兜神社|日本橋兜町|日本経済を支える商売の神
兜神社は、東京都中央区日本橋兜町に鎮座する神社である。
「兜町」と言えば、「東京証券取引所」。あたりには証券会社が軒を連ねる日本の金融・証券の中心地であり、世界の金融センターの一つに数えられる街だ。
兜神社は、そんな金融ビジネスを側面から支えているが如く、兜町の北の端っこにひっそりと鎮座していた。
兜神社について
兜神社 概要
- 所在地 東京都中央区日本橋兜町1-11
- 電話番号
- 主祭神 倉稲魂命、大国主命、事代主命
- 創建年 1871年
- 社格 なし
- 公式HP なし
兜神社 アクセス
MAP
[map addr="東京都中央区日本橋兜町1−12"]
最寄り駅
- 都営地下鉄浅草線「日本橋」徒歩7分
駐車場
- なし(近隣にコインパーキング多数あり)
兜神社の祭神
京都稲荷山の神石をご神体として倉稲魂命を祀る。そして、相殿として右に大国主命、左に事代主命を祀る。
言い換えると、稲荷神、大黒天、恵比寿神を祀るということになろう。
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
日本書紀に登場する神で、食物を司る神。古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)となっている。稲荷神とも。
古代氏族の「秦氏」によって京都東山連峰の稲荷山に祀られたのが始まりで、それが現在の伏見稲荷大社。
現在では商売繁盛の神として、全国津々浦々に祀られている。
大国主命(おおくにぬしのみこと)
素戔嗚尊の後を継いで葦原中国を平定した大王で、国津神の代表格。のちに、天津神に国を譲ることになり、その代わりとして大宮殿に祀られることになった。それが出雲大社だという。
後世、大黒天と習合。七福神の一柱となって、食物・財福の神として信仰を集めた。打出の小槌を持ち、大袋を担いだ姿が印象的だ。
事代主命(ことしろぬしのみこと)
大国主命の息子。国譲りを迫られたとき、「承知した」と言って隠れた。天津神に従ったからかどうか、現在でも宮中の御巫八神の一つになっている。
さて事代主はこのとき、美保が崎で釣りをしていたということから、海の神つながりで、自然信仰における海の恵みの神「エビス神」と習合。
七福神の一柱として、釣り竿を鯛を抱えた戎像となるわけだ。
このように出雲の神という印象が強い事代主だが、実は奈良県御所市にある「鴨都波神社」では田の神としての「八重事代主神」が祀られている。
兜神社の縁起
そもそもの創建については不明であるが、
1845年の江戸地図に、鎧の渡し付近に「鎧稲荷」と「兜塚」が描かれており、すでにこの時点でこのあたりの鎮守として信仰を集めていたようだ。
鎧稲荷には平将門公が、兜塚には源義家公が祀られていたとされる。
1871年(明治4年)、鎧の渡しと兜橋の中間あたりに遷すに際して、兜塚に宿る源義家の神霊を新築の社殿に遷し、かつ、鎧稲荷を合祀し。兜町の鎮守「兜神社」が誕生した。
1874年(明治7年)、祭神を変更することとなる。源義家公の祭祀を取りやめ、地主である三井家が信仰する三囲稲荷神社から大国主命と事代主命を勧請して合祀した。
1878年(明治11年)、東京証券取引所が設立され、氏子総代となる。
昭和に入り、2度の遷宮を経て現在地に鎮座。
兜神社のご利益
かつての鎧稲荷のころは、漁業関係者の信仰を集めていたとのことだが、現在では商業の発展のご利益以外の何ものでもなかろう。
兜神社 参拝記録
地下鉄浅草線「日本橋駅」を下車。地上に出てテクテクと歩く。このあたりには、郵便発祥の地とか銀行発祥の地だとかがあり、前もって調べてから訪れると見どころがたくさんあるようだ。いつもの如く、事前調査無しで訪れたのだが、今回ばかりは失敗したかも。。。
そうこうするうちに、目的地に到着した。
東京証券取引所
平日の午前中。もっと活気にあふれているのかと思いきや、人通りも疎らで何やら頼りない。
そらそうだろう。この時間は市場が動いているのだから。。。
兜神社全景
このように、小さい境内ながら樹木も茂っていて神域感がある。
社頭
石造りの神明鳥居。
「兜」神紋
兜石
これが兜石なのか、後ろの黒い岩が兜石なのかわからなかった。
冷静に考えると、歴史的価値のある石に「兜石」と刻むはずもなく、後ろの黒い岩がそれであると、今では確信している。
これも事前調査をしないが故の失敗である。
さて、兜石あるいは兜塚にはいくつかの謂れがあるが、どれも確証はないとのこと。
- 藤原秀郷が平将門公の首を打って凱旋の折、兜だけを埋めて兜山と名付けた。
- 源義家公の奥州征伐の折、この石に兜を掛けて戦勝を祈願した。
- 源義家公が奥州征伐からの凱旋の折、東夷鎮定のため兜を埋めて塚とした。
社殿
朱色が美しい、流れ造りの社殿である。二拝二拍手一拝。日本経済の好調と、株価の上昇を祈願した。
最後に
おそらく管理は証券取引所が行っているのであろう。当日も女性の方が丹念に社殿を拭き掃除しておられた。
神域としての特別な感じは受け取られなかったが、綺麗に清掃された境内は気持ちよく、また参拝したくなる神社であった。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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