ祝詞」を唱えることで、その霊力が発揮されるという。

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十種神宝の行方

その真偽は定かではないが、案内板によると、

その十種神宝は、崇神天皇の御代に石上布留の高庭に鎮め祀られた。石上神宮である。

時は流れて室町幕府末期のこと。時の征夷大将軍「足利義昭公」は、織田信長に反旗を翻すべく、各地の大名や、石上神宮をはじめとする畿内の有力社勢力と手を結ぶ。

当然ながらの信長の反撃に遭うのは必定。信長の前には、石上神宮も例外でななかった。この時の焼き討ちで、十種神宝をはじめとする財宝が持ち去られたのである。

その後神仏をも畏れぬ信長は、神仏を畏れる明智光秀の謀反によって暗殺され、その後、秀吉が天下を取ることになる。

一方、十種神宝はというと、心ある士によって保護されていたらしい。

十種神宝が現存することを知った秀吉は驚き畏れ、十種神宝を「生魂の森」の地中深くに鎮め斎き奉った。

さらにさらに時は流れて、徳川幕府末期。討幕運動が盛んなころ、名古屋地方に伊勢神宮のお札が降ったという噂をきっかけに、「ええじゃないか」が大流行。やがては暴徒化し、各地の地主や富豪の屋敷が荒らされた。

「生魂の森」も暴徒に荒らされ、またもや地中深くに埋めていた十種神宝は持ち去られてしまった。

そんな十種神宝が、なんと古道具屋の店頭に陳列されていた。喜連に住む小林さんが買い求めて自宅で祀ることにした。

その後、喜連を離れることになった小林さんは浅井さんに譲り、さらに地元の名家「増池さん」に渡り、増池さんが「楯原神社」に奉納。社殿を建立するに至る。

なお、石上神宮が返却を要望したが、楯原神社は断った。

引用元 楯原神社内案内板

「この話、信じるか信じないかは、あなた次第です。」と付け加えたくなるような内容である。これ以上のコメントは差し控えさせていただくのがよかろう。

ここに十種神宝という物体があるかないか、実際に足を運んで、社殿の前に立って、感じてみるのも一興かと思う。

「息長真若中女」の碑

「息長真若中女」とは、15代応神天皇の后の一人である。この系統から継体天皇が出るのである。

神石

由来はよくわからない。神が宿る石なのだろう。私には、感じ得るものはなかった。

稲荷神社

境内の北西の角に鎮座している、稲荷社である。

楠社

渋川神社の大楠と比べると、非常に優しいというか女性っぽい楠のご神木の隣に「楠社」が鎮座する。

こちらの楠社は「三ツ鱗」の神紋。三ツ鱗と言えば、蛇神・龍神である。こちらにも、水を司る神が祀られているということであろう。

釣鐘

倉庫としても使用されているであろう絵馬殿に、大鐘が釣り下げられている。

これは、北に接する「妙願寺」の釣り鐘である。かつて、妙願寺は楯原神社は宮寺であったのだろう。神仏分離によって切り離されたが、現在でも境内を行き来することが出来る。

この妙願寺。聖徳太子が仏法興隆のために建立した「喜連寺」であると伝わる。喜連寺は「キレデラ」と読むのだろうか、「キレジ」であろうか。。。

最後に

実は私もご多分に漏れず、十種神宝に惹かれて参拝したわけだ。

しかし、それはそれとして、こちらの祭神が、天津神と国津神の最強軍神であるところの武甕槌大神、大国主大神であるという点、そして、なんとも複雑な、そして紆余曲折の社歴を持つ神社であることの2点に興味を持つに至った神社であった。

以上、十種神宝が眠ると言われている楯原神社のレポートを終わらせて頂く。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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