厳島神社|京都御苑|京都三珍鳥居の一つ「唐破風鳥居」がある神社。
こちらの厳島神社は、京都御苑内に鎮座する3つの神社の一つである。
九条池に浮かぶ中島に鎮座し、池越しに橋や九条邸を望む風光明媚な場所。女神たちを祀るにふさわしいロケーションである。
こちらの見所の一つは上の画像。鳥居である。なんとこの鳥居は、京都三珍鳥居に数えられる「唐破風鳥居」。
必見である。
厳島神社について
厳島神社 概要
- 所在地 京都府京都市上京区京都御苑内
- 電話番号
- 主祭神 宗像三女神
- 創建年 平安末期→1771年(現鎮座地)
- 社格 なし
- 公式HP 上京区役所HP
厳島神社 アクセス
MAP
アクセス
- 地下鉄烏丸線「丸太町」 東へ350m
駐車場
- 京都御苑の駐車場あり
厳島神社の祭神
宗像三女神を主祭神として祀り、配神に祇園女御を祀っている。
宗像三女神
市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神の総称。
この三柱の姉妹神は、天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)によって誕生したので、とても尊い神々なのである。
もともとは、福岡県の「宗像大社」に祀られる玄界灘の海の神。朝鮮半島と日本との間を結ぶ航路の安全を守護する、重要な神々である。
それゆえ、特別に「道主貴」(みちぬしのむち)と称される。
他に、この「貴」が使われる神は、天照大神 「大日靈貴(おおひるめのむち)」、大国主命 「大己貴(おおなむち)」しかいない。
また広島県の宮島に鎮座する、全国の厳島神社の総本宮「厳島神社」の主祭神でもある。瀬戸内海の海上交通の守護として祀られ、平清盛や毛利元就ら瀬戸内で活躍した武将からの信仰を集めた。
祇園女御(ぎおんのにょうご)
白河法皇の晩年の寵妃。なので、かなりの実力者と言えよう。
一般的には、平清盛の母とされているのだが、、、
この祇園女御の「妹」が白河法皇に召されて出来た子が「平清盛」で、その平清盛を祇園女御が猶子(ゆうし)にしたという説もある。
いずれにしても、平清盛が大出世するにあたり「祇園女御」の存在は非常に大きなものであっただろう。
厳島神社の創建・歴史
平清盛が、貿易の拠点として神戸に造った「経が島」に、自らが崇敬する宮島の厳島から祭神を勧請して社殿を造営したのが始まり。
そして、生母を合祀。その祀られた生母が「祇園女御」だったのか「その妹」だったのかは定かではない。
その後、京都の現在地に遷座。
近衛家と並ぶ摂関家の筆頭「九条家」の邸宅の一部に取り込まれ守護神として祀られた。
明治維新後、九条家は東京へ移住するが、神社を含む邸宅はそのまま残り、現在に至る。
厳島神社のご利益
宗像三女神を祀り、九条家の守護神として祀られていたことから、
- 金運向上
- 交通安全
- 航海安全
- 水難除
- 必勝祈願
- 心願成就
- 家内安全
のご利益があるとする。
厳島神社 参拝記録
地下鉄烏丸線の丸太町駅を下車。1番出口から地上へ。京都御苑の西南角に出るはずだ。
丸太町通りを歩いて最初の入口から京都御苑に入る。入ったら右手に「拾翠亭」が見えるだろう。九条家の邸宅跡だ。
通り越して最初の辻を右に曲がると、厳島神社への入口が見える。
石橋
この橋に立つと、とても気持ちの良い風が吹き抜ける。
▼その橋の上から「拾翠亭」を望む図
唐破風鳥居
社殿自体は大きくもなく、豪華絢爛でもなんでもないが、慎ましやかに鎮座する様に心打たれるのである。
そしてこの鳥居が有名な「唐破風鳥居」。クニャッと湾曲した破風を「唐破風」といい、社寺建築によく使われる様式である。
▼小野神社「随神門」の唐破風
もう一度、厳島神社の鳥居を見てみよう。
木(一番上の横棒)が湾曲しているのがわかる。よって「唐破風鳥居」といわれる。
京都の三珍鳥居のひとつに数えられる。
他の二つは、北野天満宮の末社「伴氏社」の鳥居、蚕の社の三柱鳥居。
社殿の裏側
社殿の裏側に回ると木が生えているのだが、私はそこに白蛇を見た。
この社を甘く見てはいけないと感じた次第である。
高倉橋
厳島神社のある中島から見た、九条池に掛かる高倉橋。
京都を南北に走る「高倉通り」の北の終点が丸太町通り。延長すると、ちょうど高倉橋を通ることになる。さらに北上すると、禁裏の正門「建礼門」にぶち当たる。
京都御苑内にある神社
宗像神社(花山院家邸跡)
白雲神社(西園寺家邸跡)
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
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