香椎宮|福岡市|開運・縁結び・不老水など香椎宮のパワースポットを一挙公開!
香椎宮(かしいぐう)は、福岡市東区香椎に鎮座する神社で、官幣大社に格付けされた権威ある神社であり、かつ仲哀天皇の「廟」でもある。
現在も、国内16社しかない勅祭社の1社であり、香椎宮は宇佐神宮とともに10年ごとに勅使が遣わされる。まさに九州の大社である。
今まで2ページに渡って香椎宮の本宮についてご紹介してきた。このページでは、香椎宮の裏手にある「古宮跡」、そして不老長寿の神水として有名な「不老水」についてご紹介していこうと思う。
あともうしばらくお付き合いいただければありがたいと存ずる。
香椎宮 古宮跡
香椎宮の本殿左奥に鎮座する、神宮皇后の第二の大臣を祀る「巻尾神社」前から丘を下っていく。
すると一旦は境内から出ることになるが、すぐ目の前に「古宮(ふるみや)跡」の看板を目にすることができるだろう。
その石段を上ると、すぐに見える玉垣で囲われた場所が「古宮大明神跡」となる。
ここがまさに住吉大神の託宣を聞いた場所「沙庭斎場」であり、朱色の垣内に生えている椎の木が、仲哀天皇の棺を立て掛けた「棺掛椎」だという。
▼それぞれの説明がなされた案内
古宮大明神跡
古宮大明神とは「仲哀天皇」のことを指す。平安末期あるいは鎌倉初期に、香椎宮から切り離され、大正4年まで、ここに摂社として祀られていたと説明書きにある。
神功皇后の香椎廟は伊勢神宮・氣比神宮・石清水八幡宮とともに「本朝四所」の一所にも数えられる大社。
一方、仲哀天皇は古宮大明神として裏山に。。。
やはり、哀れな天皇だ。
沙庭斎場(さにわ)
「神を招いてお告げを聞くための清浄な場所」のことを斎場あるいは沙庭という。
仲哀天皇が筑紫の訶志比宮に坐して、熊曽国を討伐しようとしていた時、神功皇后が神懸かりました。天皇は御琴を弾いて、建内宿禰大臣が「沙庭」に居て神のお告げを聞きました。
古事記
これが、古事記に「沙庭」が登場する最初である。そして、ここが、その清浄な場所なのである。
しかし、神功皇后に神が降臨し、武内宿禰命がお告げを受けるのだが、仲哀天皇はというと、琴を弾くのみ。そして「こときれる」。
哀れな天皇なのである。
棺掛椎(かんかけのしい)
厳重に門が閉ざされた古宮跡の中に、1本の木が生えている。「棺掛椎」である。
仲哀天皇の崩御は内密にされた。
神功皇后は「御飯の山」のご神木である「大槇木」(おおまきのき)で作らせた御棺に天皇の亡骸を入れ、「橿日宮」の椎の木に立て掛けた。
すると、あたり一面に香ばしい香りが漂ったという。
この椎の木を「棺掛椎」(かんかけのしい)と言い、香椎の地名の起こりとされている。
その後、下関に遷され、殯(もがり)を行うことになる。
さて、さらに石段を昇ることにする。
この林の中を進むと、、、
仲哀天皇大本営御旧蹟
仲哀天皇の大本営の跡と書かれてある。
西暦200年の当時に「大本営」という言葉が使われていたかどうかはどうでもいい。
仲哀天皇が、ここを拠点として熊曽征伐の指揮を執っていたという記念碑である。
どうも、ここだけは居心地が悪い。早々に退散することにしよう。
パワースポット 不老水
300歳を超えるという武内宿禰命の長寿の秘訣は、この「不老水」の効果と言われている。不老長寿の水、すなわち病気平癒の水とも言えよう。
不老水への道順
というわけで、古宮を後にして不老水へ。
意外に遠かったし、迷った。暑くてしんどかった。
というわけで、空撮(googleさん)で整理してみた。
左下が巻尾神社で、右上が不老水。
道順はというと、、、
- 境内摂社の巻尾神社の前を通り、坂道を降りて境外に出る。
- 出たところが、古宮跡。
- 古宮跡の左の側面を、山沿いに歩く。
- 山沿いに右にカーブすると小川が見えるが、小川沿いの道に入ってはいけない。
- 左にカーブしながら小川を渡り、真っすぐ進む。
- やや斜めの突き当りを右へ。
- また、突き当りを右へ
- 5mほど先の民家の角に看板が見えるだろう。左へ。細い道に入る。
- 到着だ。
私はかなり迷った。
パワースポット 不老水
近年、水量が落ちてきたらしい。あまり沢山汲んで帰らないよう自粛を呼びかける看板があった。
「念のため煮沸してから、、、」と書かれていたが、コップが置いてある。置いてあるからして飲んでみたくなる。
雑味がなく甘みを感じる。旨い!長生き出来そうである。
最後に
帰り道は香椎線に乗ろうと思う。
正面の鳥居を出て左に進むと、ほどなく駅が見えてくる。「香椎神宮前」だ。香椎宮ではなく香椎神宮。なぜ?
駅はすこぶる小さい。久しぶりに見る「単線」だ。
時刻表を見ると、行ったばかり。20分待ち。暑いホームでしばし待とう。
電車がやってきた。昔懐かしい音を響かせながら。頭から薄っすらと煙が出ている。。。オイルの匂いが鼻を刺激する。
これは電車ではない。大阪では私が幼少の頃に既に無くなっていたディーゼル車ではないか!しかも2両編成。ノスタルジックだ。
出張中の小旅行であった。
3ページに渡る、香椎宮の参拝記録もこれで終了である。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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