花園稲荷神社|上野公園|穴稲荷と縁結び。上野随一のパワースポットだ。
花園稲荷神社は、東京都台東区上野公園に鎮座する稲荷神社である。隣には、医療の祖神を祀る五條天神社がある。
いずれも独立した神社で、どちらかがどちらかの境内社というわけではないが、五條天神社の宮司さんの兼務社となっている。
境内には、もう一つの稲荷社が祀られている。それこそが、元宮「穴稲荷」。花園稲荷神社の歴史をうかがわせるパワースポットだ。
花園稲荷神社について
花園稲荷神社 概要
- 所在地 東京都台東区上野公園4−17
- 電話番号 03-3821-4306
- 主祭神 倉稲魂命
- 創建年 不明
- 社格 なし
- 公式HP なし
花園稲荷神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- JR「上野駅」徒歩10分
- 京成「京成上野駅」徒歩5分
駐車場
- あり(上野公園駐車場)
花園稲荷神社の祭神
祭神は、「倉稲魂命」(うかのみたまのみこと)。
古事記では「宇迦之魂命」と書く。「うか」とは食物の意。よって食物を司る神である。
伏見稲荷大社の主祭神であり、その分霊方法が簡易なため、全国各地に勧請されていくことになる。会社や工場に「稲荷社」が「屋敷神」として祀られているのはそのためだ。
現世利益を頂けるということで、五穀豊穣だけでなく、様々なご利益を頂ける神として信仰を集める。
花園稲荷神社の創建・歴史
創建年代は不明であるが、いくつかの伝承がある。
- 太田道灌が、京都の東寺の門前から勧請(室町時代)
- 天海が勧請(江戸時代初期)
- 天海の弟子晃海により再興された(1645年)
- 上野大仏を建立した木食浄雲が再興した。(1660年ごろか)
いずれにしても、何処かからの勧請によって江戸初期までに創建されており、一旦衰退したが、1650年前後に再興されたということのようだ。
穴稲荷神社と狐穴
その再興された稲荷社は正式名称を「忍岡稲荷神社」という。
この頃、寛永寺の拡張によって上野の森は伐採されていた。
そんな折、上野山に棲みつく狐からの「棲家がなくなってしまった。何とかしてほしい。」という嘆願を受けて、丘の崖に狐穴を掘ってあげたらしい。
その穴の上に鎮座していたことから、 「忍岡稲荷神社」 は通称「穴稲荷神社」と称された。
江戸時代の名所図会にも「穴のいなり」として描かれている。
穴稲荷から花園稲荷へ
江戸時代が終わるとき、上野の寛永寺は徳川家旗本で結成された「彰義隊」と西郷隆盛率いる「官軍」との戦場と化した。
世にいう「上野戦争」である。
穴稲荷神社の前に寛永寺の「穴稲荷門」があったため、彰義隊は穴稲荷神社に立て籠もって官軍を迎え撃つ。
当然ながら、官軍は穴稲荷神社に向かって大砲を撃ち込むことになる。
穴稲荷神社は跡形もなく破却されてしまった。
しかし、それから5年後の明治6年。穴稲荷神社は、社殿等が整備されて再びよみがえることとなる。「花園稲荷神社」と名を改めて。
それは、このあたりが寛永寺の花畑であったことに因むという。
花園神社のご利益
倉稲魂命のご神格は食物を司る神であるからして、ご神徳は五穀豊穣・衣食住安心である。
しかしこちらでは、縁談・商談・就職等の願掛けにご利益があるという「白羽の矢」により、「縁結び」の神社として崇敬されている。
また「穴稲荷」の「穴」から子授け・安産祈願も。
花園稲荷神社 参拝記録
上野公園は広い。どこから入るかで花園稲荷神社へのアプローチは異なる。
オーソドックスな道順としては、上野公園の最南端「京成上野駅」側から公園内に入ることとする。
交番を右手に見ながら階段を上る。上った所の右手に、かの有名な西郷隆盛の銅像が見える。
がしかし、ここは左側の崖っぷちを通る歩道を進むのである。
しばらく歩くと、左に不忍池に浮かぶ弁天堂、右に清水観音堂が見えてくる。もうすぐだ。
そこから約100メートル歩くと、朱の鳥居が見えるはずだ。そこが裏参道への入り口となる。
裏参道ではあるが、朱の鳥居が連なる参道は人気が高い。記念撮影を行う外国人の多いこと多いこと。
ここを降りていく。
わりと長い鳥居の列である。
降りていく途中、上の画像でいうと、階段の手前の左手。フェンスの向こうを覗いてほしい。
謎の祠
小さな地味な祠が1つ、崖下方向を向いて鎮座している。いったいこの祠はなんなのか、
そして、どこからどのように参拝するのだろう。。。と思いながら階段を降りる。
※私は基本的に、下調べをせずに参拝する。よって、この時点では狐のことも穴稲荷のことも知らない。
拝殿
崖線の斜面に立つ拝殿。雰囲気はシャープな印象。
二拝二拍手一拝。
本殿は見えなかった。
穴稲荷神社(元宮)
花園稲荷神社の拝殿からまっすぐ南に歩くと「穴稲荷神社」の洞穴があるらしい。江戸名所図会を見ると、その穴の上に鎮座していたと思われる。花園稲荷神社の元宮ということになろう。
んっ。さっきの謎の祠はもしかして。。。
さて、この鉄の門扉を開けて中に入ることが出来る。写真撮影は禁止されているため、画像をご紹介することは出来ない。ご容赦願いたい。
ここは洞穴ではない。左は石垣で右は建物の外壁。洞穴のように感じるが、正確には建物と崖の間の隙間といった通路である。
通路に入ると3メートルほどで左に直角に折れ曲がる。
弥佐衛門狐の社
曲がると、洞穴の突き当たりに小さな祠が鎮座するのが見えた。
「弥佐衛門狐」の社とのこと。
「弥佐衛門狐」とは、上野山に棲みついていた狐達のボスらしい。
天海に棲家を確保してほしいと嘆願した狐とは、他でもないこの「弥佐衛門狐」だったのだろう。
穴稲荷神社
その「弥佐衛門狐」の社の手前の右側の壁に、さらにまあるく穴が掘ってあり、その前に拝所が設えられている。
丸い穴の中は暗くて見えなかった。
視線を上に向けると、、、
なんと!さっきの謎の祠が見えるようになっているではないか!。
そう。ここが穴稲荷神社の拝所で、あの謎の祠が穴稲荷神社だったのだ。
となると、まあるく掘ってある穴が「狐穴」だったということになろうか。
ここは怖いところ?
洞穴には窓が切ってあるが、薄暗い。そしてロウソクの灯が揺れている。
曲がり角から奥を見た時は、「怖いかも、、、」といった印象を受けたが、足を進めることが出来ないというレベルではなかった。
私が「前に進るむことが出来そう」ということは大丈夫なのだ。実際、奥まで入ると悪い印象は全くない。むしろ暖かい雰囲気を感じる。
この暖かく少し重い空気感は地中のせいか。それとも地主神のパワーだろうか。。。
最後に
ここは、まさに激戦の地。徳川に忠誠を誓った旗本たちがここを死に場所として戦った。それが武士の本望だったかもしれないし、そうでない人もいたかもしれない。
日本人たるもの、この場所で痛ましくも華々し散っていった、ラストサムライ達に思いを馳せつつ、心して参拝頂きたいものである。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません