丹比神社|大阪|たくさんの神様が祀られている多治比の氏神様
丹比神社は、堺市美原区多治井にある神社で、延喜式神名帳に河内国丹比郡の条に記載ある古社である。
堺市だから和泉国ではないかと思われるが、堺市美原区になったのは最近のこと。もともとは南河内郡美原町だった。なので、かつては河内国だったわけだ。
住宅地の中でありながら広々とした境内を持つ、神気漂う神社である。
丹比神社について
丹比神社の概要
- 所在地 大阪府堺市美原区多治井157−1 丹比神社
- 電話番号 072-361-0616
- 主祭神 火明命
- 社格
- 公式HP http://www.tanpijinjya.com/
丹比神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 南海高野線「萩原天神前」徒歩40分
- 近鉄南大阪線「河内松原」から近鉄バス「余部」行に乗車。「下黒山」下車2分。
車でのアクセス・駐車場
- アクセスはちょっとだけ難しい
- 駐車場あり(境内乗り入れ)
丹比神社の祭神
祭神はご祭神は、火明命、瑞歯別命。
火明命
天照大神の子である天忍穂耳尊と、高木神の娘である万幡豊秋津師比売命との間に生まれた子。天孫降臨で有名な瓊瓊杵尊の兄である。
尾張氏・津守氏 ・ 海部氏、丹波氏など多くの有力氏族の祖神とされているが、当地を支配した丹比連も火明命を祖神と仰ぐ氏族の一つとなっている。
瑞歯別命
第18代反正天皇のこと。第16代仁徳天皇の第三皇子で、兄の第17代履中天皇の跡を継いで即位した天皇。歯並びが大変綺麗な人だったので瑞歯別と名付けられたといわれている。
合祀
菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命を合祀している。
一方で、宣化天皇、上殖葉皇子、十市王子、多治比古王、多治比真人を合祀しているという情報もある。
この部分の理解は、次の丹比神社の創建と歴史で私見を述べることとする。
丹比神社の創建
創建年代は定かではない。承和14年(847)12月従五位下を賜るがゆえに、平安初頭には存在していたのは確かであろう。
以下、想像するに、、、
反正天皇の御名代として丹比部が設置された地域を統括したのが丹比連であったことから、丹比連の祖神であるところの火明命を祀ったのが始まりか。 (丹比連・・・神別:天孫 火明命之後也)
その後、宣化天皇の子孫である多治比真人の支配地となったので、その祖神であるところの宣化天皇・上殖葉皇子・十市王子・多治比古王、そして多治比真人(初めて真人の姓を賜った多治比嶋のことか)が祀られるようになったと考える。( 多治比真人・・・皇別:宣化天皇皇子賀美恵波王之後也 )( 賀美恵波王 = 上殖葉皇子 )
その時点で、一旦、火明命は廃祀されていたかもしれぬが、宣化天皇の母親「目子媛」が尾張氏出身であったことから、尾張氏の祖神を粗末にすることなく引き続き祀った可能性も無くはない。
がしかし、
明治12年の神社明細帳は、祭神を瑞歯別命・稚松天神としており火明命は見えない。
南北朝の争乱で衰退していったらしいから、祭神も忘れられていったのかもしれぬ。
その後、いろいろとあっただろうが、明治40年に近隣の神社を当社に統合することになり、
真福寺の櫟本神社
丹上の菅原神社
小平尾の清水神社
野の日吉神社
河原城の菅原神社
などが合祀された。
菅原道真公、大山祇命、伊邪那岐命、伊邪那美命、凡河内倭女姫命は、これら近隣神社の祭神だと思われる。
丹比神社の参拝記録
神社は住宅地の奥にある。ナビは住宅地で案内をやめたので戸惑ったが、直感的にわかると思う。
がしかし、念のため地図を付けておこう。
逆にわかりにくいか。。。
駐車スペースに車を停めたら、鳥居前まで行こう。
鳥居に立ち、東を見ると、、、
長い長い参道が伸び、その先に見えるのが一の鳥居で、その先には二上山が。当社が東向きに鎮座するのは、二上山と関係があるのやもしれぬ、、、
二の鳥居
二の鳥居からも真っすぐに伸びる参道。
一礼して鳥居をくぐる。
当社は、私が見たところ境内社は無い。すべての神が本殿に合祀されているようだ。
よって、真っすぐ本殿に進むこととする。
拝殿
全体的にシンプルで、控えめな千鳥破風がアクセントとなっている可愛らしい拝殿である。
拝殿内部
とても広々とした拝殿だ。拝殿内も実にシンプル。余計なものは一切ない。
幣殿と本殿扉
錦の御旗と四神の御旗が建ち並ぶだけのシンプルな神前である。実に好ましい姿だ。
二拝二拍手一拝。。。
本殿
覆屋に完全防御されているため、神殿を見ることができない。
本殿裏に見える大楠は樹齢1000年を超えるというご神木だ。立入禁止になっているため、大楠まで行くことができないのが残念である。
産湯井戸
反正天皇(瑞歯別命)が産湯に使ったという井戸。
記紀によると、反正天皇は淡路宮で生まれたと記載されている。淡路宮が淡路島にあった確証はないものの、当時の仁徳天皇(父)の活動範囲を見ると、淡路島である可能性が高いと感ずるが、、、
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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