芝大神宮|芝大門|東京十社|縁結びならおまかせ!
芝大神宮は、東京都港区芝大門に鎮座する、お伊勢様をお祀りする神社である。
明治に入り天皇陛下が皇居に住まわれるようになったとき、首都圏の有力な神社12社を准勅祭社を指定した。当社はそのうちの一社となる。
現在は、その名残で「東京十社」の一つに選定された神社だ。そういう意味では、近世において国家から霊験あらたかな神社として認められた一社の一つと言えよう。
高いビルに挟まれた敷地にコンパクトに鎮座している。この景色を俯瞰で見ると、、、周囲のビル群が鎮守の森のように見えてくるから面白い。
芝大神宮について
芝大神宮 概要
- 所在地 東京都港区芝大門一丁目12番7号
- 電話番号 03-3431-4802
- アクセス JR山手線「浜松町」徒歩5分
- アクセス2 大江戸線・浅草線「大門」徒歩3分
- 駐車場 なし
- 主祭神 天照大神、豊受大神
- 創建年 1005年
- 社格 准勅祭社・府社・東京十社
- 公式HP http://www.shibadaijingu.com/
MAP
芝大神宮の創建・歴史
創建
1005年。一条天皇の御代のこと。飯倉山(現:芝公園)のふもとにあった「飯倉御厨」に神明社が創建されたことに始まるという。
創建地は、現在の増上寺の場所だった。
社名は神明宮、飯倉神明宮、日比谷神明などと称されたようだ。
本来は神饌を調理するための厨のこと。のちに神撰を調達する領地を指すようにもなる。
武士の信仰
源頼朝、足利尊氏、太田道灌、北条氏直など、東国の名だたる戦国武士がこぞって崇敬した。豊臣秀吉、徳川家康もしかりである。
しかし、1598年、増上寺の移設に押し出される格好で現在地へ遷座。
江戸時代の隆盛
増上寺の門前に位置することから参拝客が増え、東海道の江戸市中と市外の境目であることからも旅行者からの信仰を集める。
さらに、お蔭参りの伊勢参りが大流行したことで、金銭的・体力的な問題で伊勢まで行けない人々の参拝も。
このような参拝者の増加に伴って、多くの商店が立ち並ぶようになり、大層賑やかなエリアになったらしい。
このころからだろうか。芝エリアが町の体を成してきたころから、「芝神明宮」と称されるようになったという。
明治維新以降
明治元年、天皇が東京に奠都されると、畿内における二十二社の勅祭社に並んで、東京近郊の十二社を准勅祭社とした。芝神明宮もそのうちの一社に加わった。
日枝神社・根津神社・芝神明宮・神田神社・白山神社・亀戸神社・品川神社・富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・鷲宮神社
この准勅祭社の制度は明治3年に廃止され、芝神明宮は府社となる。
そして明治5年、正式に「芝大神宮」の社号を賜った。
昭和50年。かつての東京十二社から、遠方の二社を除いて十社とし、東京十社巡りという企画が実施され、現在に至る。
日枝神社・根津神社・芝神明宮・神田神社・白山神社・亀戸神社・品川神社・富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社
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芝大神宮の祭神
芝大神宮の主祭神は、伊勢の内宮・外宮の正宮に祀られる、天照大御神と豊受大御神。
相殿に、源頼朝公と徳川家康公を祀る。
天照大御神
伊勢の内宮に祀られる太陽を司る神である。
神話上、天照大御神の5代あとの「磐余彦」が初代天皇「神武」となることから、皇室の祖神「皇祖神」として崇められている。
神社庁が定めるところの、日本の総氏神であり、八百万の神のトップに君臨する。
豊受大御神
伊勢の外宮に祀られる食物を司る神。
内宮の天照大御神が「一人じゃ食べていけないから、豊受姫を呼んできて!」とおっしゃったため、丹後からやってきたという。意味不明である。
その他の合祀神
主祭神と相殿神のほかにも、かつての摂社・末社に祀られていた神々が合祀されているらしい。
江戸名所図会の飯倉明神宮の挿絵を見ると、春日、天王、大こく、住吉、八まん、いなり、すは、天神、いなり、不動、弁天、いなり、、などの摂末社が描かれている。
それぞれの祭神は、おそらく「天児屋根命」「素戔嗚命」「大国主命」「筒之男三神」「応神天皇」「建御名方命」「宇迦之御魂命か保食神」「少彦名命か菅原道真公」「市杵嶋姫命」だろう。
これらの摂末社は、境内の縮小や火災などによって、本殿に合祀されていったらしい。
他にも、伊邪那美命、事代主命、木花咲耶姫命、和加産毘命(豊受大御神の母)が合祀されているという。
芝大神宮のご利益
本殿に主祭神含めて21柱が祀られているのであるからして、およそ叶わない願いは無いのではないだろうか。
神社の一押しは、「縁結び」「恋愛成就」「夫婦和合」である。神前結婚式をメインにされているのだから。
また、宝くじ発祥の地とも。宝くじ売り場の人たちもジャンボが始まる前にはこちらに参拝されるらしい。「宝くじ当選」のご利益もあるかも。
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芝大神宮 参拝記録
浜松町駅からだと、東京タワーを見ながら増上寺に向かって(西向き)大通りを歩く。大門駅からだとA6出口から出る。
りそな銀行ビルと更科そば屋さんの間を右(北)に入っていく。1本目の四辻を左に曲がると正面に鳥居と石段が見えるはずだ。
駐車場は無い。近隣のコインパーキングを使用されたし。
大鳥居
大きな神明鳥居である。石段下に賽銭箱がある。こんなところに?と思ったが、しばらく見ていて存在意義が判明した。
多くのビジネスマンが、昼休みに、あるいは、近隣企業を訪れた営業マンが、その忙し気な足を止め、石段下から参拝するのである。ここに賽銭箱を置かずしてどこに置くというのだ。
さて、右側に映ってしまった黒い外車(アウディ)。あろうことか神前に路駐とは。このような輩は、不届き者の誹りを受けるべきであろう。
う~ん。やっかみである。。。
生姜塚
この眩いばかりに光り輝く黄金の文字。「生姜組」とか「生姜会」とかが似合いそうだ。
創建当時、飯倉神明社(芝大神宮)は今の増上寺の場所にあって、このあたりは生姜畑だったらしい。
その生姜を神前に供え、その御下がりを食べると風邪を引かないという評判が立ち、それ以降、例祭の期間には生姜が配られるようになったという。
現在も例祭には生姜市が開催されたり、生姜入り甘酒が販売されたりと、芝大神宮と生姜には浅からぬ縁がある。
塚というからには、生姜を神霊を弔うためのものなのだろうか。まあいい。
狛犬
おそろしく大きな角をもった狛犬。どうもこの角は不自然である。
調べたところ、、、
もともとの狛犬は1880年頃の作で、角も通常の狛犬と同様にコブ程度の角であったが、いつのころか継ぎ足された。
参考資料:liondogさんの「狛犬について 私が知っている2、3の事柄」
(すごく面白いHPです。根拠がきちんと示されているから、すべてにおいて腑に落ちていきますよ。)
ということだ。
神明造りの手水舎
手水舎は神明造で作られている。神明造の特徴は、4本の柱の外側に2本の柱を立てその2本の柱が棟木を支える構造となっていること。
▼下の画像は外宮の風宮。神明造である。
神殿の側面に立つ1本の柱が見えるだろうか。これが反対側にもあって、都合左右2本の柱が神殿の外側に立って棟木を直接支えている構造である。
芝大神宮の手水舎が神明造だということは、この風宮の骨組みも同じということになる。想像するだけで、ワクワクするではないか。
拝殿
若い女性は、拝殿前まで上がってくる。ビジネスマンは石段下から参拝する。
これの意味するところとは、やはり縁結びのご利益にあるのだろう。
二拝二拍手一拝。
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最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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