天湯川田神社|大阪|製鉄部族の守護神か
天湯川田神社は、大阪府柏原市高井田の小山に鎮座する神社。延喜式神名帳に小社として記載ある式内社である。
当社が鎮座する小山には、かつて河内六寺に数えられた鳥坂寺があった。
六寺とは、柏原市にあった智識寺・山下寺・大里寺・三宅寺・家原寺・鳥坂寺。孝謙天皇が難波宮へ行幸の途中で智識寺南行宮に宿泊し、4日かけてこの六つの寺を巡礼したと続日本書記にあり。
古くからの聖地であると申し上げておこう。
天湯川田神社について
天湯川田神社 概要
- 所在地 大阪府柏原市大字高井田89
- 電話番号 072-978-6428
- 主祭神 天湯川田命、他
- 社格 式内社 村社
- 公式HP なし
天湯川田神社のアクセス
MAP
最寄り駅
- JR大和路線「高井田駅」徒歩10分
- 近鉄大阪線「河内国分駅」徒歩15分
駐車場
- なし
天湯川田神社の祭神
祭神は、天湯河桁命、天児屋根命、大日霊貴命の三柱。
天湯河桁命(あめのゆかわたな)
亦の名を天湯川田神(あめのゆかわた)、天湯川板拳(あめのゆかわたな)、天湯川田奈命(あめのゆかわたな)とも書く。
角凝魂命の3世孫で、鳥取連の祖神。
当地は古代、鳥坂郷という地名で、東隣の青谷あたりが鳥取郷だったらしい。
鳥取連の祖とされる由縁は次の通り。
垂仁天皇の皇子、誉津別皇子(ほむつわけ の みこ)は30歳になって鬚が生えても言葉をしゃべらず、子供のように泣いてばかり。
そんなある日、白鳥を見て「これは何?」と片言を発した。天皇は白鳥を見てしゃべることができたのだと喜んだ。そこで天湯河板挙に白鳥を捕まえるように命令した。
天湯河板挙は出雲国まで追いかけて白鳥をつかまえ、天皇に献上した。
誉津別皇子はその白鳥と遊ぶうちに、しゃべることが出来るようになったので、その報賞として、姓を与えられ「鳥取造」と名乗ることとなった。
角凝魂命(つのこりむすひ)はメジャーな神ではないが、八咫鏡を造ったという石凝姥命(いしごりとめ)の「凝」が通じる。一説には凝は銅の古語とも。
そのようなことから、角凝魂命は金属精錬に係る神ではないかといわれており、その3世孫の天湯川田命もしかりである。
近隣に、金山彦神社・金山媛神社・鐸比古神社など、金属精錬に関する神社が点在することからも、当地には鍛冶に係る氏族が居住していたことが判る。
一方で、湯川(ゆかわ)=「禊をするの適した水温の高い河口」とし、桁(たな)=「簡易な住居」とし、「禊のために神の訪れを待つ女神」を人格化したのが天湯川桁命で、上の逸話は天湯川桁命が白鳥を追って各地の禊場を探したという話であるとする説もある。
であれば、融解して取り出した熱々の金属をば、水で急速に冷やす「水鋼」の行程を踏んだ時、その水は湯になるであろう。その「湯川」の方がしっくりくると、私などは思うのだが、これは素人の思い付きであるからして信用するに非ずである。
天児屋根命
天岩戸隠れで天照大御神を引き出すための祭祀を司った神。祝詞の神とされ、後世、朝廷の祭祀一切を司ることとなった中臣氏の祖神とされている。
枚岡神社・恩智神社に祀られる。河内には馴染みの深い神と言えよう。
大日孁貴命
天照大御神のこと。「大:おお」=尊称で、日孁:ひるめ=日の女神、貴:むち=高貴な、ということで、大いなる貴い日の女神となる。
天湯川田神社の創建
神社の由緒書に、
景行18年、勅命にてこの地に宮柱を建て神地、神戸を定めた
とある。西暦90年前後のことらしい。
当地から北へ1~1.5kmほどの太平寺や大県で、5世紀から7世紀の鍛冶関連の遺物が発見された。かなり大規模なこのことから、渡来系鍛冶集団が5世紀ごろに移住してきたと考えられるという。
それが鳥取氏だとすると、その氏神を祀ったと思われる時期は早くとも5世紀となろう。
現鎮座地には鳥坂寺があり、鳥取氏の氏寺だったという。氏寺と氏神がセットで建立されたとするならば、神社の創建は鳥坂寺の建立と同時期すなわち7世紀後半と考えられる。飛鳥時代の後期だ。
その当時の鎮座地は定かではない。現在の場所に遷座したのは、鳥坂寺の塔が廃絶された後のことだから、10世紀ごろとなろうか。
天湯川田神社 参拝記録
大阪から奈良に向かって国道25号線を走る。大和川右岸の堤防沿いを軽やかに走行し、柏原市役所を通り過ぎた800mぐらいに「天湯川田神社下り」という信号が見えてくる。実にわかりやすい。
そこを山側に降り、踏切を越えて左折すると前方に鳥居が見えるだろう。
駐車場
そのまま線路沿いの道に入ると、すぐに屋根付きのガレージがある。がしかし、このガレージは月極の駐車場だ。決してここに停めてはいけない。
そのままガレージを通り過ぎ、奥の住宅地でUターンをかまして、そのガレージ手前まで戻ってくるのだ。そしてブロックにビタ寄せで路駐した。
社頭
ここからちょっとした登山だ。途中、蜘蛛の糸が顔にまとわりついてきた。少々注意が必要だ。
あともう少し
鳥居と青空。こういう景色はいつ見ても心が落ち着く。
頂上に到着。
一の鳥居
やっとここで一の鳥居。
梅雨前の晴天。抜けるような青空が眩しい。
拝殿
案外と広い山頂である。
ここには、かつて方墳があったらしい。そこを削って鳥坂寺が建立され、、、
この小山は、奈良から流れてきた大和川と南河内から流れてきた石川が合流する地点を上から眺めるにピッタリの場所である。
大和川を挟んだ対岸には国分寺や河内国府もある。水運、陸運の要衝であり、かつ政治経済の中心地を監視する絶好のロケーションとも言えよう。
本殿
朱塗の流造り。イメージと少しく違うと感じた。
境内社
本殿の右に境内社が3社。
右から、社名と説明書きを列記すると
- 平戸明神社・・・幸福の神。天皇行幸時に祀られた神様。
- 山王権現社・・・学問の神様。近隣住民が小石に願いを書いて祈願した。
- 古野明神社・・・母の愛。本社祭神の母神様。
なかなか、個性的な紹介文である。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません