難波神社|大阪|摂津国の総社に、浄化のパワースポットが存在した!

2016年10月24日

img_20161018_132709_r

難波神社は、大阪市中央区博労町にある神社である。

ルイヴィトンやシャネル・ジョルジュアルマーニなどがある御堂筋の「新町」交差点から北へ5分~10分程度の場所であろうか。

摂津国の「総社」であり、「難波大宮」とか「平野神社」とも呼ばれていたらしい。

博労町は、馬や牛の仲買人たちが集まる、今で言えばカーディーラーが集まる場所もしくは自動車オークション会場といったところだろうか。

だからというわけでもなかろうが、当社の前にフェラーリのショールームがある。

広告

難波神社について

難波神社 概要

  • 所在地   大阪府大阪市中央区博労町4丁目1−3
  • 電話番号  06-6251-8000
  • 主祭神  仁徳天皇・素戔嗚尊
  • 創建年    反正天皇の御代
  • 社格   府社
  • 公式HP   http://www.nanba-jinja.or.jp/

難波神社 アクセス

MAP

最寄り駅

  • 地下鉄御堂筋線・長堀鶴見緑地線「心斎橋駅」徒歩5分。
  • 地下鉄御堂筋線・中央線「本町駅」徒歩5分。

駐車場

  • あり(無料) 境内に駐車することとなる。

難波神社の創建

仁徳天皇の御子である「反正天皇」が、柴籬宮(現在の松原市民情報ライブラリーの近く)に宮殿を造営されたときに、父である「仁徳天皇」を偲んで、柴籬宮に創建したのが神社が起こりとされる。

その後、943年に「朱雀天皇」の勅により、大阪の大江の平野町に遷座。

さらに、豊臣秀吉公によって、現在地に遷座された。ここだけでなく、大阪市内の多くの神社が大阪城築城と城下町の造営のために動かされた。

これが豊臣家滅亡の要因の一つかも、、、と私は密かに推察しているのだが、、、

難波神社の祭神

祭神は、前述の通り「仁徳大神」である。合わせて「素戔嗚尊」を祀っている。

難波神社のご利益

聖帝と謳われた仁徳天皇のイメージらしく「平穏安寧」、素戔嗚尊のご神徳として「厄災除け」「諸願成就」とされている。

また、摂社の博労稲荷神社の存在感も大きい。難波神社のことを「稲荷社」「稲荷神社」として記載されている古文書も多いと聞く。

金運・商売繁盛・事業成功を祈願される方は、境内社の博労稲荷神社にもご参拝されたし。

スポンサーリンク

難波神社 参拝記録

淀屋橋から難波方面へ、御堂筋を南下する。御堂筋は南下しかできないのだが。

途中、真宗大谷派の南御堂がある。通りの北には北御堂があり、その南北の御堂を通っている大通りであるから「御堂筋」。

幅30mの大通りは、大東亜戦争の頃には軍機の滑走路として利用するイメージもあったと聞く。

鳥居

img_20161018_131409_r

これは、御堂筋に面した鳥居である。いわば東門。正面玄関は南の鳥居であるからして、南側に回り込もうではないか。

img_20161018_131554_r

この南鳥居の向かい側に、フェラーリとベントレーの代理店があるのである。スーパーな車が数台展示されている。艶やかで美しい。さすがは博労町。

それはさておき、、、

手水舎

鳥居をくぐると左手に手水舎がある。

こちらの手水舎は、ちゃんとしたというか、水口・水盤・柄杓がある、極々普通の手水舎である。

豊國神社・坐摩神社の手水舎が現代風であったので、ほっとする。

あまりのうれしさに撮影するのを忘れたようだ。鳥居の左に少しだけ写っている。普通であるのがお分かりいただけるであろう。

拝殿・本殿

img_20161018_132709_r

拝殿・本殿は、大阪大空襲で焼失したため、コンクリート造りである。

階段途中の三角の印は、「神域であるから、ここに座り込むな!」という意味のアラート。

座り込む輩がいるということなのだろう。大阪らしい。

拝殿内部

img_20161018_132627_r

さて、私の前で2名の若いOLさん(会社の制服を着ていたので、きっとOLさん)が熱心に祈願されていた。

そして祈願されたあと、私が待ってることに気が付いた彼女たち、「お待たせしました~!」と言って会釈をしてくれたのである。すこぶる嬉しかった。

誤解のないように申し上げておこう。若い女性から言われたから嬉しいというわけではないのである。「日本人、まだまだ捨てたもんじゃないな。」と思ったから嬉しかったのだ。

正直なところは、若い女性だったから余計にうれしかったというのも否めない事実として存在する。おそらくは20%ぐらいは嬉しさが増加したと推察される。

というわけで、拝殿前に進み、二礼二拍手。天津祝詞。一礼。

境内社

十四柱相殿神社

手水舎の向かい側、境内の南東の隅に、「十四柱相殿神社」が鎮座する。

img_20161018_131805_r

一つの屋根に、三つの神殿が収められており、十四柱の神々が祀られている。

  • 左・・・豊臣秀吉公・菅原道真公・楠正成公・徳川家康公
  • 中央・・・豊受姫大神・天照皇大神・應神天皇
  • 右・・・水波能女大神・春日四柱大神・猿田彦大神・迦具土大神

を、それぞれ祀っているそうだ。なかなかに窮屈ではなかろうかと思うのだが。

境内の南西の隅には、「神池」を囲む形で庭園が設えてある。

img_20161018_131903_r

奥の、丸い穴の開いた石柱、遥拝所っぽい造りであるが、何であろうか。謎である。

パワースポット 金刀比羅神社

img_20161018_132105_r

先の庭園の横に金刀比羅神社が鎮座する。

こちら、神前に立ったらわかるのでだが、力強いパワーが押し寄せてくる。はっきりと。ドーンと押される感覚だ。そして脳みそが肥大するのである。

浄化のパワースポットと申し上げておこう。

さもありなん。祭神は、讃岐の金刀比羅宮から勧請された大物主神である。

ではご利益はというと、讃岐では「航海の安全」を守護する神とされているが、大和国一之宮である「大神神社」では、開拓開墾・国家経営などに強力なご神徳をお持ちだとしている。

会社経営や新規事業・新規プロジェクトなどに携わる方は、都心で参拝しやすい立地でもあるので、是非とも訪れて頂きたいパワースポットである。

博労稲荷神社

本殿の左横に、ひときわ華やかな「博労稲荷神社」が鎮座する。

赤字の扁額。綺麗である。

img_20161018_132123_r

のぼりの数がすさまじい。さすがは商人の町である。

img_20161018_132152_r

これが、かつて難波神社の代名詞とも言われた「博労稲荷神社」である。

img_20161018_132318_r

江戸時代から明治にかけて、ここらあたりの豪商たちが、こぞってお詣りしていたんだろうと思うと、あやかりたいという欲望にかられるのだが、謙虚に参拝しようではないか。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

スポンサーリンク