神社の歴史(神仏習合~神仏分離)

2016年5月17日

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神仏習合とは

shiten6世紀前半に伝来したとされる仏教は、聖徳太子により推奨され、7世紀には急速に民衆に広まっていきます。

その過程の中で従来の神祇祭祀と仏教との整合性について議論されていきました。

これは言い換えると、神道を利用した「仏教の日本征服作戦」。そんなイメージで捉えたほうがいいような気がします。

それが、「神仏習合」作戦です。

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神仏習合作成開始!

仏教が国教へ

それまでの神社は、氏神に代表されるように、一氏族もしくはそのエリアの民衆のための祭祀場でした。ですから、それぞれの氏族に神が存在し、それぞれの村に神が存在する、多神教でした。八百万神ですね。

また、教義経典などもありません。言挙げしないのが、神道の奥義ですから。。。

かたや仏教は、論理的に構成された教義を持ち、崇拝の対象物すなわち仏像を持ち、すぐれた美しい寺院建築や美術工芸品などを持ち、組織化され高度な教養を持った宣教師(僧侶)たちというように、当時の神道は迎え撃つ術も無いほどに強力でした。

仏教は、まず、国家権力に接近しました。聖徳太子や蘇我氏です。
(聖徳太子=蘇我氏とも言われていますね)

しかし、どんな時代でも、新しい者を苦々しく思う人たちもいてるわけです。

抵抗勢力は、それまで国家の祭祀を任されてきた物部氏です。

ここで、物部守屋さんVS蘇我&聖徳太子連合軍、すなわち神道と仏教の宗教戦争が行われました。

滅ぼされた神道派の守屋さんのお墓が、八尾市太子堂にあります。すぐそばに、まるで守屋さんの御魂を押さえ込むが如く、勝った側の太子堂があります。

この政変以降、仏教の力は絶大なものとなっていくわけです。

そして政治の根本に仏教の思想がおかれることになります。国教の公認を受けた仏教は、日本の政治上層部を抑えることに成功したわけです。

神宮寺の建立

しかし仏教が国の公認宗教となったからといって、神道を、あるいは神社を否定することはありませんでした。むしろ、神社を利用して布教活動を行ったと思われます。

まずは、村々に存在した神社を取り込みにかかります。その作戦とは。。。

「神身離脱」作戦

神様も民衆と同じように迷える衆生の一人なのである。仏の救済を望んでいるのである。苦しみからのがれ悟りを開きたいと願っているのである。という考え方です。

まずは、神様のお告げがあるわけです。「ワレも苦しみから解脱したい。よって寺院を造営せよ!」と。

そこで、神社の境内や隣や裏山などに神宮寺が造営されていきました。そこで神様が修行をするということになるわけですね。

神社は有力な氏族の氏神であったり、村のコミュニティーセンターだったりしていたわけですから、ここに神宮寺が建てられるということのメリットは大きいですよね。

このようにして、奈良時代の初頭には、有力神社に寺院が造営され、奈良時代後半になると地方の神社にもその動きが広まっていきました。

「護法善神」作戦

しかし、「われらの神様が外国から来た仏にすがるなんてありえない!」といった反仏感情も、民衆の中には、まだまだありました。

そこで、そんな民衆の半筒感情を和らげる作戦が考えられました。

善なる神が、仏法を守護するのである。神社は寺院の鎮守なのである。「護法善神」という考え方です。

たとえば、興福寺に守護神が春日大社。比叡山の守護神が日吉大社。東寺の守護神が伏見稲荷大社。

 

これで、「神身離脱」で、一旦、神の地位が下がったのですが、「護法善神」により再び神の地位が上がったように見えるわけですな。

仏教の布教という意味では、どちらでもよかったんでしょうね。受け入れられることのほうが大切なわけです。

「本地垂迹」作戦

ここまでは、神と仏の関係は、神は仏の救済を求め、仏は神の守護を得るという、ギブ&テイクな関係でした。

ところが、奈良時代の終わりごろから、神と仏は同一・一体なのであると説かれはじめます。なんと、日本の神は実は仏の仮の姿なのであるという考え方です。これを、「本地垂迹」といいます。

仮の姿として現れた神が「権現」です。

天照大神は大日如来で、須佐之男尊は熊野権現であり阿弥陀如来である。伊邪那岐尊は釈迦如来で、伊弉冉尊は千手観音。また、大国主命は大黒天で、市杵嶋姫命は弁財天・・・などなど。

今でも、和歌山の熊野三山や、同じく和歌山の藤白神社には、仏像がお堂に安置されていますね。

このように、神仏習合の形態は、途中でいろいろとありましたが、概して江戸時代の終わりまで続きました。

神仏分離

明治時代に入り、明治政府は「王政復古」「祭政一致」の思想を掲げます。そして神道国教化へと進んで行きます。これを、神仏分離政策といいます。

内容は、神道と仏教を区別する、神と仏を区別する、神社と寺院を区別する、まさしく神と仏の分離ということなのです。

そして、これからは神道を国教とするんだよ~、となったわけです。

そうなりますと、日本の群衆心理としては、「神社に仏像や仏具があってはならない⇒破壊しよう」、ということになるんでしょうね。

国家が意図したものではなかったのですが、神仏分離令をきっかけにして、各地で廃仏毀釈運動が起こります。

寺院や芸術品、美術品が破壊されてしまいました。もったいない話です。

その後、国家神道、「帝国主義」へと突き進んでいくことになりました。