大坂山口神社(逢坂)|奈良|室町様式の本殿が残る山口の神

2021年1月20日

奈良県香芝市逢坂の集落内に鎮座する大坂山口神社は、延喜式神名帳に「葛木郡 大坂山口神社大 月次新嘗」と記載される大坂山口神社の論社となっている古社である。

論社というからには、他にも候補があるということ。もう一社は香芝市穴虫にある大坂山口神社だ。そちらはまた別にレポートしたいと思う。

当社の本殿は檜皮葺きの三間社さんげんしゃ流造ながれづくりで、室町時代の建築様式を残している。よって奈良県指定文化財となっている。

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大坂山口神社(逢坂)について

大坂山口神社(逢坂) 概要

  • 所在地    奈良県香芝市逢坂5丁目831
  • 電話番号   0745-77-5069
  • 主祭神    大山祇命・須佐之男命・神大市姫命
  • 社格     式内大社(論社)
  • 公式HP    

大坂山口神社(逢坂) アクセス

MAP

最寄り駅

  • 近鉄大阪線 二上駅 徒歩6分

車でのアクセス・駐車場

  • 道路幅極めて狭い
  • 駐車場なし

神社までの道路は極めて細い。途中で切り返しもできず。

よって、神社の北方130mにある逢坂5丁目公園の駐車場に停めるのがよろしいのではないか思う。歩いて3分の距離だし。

大坂山口神社(逢坂)の創建

創建年代は定かではない。

社頭の説明によると、崇神天皇9年、黒盾八枚、黒矛八竿をもって祀られたのが始まりとしている。これは日本書紀の記述によるもの。

10代崇神天皇は、疫病厄災による国家的危機に面して、大物主神をはじめとする天神地祇の祀りを執り行い、その総仕上げとして大和の西の出入り口に大坂神を祀り、東の出入り口に墨坂神を祀った。

ちなみに、日本書紀の各記事に記載されている干支の時系列から単純計算した場合、崇神9年は紀元前89年となるらしい。となれば、紀元前89年が創祇となるのだが、日本書紀は日本の歴史を引き延ばした形跡があるので、紀元前89年というのはどうだろうか、、、

創祇の年代はともかくとして、当地における創祇の目的が疫病除けであることは、心に留めておかねばならない

さて、史書では、日本三代実録の貞観元年(859年)正月27日の条に、正五位下の神階を賜ったことが記されているのが初見。

また同じ貞観元年(859年)の9月8日の条に、風雨祈願の幣が奉られたとの記事が掲載されている。

これが当社がを指すか、穴虫の大坂山口神社を指すかは定かではない。

よって、創祇は上古の時代、遅くとも平安初期には神社として創建されていたことは間違いなかろうと思う。

大坂山口神社(逢坂)の祭神

祭神は、大山祇命おおやまつみのみこと須佐之男命すさのおのみこと神大市姫命かむおおいちひめのみことの三柱である。

大山祇命

古事記によると、イザナギ・イザナミの神生みで生まれた山の神。
日本書紀では、イザナギが火の神「カグツチ」を斬ったときに生まれたとしている。

大和国には14の山口神社がある。これは皇居のための材木を切り出す山に、山の神である大山祇命を祀ったもの。よって、当社の祭神が大山祇命であることは至極当然なのである。

現在、大山祇命が祭神にない山口神社もあるが、創建当初は大山祇命だっただろう。

須佐之男命

イザナギが禊を行った時に生まれた三貴神のうちの一柱。あとの二柱とは、天照大神と月読尊。

当社に須佐之男命が祀られている由縁はというと、、、

実は当社も、中世においては大山祇命を祀っていなかったという。当時流行していた祇園信仰、すなわち、疫病除けの仏教系の神である牛頭天王を祀る神社に変貌していたのだ。

しかし、幕末から明治維新にかけて吹き荒れた神仏分離・廃仏毀釈・国家神道の思想の中で、牛頭天王を同じ神格を持つとされた須佐之男命に変更した。

これが、当社に須佐之男命が祀られる由縁である。

そもそも崇神天皇が大坂神を祀った理由が疫病除けであったとするならば、中世に牛頭天王が祀られていたことも、それはそれで至極当然のことと感ずる。

神大市姫命

古事記に登場する女神で、大山津見神(=大山祇命)の娘である。

須佐之男命の妃となり、大年神(穀物神)と宇迦之御魂神(稲荷神=穀物神)を生んだとされることから、神大市姫命も穀物神の神格を持つと考えられる。

前の2柱の祭神に縁ある神であることから祀られているのだろうと推察する。

大坂山口神社(逢坂)のご利益

今や、当地の鎮守の神様としての家内安全や招福開運、そして、創祇の主旨であるところの疫病除けや病気平癒のご利益を頂けるものと信ずる。

 

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大坂山口神社(逢坂) 参拝記録

奈良での商談の帰りに寄り道することにした。ネット情報によると境内の北側に駐車場があるとのこと。よし!

中和幹線からキリン堂の駐車場に入ってトイレを借り、一路集落の中へと突っ込んでいく。道路が狭いぞ。境内の北側に回り込みたいが、車が入れそうな道がない。直進しか選択肢がない。

しかし行く手を見ると、、、もう、無理だ。Uターンも不可能なので、バックでじわじわと後退。歩行者が迷惑そうな目で私を見る。

ネット情報はあてにならないなーと怒りながら調べ直すと、なんと私が見ていたのは穴虫の大坂山口神社の記事だった、、、そして、逢坂の大坂山口神社には駐車場がないことが判明。

キリン堂と神社の中間地点にある逢坂5丁目公園の駐車場に駐車することにした。

社頭

公園の駐車場からだと、神社の背後から近づくことになるので、通り過ぎで正面へ回り込む。

やっと着いた、、、

式内大社の論者だけあって、どっしりとした構えである。

一礼して鳥居をくぐろう。

拝殿

参拝日は、令和3年1月5日。迎春の出で立ちである。

二拝二拍手一拝。

本殿

拝殿の横からのぞいたり、いろいろと試みたが、室町期の様式を残す本殿とやらは、結局は見ることが出来なかった。

この画像は、本殿の斜め後ろを境内の外から撮影したもの。

前置きばかりが長くなって、参拝記録が貧弱なものになってしまったことをお詫び申し上げたいと思う。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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