白山神社|文京区|東京十社|復縁・商談成立など仲を取り持つ女神様が鎮座する
白山神社は東京都文京区白山に鎮座する、東京十社に列する神社である。ちょうど、皇居の真北に位置する。
こちらは、紫陽花で有名な神社。
6月には白山神社境内や裏の白山公園を中心に、3000株の紫陽花が咲き乱れる、文京あじさい祭が開催され、多くの見物客で賑わうという。
白山神社について
白山神社 概要
- 所在地 東京都文京区白山五丁目31番26号
- 電話番号 03-3811-6568
- 主祭神 菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冉命
- 創建年 948年
- 社格 准勅祭社、郷社
- 公式HP なし
白山神社 アクセス
MAP
最寄り駅
- 都営三田線「白山駅」徒歩3分
駐車場
- あり(境内)
白山神社の祭神
白山神社の祭神は、菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冉命の三柱。日本の神話に登場する神々である。
菊理姫命は古事記には登場しない。日本書紀の本文にも登場せず、一書として登場するのみ。
しかしそこには、この3柱の神が揃って登場する。
伊弉冉命が火の神を生んだとき陰部に火傷を負い、それが元で病気になり亡くなってしまう。
伊弉冉尊に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した。
しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、二人は口論となった。 そこに泉守道者が現れ、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った。
つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれを褒めて、帰って行った。
菊理姫命が何と言ったのか、また菊理姫命の出自などの記載は無い。だから謎めいていて、様々な憶測を生むのである。
その一つとして、、、
伊弉諾尊は「生きている者」、伊弉冉尊は「死んだ者」。死んだ者の言葉を生きている者に伝える。まさに、霊を口寄せするイタコのような「巫女」を神格化したものではないかとする説がある。
白山神社の創建と歴史
平将門の乱から8年後の948年、加賀国の一の宮「白山比咩神社」から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷1丁目)に白山神社が創建された。
その後、元和年間に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現:小石川植物園)に遷座。
さらに、明暦元年(1655年)には、そこに館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座。
その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、それ以来、徳川将軍家から信仰された。
明治初期には准勅祭社に指定された。
白山神社のご利益
菊理姫命は「括る神・結びの神」として、「縁結び」「復縁」「商談成立」など、仲を取り持つご利益が頂けるとする。
また、伊弉諾尊・伊弉冉尊は「修理固成の神」として、「商売繁盛」「受験」「家内安全」「新規事業発展」など、心願成就系のご利益を頂けるのである。
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白山神社 参拝記録
都営三田線「白山駅」を下車。エレベータ―で地上に出る。ちょうどそこに小さな公園がある。
その公園に沿って住宅地の中に入ると、突き当りに鳥居が見える。
住宅地である。これが東京十社に列する神社なのか。。。期待外れの感は拭えない。
と思ったが、それは大きな間違いであった。
鳥居をくぐると、さらに不思議な門が待ち構えている。バラ園の門のように見えた。
このあたりでも、???といった感じ。
あとから考えると、バラ園ではなくアジサイをモチーフにしたのかも。。。と。。
手水舎
これは雰囲気のある手水舎である。
鳥居周辺の雰囲気とは全く異なり、神域感がぐっと高まってきた。
こんな狛犬は見たことがない。黄金の目を持つ狛犬だ。
白山神社の拝殿
祭神は伊弉諾尊の禊につながる三柱である。天津祝詞を奏上しようではないか。
二拝二拍手一拝。天津祝詞。
白山神社の本殿
拝殿の奥に長い幣殿?があり、つながって本殿がある。白・濃茶・金のコントラストがとても美しい社殿である。
白山公園から見た本殿
手前の緑は全部アジサイ。本殿は石基礎の上に立っているため、とても高い位置にある。
関東松尾神社
拝殿に向かって左に「松尾神社」がある。
4日前に京都の松尾大社に参拝したばかりだ。これも縁なのだろう。拝殿前にネコが寝そべっていた。
内参道に並ぶ境内社
白山神社の拝殿前から境内の中央を内参道が通る。その東側半分がコインパーキングとなっていて、西側半分に境内社が並んでいる。
拝殿から近い順番にご紹介すると、、、
合祀社
富士浅間社・稲荷社・三峯社・玉津島社・天満天神社・山王社・住吉社を祀る合祀殿である。
謎の境内社
ズームで撮影したので、この大きさに写っているが、本当はかなり遠い所にある。柵に囲まれ、入口は竹で封じられているので神前まで行けない。
謎の祠である。
八幡社
その隣が「八幡神社」。
実は、白山神社が遷座してくる前からこの丘に鎮座していた、いわば地主神である。
おろそかにしてはいけないのである。
由来は、、、
源頼義と八幡太郎義家が、安倍氏討伐のため奥州へ赴任することとなる。(前九年の役)
奥州街道を進軍中、このあたりで戦闘となったとき、桜の木に源氏の「白旗」を掲げ、石清水八幡宮を勧請奉り祈願。この一戦に勝利した。
よってここに感謝の意を以って八幡神社を創建したという。
御神木 白旗桜
この桜木が「白旗桜」。
八幡太郎義家が御旗を立て祈願した時の桜の木ではなく、その若木を育てたものらしく、古木は社務所にあるという。
白旗桜の古木?
社務所前、手水舎横にも「白旗桜」があった。これが、その古木だろうか。
浅間神社・富士塚
本殿の右手に小山がある。
実はこれ墳丘らしい。現在は「富士塚」と呼ばれる。
この富士塚は通常時は立ち入り禁止。6月の「文京あじさいまつり」の期間だけ開放される。土曜日・日曜日を中心に賑やかなイベントも開催されるという。
この緑は全部アジサイ。これらが満開になった様子を想像した。これは6月に来なければならない。
富士塚の巨木
この幹をご覧いただきたい。恐ろしく太い幹を。
大地からのエネルギーを存分に吸い上げている様が見て取れる。
この木に触れて直にパワーを頂きたいものだが、門は閉鎖されている。遠くから眺めるのみだ。それでもパワーをビシビシ感じるから凄い!
最初の鳥居の右奥に、福受稲荷社があるらしいが漏れてしまった。
帰りは拝殿から南に伸びる内参道先にある階段を降りよう。
こちらが表参道と思われる。
階段を降りて振り向くと、こんな景色。鳥居が欲しい。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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