東京十社|江戸巡拝は「ご縁」づくりの旅
東京十社の配置について
東京十社巡拝路程図のように、神社をつなげる線を引くと、東京十社は皇居を取り巻くように配置されているように見える。これを以って「結界が張られている」と見る向きもあろう。
ところが、マップを見るとよくわかるが、東京十社は皇居の東南北に配置されているものの西には配置されていないのである。
さらに詳しく見ていくと、
- 皇居を南北に挟むように3社ずつで6社、
- 北に離れて1社(王子神社)
- 南に離れて1社(品川神社)
- 隅田川の向こう側に2社(富岡八幡宮・亀戸天神社)
こうしてみると、3つの特徴が見えてくる。
- 西方には配置されていない
- 北と南に1社ずつ離れて配置されている
- 東の2社は川向こうに配置されている
准勅祭社十二社の配置について
そもそも准勅祭社は12社あった。東京十社以外の2社とは、府中の「大国魂神社」と、久喜の「鷲宮神社」である。
その12の准勅祭社をプロットしたのがこのマップ。
さて、ここで先ほどの3つの特徴について、紐解いてみようと思う。
(あくまでも私の妄想である)
西に配置されていない
西には「大国魂神社」が配置されていた。
霊峰富士からの龍脈を「大国魂神社」が一旦受け止め、皇居(江戸市中)へ流す。よって皇居の西は入り口として開けているのだ。
南北に離れて配置されている
また、北関東からの龍脈は河川に沿って流れ来る。「鷲宮神社」で受け止める。
そして勅祭社の大宮氷川神社を通り、隅田川沿いの「王子神社」を経由して江戸市中に流れ込む。
「品川神社」の役割はというと、目黒川の河口で、東京に充満した気が南方に漏れ出さないように押さえる役割である。
東は隅田川の川向こう
「王子神社」から隅田川沿いに流れ込む龍脈が流れ出さないよう、隅田川河口の守りを「富岡八幡宮」が、荒川の守りを「亀戸天神社」が担っているのだ。
江戸城の掘割と同じ?
かつて徳川家康公は、気の流れを江戸城内に引き込むために、河川の流路を変え、さらに江戸城の堀を渦巻き状に掘ったと言われている。
明治天皇も、富士山からの西の龍脈と、日光からの北の龍脈を皇居に流し込むために最適な場所にある神社を准勅祭社に選定したのだ。。。
と。。。
以上、私の妄想にお付き合い頂き、誠に申し訳なく思う次第である。。。
本当は、東京に入る各街道沿いに、社格や由緒、社勢などによって選定されたのだろうが、それでは面白くない。妄想が始まると止まらなくなる。悪い癖。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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