八幡八雲神社|八王子|東八王子の鎮守神。実は摂社の横山神社が本当の産土神であった。
八幡八雲神社は、JR八王子駅から徒歩で10分。東京都八王子市元横山町に鎮座する旧郷社で、八王子地区の開墾開拓の頃から町の発展を見守ってきた、まさしく八王子の東地区の地主神、鎮守の神である。
ちなみに、西地区の鎮守は元本郷町に鎮座する「多賀神社」だ。
さて、当神社の境内社に「横山神社」がある。武蔵七党に数えられる勢力を誇った「横山党」の祖が祭られている。
当神社に参拝の際は、是非とも横山神社にも参拝いただきたく思うのである。
八幡八雲神社について
八幡八雲神社 概要
- 所在地 〒192-0063 東京都八王子市元横山町2丁目15−27
- 電話番号 042-623-0720
- 主祭神 誉田別命、素盞鳴尊
- 創建年 924年(延長2年)
- 社格 郷社
- 公式HP http://www.hachiman-yakumo.or.jp/index.html
八幡八雲神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR中央線「八王子駅」徒歩10分
駐車場
- あり(無料)
八幡八雲神社の創建
八幡八雲神社は、その名の通り、八幡宮と八雲陣神社を合祀した神社だ。それぞれにご紹介しよう。
八幡神社
八幡神社の創建は延長二年(924年)、武蔵盛隆泰が国司の時、この地へ石清水八幡宮を勧請し、国土安全を祈願したのが起源とされている。
その後、隆泰の長子、小野義孝は武蔵権之守に任ぜられて当地に来り、父の遺志を継いで八幡宮を再建し、任期が満ちたので此地に永住することとななる。この小野義孝こそが、後の横山義孝である。
八雲神社
社伝によると、、、
八雲神社は、平安時代の延喜16年(916年)、京都の学僧「妙行」によって深沢山の頂上に牛頭天王を祀る神社として創建されたと伝わる。
天正年間、北条氏照が深沢山に八王子城を築城。八王子城の守護神として崇敬されたという。
天正18年(1590年)落城の時、城兵はご神体を持って川口村黒沢の地に密かに逃れ、北条方残党の氏神として崇敬していったらしい。
その7年後、ご神体が大洪水のために流失し、板谷ヶ淵に漂着。暗闇に光を放ち現れたご神体を、五兵衛という百姓が発見し、自宅の土間の臼の上で祀った。
その後、夢の中に不思議な神託を受け、八幡の社内に合祀した。
と、伝わる。
八幡八雲神社の祭神
八幡宮の祭神・・・「誉田別命」
「誉田別命」とは、すなわち「応神天皇」である。天照大神と同様、皇祖神の位置づけにある唯一の天皇である。
一説には、応神天皇は実在する初代の天皇であり、それ以前の天皇は架空の人物であるとも、また一説には、現在の皇統の初代が「応神天皇」で、それ以前の天皇は別系統であるとも言われている。
八雲神社の祭神・・・「素戔嗚尊」
先の由来書にある「天王様」とは「牛頭天王」、すなわち「素戔嗚尊」である。
ご存知の通り天照大神の弟で、兄の月読命と合わせて「三貴神」と言われている。伊弉諾尊が禊払を行った時に生まれた神である。
「牛頭天王」は釈迦生誕の地とされた祇園精舎の守護神で、神仏習合によって「素戔嗚尊」の本地仏とされた。
京都の感神院祇園社(現:八坂神社)から全国に勧請され、村々の祇園社や天王社で祀られていくこととなる。
明治維新後、王政復古の大号令のもとに「神仏分離政策」が実施されたとき、ほとんどの神社が牛頭天王から素戔嗚尊に神名称変更を行ったと聞く。
八幡八雲神社のご利益
「誉田別命」・・・武運・開運・厄除・家内安全・交通安全・安産・学業成就
「素戔嗚尊」・・・国土安全・厄除・商売繁盛・身体健全・学問・縁結び
八幡八雲神社 参拝記録
八王子駅から徒歩圏内ではあるが、膝の傷みが再発したためやむなくバスを利用した。横山3丁目のバス停を下車。少し戻って「郵便局」前の交差点を北上すると、ほどなく神社が見えてくる。
時間は午後3時。神社参拝にはリミットの時間帯だ。おのずと足取りも速くなるというものだ。こんな時は不思議と膝も痛くない。
朱色の鳥居である。そこから本殿に向かって真っすぐに内参道が伸びる。
空が抜けるように青い。
拝殿が見える。あまり見たことのないフォルムだ。三角が二つ並んでいる。まさに「八幡神社」と「八雲神社」の並列である。
左手に手水舎がありそうだ。参道の左側を進もうではないか。
気をてらうこともなく、極めて普通の手水舎である。安心感がある。
拝殿
拝殿内部
「八幡大神」「八雲大神」。神額が二つ掲げられている。神籬も二つ。
こういう場合、礼拝もそれぞれに行うべきなのだろうか。3秒考えた。結果、1回で済ますことにした。
二礼二拍手 天津祝詞 一礼。
チリンと鈴の音が聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。心にしみる音色だったのだが。。。
境内の北側に「横山神社」がある。
摂社:横山神社
この横山神社は、八王子開拓の祖であり横山氏の祖である「横山義孝」を祀る神社である。
横山氏率いる横山党は、武蔵七党の一つに数えられるほどの大勢力を誇っていた。
しかし、鎌倉時代に起こった和田合戦において、和田氏とともに北条に謀反を起こし敗戦。横山氏は滅亡した。
実は横山神社は、代わりにこの土地を与えられた大江広元によって創建された神社だ。
滅亡した横山氏の開祖「横山義孝」を祀る神社を創建することで、和田合戦で戦死した横山党の人々の御霊を鎮めようとしたのだろう。
御神木
この横山神社の左手前に、ご神木が2本聳え立っている。この御神木と横山神社。この境内で最も強いパワーを感じることができる。
どんなパワー?
よそ者を寄せ付けない、守りのパワーを感じた。
八幡八雲神社は東八王子の地主神であると言われているが、実際に八王子を守っているのは「横山神社」ではないだろかと思う。
こちらできちんと挨拶することが、八王子での仕事を成功させる第一歩であると感じた。
末社群
境内の北東角に鉄柵で囲まれた末社群がある。
- 永寿稲荷神社・赤星稲荷神社・・・倉稲魂神
- 厳島神社・江島神社・・・市杵島姫命
- 恵比寿大黒社・・・事代主命・大己貴命
社の前まで進めないのが残念である。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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