神社の格式 社格・社号・式内社? 格式を知れば神社参拝が10倍楽しくなる!

2017年8月25日

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神社の鳥居横あたりの石柱や縁起書などに、「式内」「式内大社」であるとか「官幣大社」「郷社」といった文字が記載されているものを目にするだろう。

この名刺の肩書きのようなものを「社格」と呼ぶ。「旧」とついているのは、現在の社格ではないからである。

古代の社格制度、中世の社格制度、近代の社格制度、そして戦後の神社。時代とともに、政治との関係の中で、神社の格付けは変化していき、GHQによる政教分離政策以降、社格制度は完全に廃止されてしまった。

よって現代では「昔はそうだった」という見方になっていると思う。

しかし、かつて、国家レベルの危機が発生したとき、国を守るために活躍した神社が確かにあったこと、そしてそれらの神社は格別な扱いで奉祀されていたこと、そしてそういう神社は間違いなく特別に「霊験あらたか」であったこと、これらは、古代人すなわち我々の祖先から連綿と受け継がれてきた、忘れてはならない記憶であり遺産であると思うのは大仰すぎるであろうか。

さて今回は、この「社格」について、まとめてみることにする。


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古代の社格制度

式内社とは

「式内社」とは、平安時代の延喜3年、醍醐天皇の御代にまとめられた「延喜式」の神名帳に挙げられている神社のことを指す。式内に掲載されているから式内社である。

式とは何か。

「式」とは、律令の細則を定めた法律集のことである。さらに、律令の改正や修正をまとめたものを「格」という。

当時は祭祀で政治を動かしていたと言っても過言ではない時代。式内社は各エリアの政治の中心的存在であったであろう。まさしく「格式」が高いのである。

全国3万社あったとされる神社のうち、式内社は2,861社であった。

そんな式内社の中でも、さらにいくつかの階層に分けられていたようだ。

官幣社と国弊社

官幣社
朝廷の神祇官から幣帛を受ける神社
のことをいう。神祇官とは、今で言う中央の省庁のようなもの。中央の省庁から捧げ物を受ける資格のある神社である。

国弊社
国司から幣帛を受ける神社のことを指す。国司、今で言うところの知事から捧げものを受ける資格のある神社ということになる。

さらに、これらは大社と小社に分けられる。大小の区分の基準は明確ではななく、由来やその当時の社勢で判断されたようである。

  • 官幣大社・・・198社
  • 官幣小社・・・433社
  • 国幣大社・・・155社
  • 国幣小社・・・2133社

パワースポット 名神大社(みょうじんたいしゃ)

延喜式には、名神社」として特別に掲載されている神社が存在する。

名神(みょうじん)とは、古来から霊験が絶大とされた神様に冠された、いわば「称号」と言えよう。

名神として執り行われる国家的祭祀とは、基本的には通常の祭祀ではなく、臨時の祭祀である。

国家レベルの危機、たとえば長雨による洪水や、日照りによる飢饉、はたまた政変などが起こった際に、特別に強力なパワーを持った神社に祈願するわけである。

その対象となった神社を、名神(みょうじん)社といい、その全てが、官幣大社か国幣大社だったので、名神大社と言われるようになったらしい。全国で203社とも223社とも言われている。

ところが、この「名神(みょうじん)」が、仏教の「明神(みょうじん)」と混同されだして、名神大社という称号は次第に使われなくなっていくこととなる。。。

主な名神大社であろう神社を列記しておく。特別に強力なご神威を持つ神社であるといわれていた神社リストとなるわけだ。言い換えれば、パワースポットリスト。関西に限らせていただく。

関西の主な名神大社の一覧はコチラ
➡ 社格 名神(みょうじん)大社一覧 パワースポットリスト!


中世の社格制度

二十二社の制定

古代における式内社を重視する方向性は踏襲しつつ、名神大社が消滅し、新たに二十二社が確立されていくいことになる。

二十二社とは、国家的危機・天変地異に直面したときに朝廷が奉幣して祈願した有力神社な22の神社である。

名神大社とおなじ位置づけであるが、名神大社は日本各地に分布していたのに対して、二十二社はその大半を京都・奈良の神社が占めている。中央集権が進んだことによるものであろうか。

そして、二十二社の中でも、上・中・下と3階層に分けられているのが特徴だ。

203社とも223社とも言われている名神大社。であるから、二十二社は選りすぐりのパワースポットリストと考えてもいいのではないだろか。是非とも一度は参拝したい神社である。

二十二社の一覧はコチラ
➡ 社格 二十二社一覧 選りすぐりのパワースポットリスト

一之宮の制定

この頃から、各国で最も有力な神社を一之宮と呼ぶようになる。国司が国に赴任したとき、国内の神社を順番に参拝をする制度があった。その際に一番最初に参拝する神社とを一之宮とした。

一之宮の設定は地方から始まり、やがて畿内にも広がっていく。しかし、明確な決まり事は無かったので、時代の移り変わりの中で一之宮も変わってくのである。

例えば、和歌山は一之宮と言われる神社が3社ある。。。河内は恩地神社が一之宮であったという説もある。

関西における一之宮は下記の通りである。

総社(惣社)

前項にて、国司が赴任して国内の神社を順番に参拝する制度があったと申し上げたが、これは時間とコストと労力を費やす一大行事であった。交通手段は限られている。今とは違う。

というわけで、平安時代には国府のちかくに、国内の神社の祭神を一つの社殿に合祀してそこをに参拝すれば、国内の神社を参拝したことになる、すなわち「巡礼省略システム」を考えた。この発想、嫌いではない。

その、一つにまとめた神社のことを「総社」という。

神社の祭神を勧請したパターンと、神社ごとまるまる合祀したパターンもあったと聞く。

  • 大和国・・・国府神社
  • 河内国・・・志貴県主神社
  • 摂津国・・・不明
  • 和泉国・・五社総社
  • 山城国・・・不明
  • 丹波国・・・宋神社
  • 丹後国・・・籠神社?
  • 但馬国・・・気多神社
  • 播磨国・・・射楯兵主神社
  • 淡路国・・・十一明神神社
  • 紀ノ國・・・府守神社?

近代の社格制度

明治維新のあと王政復古の形で、明治天皇を中心とする祭政一致を原則とした明治政府が樹立された。

平安後期から江戸後期にかけての日本宗教のスタンダードであった神仏習合。しかしこれによって神社および神道は、大きく様子が変わってしまっていたのも事実。

そこで政府は、延喜式内神名帳に則って、社格を整備することにした。明治政府公式の社格制度の開始である。第二次大戦後、GHQにより政教分離されるまで、この社格制度が続くことになる。

・対象外・・・神宮(伊勢の神宮)
※皇祖神ということで、格付けには入れず。

官国弊社
  • 官幣大社        62 社
  • 国幣大社          6 社
  • 官幣中社        26 社
  • 国幣中社        47 社
  • 官幣小社          5 社
  • 国幣小社        44 社
  • 別格官幣社     28 社
民社
  • 府社、県社、藩社   1,148 社
  • 郷社                    3,633 社
  • 村社                  44,934 社

・無格社                   599,997 社